22.ソレイユ11歳
あれからもう一年。
ダンジョン『アザリアの遺跡』にまだ先があるとわかり、ダンジョンに一番近い町であるルヴェデュの町は大賑わいなのである。
現在、十階層まで攻略されたのにまだ先があるダンジョンに、賑わいが衰えるどころか、ますます盛りあがっている。
正直、ダンジョンひとつでここまで変わるとは思わなかった。
有名な冒険者のパーティがやってきたり、宿屋が日々満室で町の外で野宿している人たちがいたり。こうなると、町の治安が悪くなるからと、領主様が私兵を派遣してくれて、自警団を設立してくれたり。
とにかく、人が増えて賑やかなのだ。
そして、人が増えると食事も増えるのだ。
「ソレイユ、『熊の一撃亭』に卵を届けてくれるかい」
「あれ? 今日も? いいよー。ミルクも持っていくね」
おつり用の小銭の入ったポシェットを斜めに掛ける。
「ああ、頼むよ」
卵のついでにミルクも買ってもらえたらラッキー。熊の一撃亭で売れなくても、他にも買ってくれそうな店はいくつもある。
以前より一頭一頭の乳量も増えたし、斃死する牛が激減したことで生産量全体も上がっていて、我が家の経営はかなり安定している。
食肉用に肥育している雄牛も健康的で肉厚なので、他所の畜産農家の牛よりも高く買い取りしてもらえているということだ。
牛の増体もいいので、二年四ヵ月の肥育で市場に出せるというのも強い。
ウチの牛はちゃんと月齢を決めて出荷しているからか、品質のばらつきも少なく、肉屋さんからの信用も厚いのだよ。
月齢確認はわたしの仕事……と言いたいところだけれど、出生したときに耳に付けたタグの番号で一頭一頭管理簿を付けているので、ステータスの出番はない。
耳にタグを付けることで、管理する案を出したのはわたしだけどね! 耳タグとタグを付ける器具を作ったのは、いつも通り父と長兄だ。
この耳タグと装置も特許申請済みで、耳タグを使う牛農家も少しずつ出てきている。
我が家が出荷するお肉がこれだけ評価がいいなら、いっそのこと独自のブランドを作るのもいいんじゃないかと思っている。
取り回しやすい小さな荷車に、ミルク缶をひとつと藁を敷き詰めた平たい箱に入れた卵を載せる。
全身に魔力を循環させると通常の倍以上の力を出せるようになるそれが身体強化で、長兄のカシューはこれが得意で、本気を出すと筋肉をムキムキにしてシャツを破くこともできる。
わたしは筋肉が盛り上がる程の身体強化はできないけれど、重たいミルク缶を軽々と持ちあげることができるし、荷車も平気で牽ける。
十一歳でこれができるのは、なかなかいないらしい。
筋肉の付きにくいわたしの細っこい腕でミルク缶を軽々と持ちあげると、とても驚かれるのが楽しい。
「じゃあ、いってきまーす」
「いってらっしゃい。気をつけるんだよ」
「ソレイユ、急ぎ過ぎて、卵割らないようにな!」
「卵に緩衝の魔法掛けてあるから大丈夫ー」
父と長兄に手を振り、荷車を走らせる。いや、走るのはわたしか。
長兄がロープでミルク缶と箱を固定してくれているので、多少の無理も大丈夫。
町まで走り、人通りが多くなってきたところで足を緩めて熊の一撃亭を目指す。
路地を入って裏口をノックすれば、熊のようなとは言い難い優しい風貌の女亭主がドアを開けてくれた。
「待ってたわ、急いでくれてありがとうね」
「どういたしまして! ご注文の卵、十五個です」
「ありがとう、こっちに運んでもらえる?」
「はーい」
女亭主に言われるがまま裏口から中に入り、すぐ近くにあったテーブルに箱を置いてから、卵を守る緩衝の魔法を解いて、中を確認してもらう。
「凄いわね、ひとつも割れてないわ」
「えへへ、大事に運んできました」
卵を全部確認してもらって、やっと一安心する。卵は割れやすいから、緩衝の魔法を覚えるまではかなり気を遣って運んでたんだよね。
緩衝の魔法で落としても割れないけれど、魔法を掛ける前にヒビが入っているかもしれないので、確認してもらうのは大事だ。
「これは、朝の分の空の箱ね」
「はい! ありがとうございます!」
五段重ねにした卵の箱を受け取り、荷車に載せる。
「お代は明日、お兄さんにまとめて支払うのでいいかしら? 今日は細かいお金が足りなくて、ごめんなさいね」
申し訳なさそうに言われる。
いつもは追加注文のときはその場で支払ってもらっていたけれど、まあそういう日もあるよね。
「いいですよ! じゃあ、こちらに受け取りのサインをもらえますか。卵の個数と受取日と時間を確認したら、下にお名前を書いてください」
そう言って、いつも持ち歩いているメモ帳をポーチから取り出して、サラサラと受取書を作って女亭主に渡す。
万が一、長兄がお金をもらい忘れたら困るので、こういうのはしっかり控えているのだ。
一瞬面食らった顔をしたけれど、すぐに笑顔になりサインをしてくれた。
「しっかりしていて、偉いわね。こんなことしなくても、ちゃんと払うわよ?」
クスクスと笑われてしまう。
この熊の一撃亭との取り引きは最近はじまったばかりだから、こういうやり方を知らないのかもしれない。ウチはしっかり経営なのですよ。
「ありがとうございます! あ、ミルクもありますよ!」
「今日はいらないわ。ちょっと待って、やっぱり少し見せてもらっていいかしら?」
おっとりした調子で請われて、なにを見たいのだろうと不思議に思う。
「うちのは絞ったあとに、一回高温で殺菌してるから、封をしたあとは開けたらダメなの」
「さ、サッキン? へ、へえ、そうなの? でも、中を見ないと買えないでしょ?」
食い下がられ、笑顔で小首を傾げる。
「中を見たら買い取りになるけどいい?」
「だから、少し見たいだけだって言ってるでしょ。わからない子ね」
少し苛立たしげに早口になる。
「買うかどうかは、見てから考えるものなのよ」
子どもは知らないだろうけど、という言葉が聞こえるようだ。
それならそれでいいや、わたしは子どもだから難しいことは考えないんだ。
「じゃあ、売らないから、見せないね」
笑顔で言い切ったわたしに、女亭主は顔色を変える。
「アンタねえ!」
「ぶ、あっはっはっは! その考えいいね! きっぱりしてて、いいなあ」
突然割り込んできた男の人の笑い声に、女亭主はギョッとする。
こんな裏口ばかりの路地なのに、どうして冒険者さんがいるんだろう?
しっかりした装備と手入れをされている武器、体もがっしりしてて若そうな男の人が、女亭主に向き直る。
「ほら、この子は売らないって言ってるんだし。お姉さん店に戻らなくても大丈夫?」
「……そうね、こんな忙しい時間に、構ってる場合じゃなかったわ。お兄さん、よかったらウチで食べていかない?」
女亭主はここぞとばかりに男の人にすり寄るが、彼はサラッと体を躱す。
「夕飯にはまだ早いし、もう少し見て歩いてから考えるよ」
「そう? おまけしてあげるから、是非寄ってちょうだいね」
そう言って裏口に消える女亭主を見送り、ホッとする。
あとで、長兄にも注意するように言っておこう……アレは、子どもだからって足下を見ようとする人だ。
もしかすると見た目がカッコイイ長兄には甘いのかもしれないけど、いつ手のひらを返されるかわからないからね。
「しっかり断れるのは偉いね」
冒険者さんに褒められ、胸を張る。
「両親のシツケの賜物です!」
しっかりと答えたわたしに、彼は吹き出して体をくの字にして笑いだした。