19.苔の陰干し
「まずは、苔の陰干しだよね!」
わたしは荷台に載っている大小の袋を見る。三人で頑張って採ってきたので、大量だ。
ライゼスもちょっと困り顔になっている。
「……結構な量だけど、干す場所どうしようか」
「お父さんに聞いてくる! トリスタンさん、家の方に馬車を移動しておいて」
放牧場の柵をよじ登り放牧場を突っ切って、父たちが作業している大人牛たちの牛舎に向かう。
家の方から行くこともできるけれど、そうすると遠回りになるので、今日は最短ルートで。
牧草を食べている牛たちは、こっちを見るだけで邪魔はしないので、わたしは所々に落ちている牛糞を避けながら走る。
「お父さーん」
夜以外は大きく開かれている牛舎の入り口から父を探す。
大きな声を出したら、牛たちが驚くのでダメなんだよねー。ついつい忘れて大きな声を出しちゃって何回も長兄に怒られたから、牛舎では静かにするようにしているんだけど、牛たちがモーモーお喋りしてるから、中々声が通らないんだよね。
「よお、ソレイユ。どうしたんだ?」
近くから長兄の声がして思わず飛び退る。
び、びっくりしたー。
「カシュー兄ちゃん、帰ってたんだ」
十四歳になり学校に通っている長兄が、牛の毛を梳くゴツいブラシを片手に牛の陰から現れた。
既に父くらいの身長で、体格は骨細な父よりもいい。短く刈り上げた空色の髪を雑に振って頭についた藁屑を払う、そんな荒っぽい仕草も様になる。
いまだに、長女と一緒に『初恋泥棒』の異名を持ち続けている兄だ、学校に入ってもみんなの憧れの的らしい。曰く、あの青銀色の髪に薄緑の目がクールでカッコイイ、とのことだ。
青銀……薄めの空色だと思うんだけどな。
「おう、とっくにな。それより、父さんなら向こうで餌用に麦稈(※麦わら)切ってたぞ」
「ありがとう!」
長兄と話をしているわたしを、長兄がブラシをかけていた青ブチの牛がスンスンと匂いを嗅いでいる。
「ん? なになに? うわっ」
長い舌がベロンと後頭部を舐め、モゴモゴと口を動かしたかと思うと、もう一度ベロンと舐められた。三つ編みにしてなかったら、髪の毛食われてた!
「ソレイユ、おまえ頭になんかつけてんのか? おい、変な物食って腹壊すなよ」
青ブチの牛には気遣わしげに声を掛けて、長兄が心配そうに牛の首を撫でている。
「頭……あ、そっか。転んだ時に苔が付いたのかも」
「苔?」
「そうだ! コケー」
父に苔の陰干しの場所を聞きにきたんだった。
「お父さんのところに行ってくる!」
魔法でロール状に巻き取って円筒形の塊にした麦稈ロールがいくつも積まれている麦稈置き場へ走ると、父は魔法を使って麦稈を粉々にしているところだった。
大きな渦を巻く球体の空間の中は風の刃が縦横無尽に走り、乾燥した麦の茎や葉を、牛が食べやすいように細かくしているのだ。父が言うには、短すぎてもちゃんと噛まなくなるから駄目だし、長すぎたら食べにくいって避けるから駄目なんだって、長さはなかなか難しいみたいだ。
父はこうやって便利に魔法を使えるから、ヒョロヒョロのままなんだよね。
長兄はそんな父を見ていたからか、魔法だけに頼らず筋肉もバランス良く使うから体格がよくなり更にモテるようになった、と長女が言っていたのを思い出す。
「お父さん!」
「お帰り、ソレイユ。手を突っ込んだら指が吹っ飛ぶから、気をつけるんだよ」
「それやったの、バンディでしょ。わたしはやらないよ」
ひとつ下の弟が去年やらかしたやつだ。両親が二人がかりで魔法で治していたのを覚えている。
「うん、一応注意しとかなきゃと思ってね」
そう言いながら、渦巻く球体をわたしの手の届かない位置まで上げている。
「もう十歳なんだから、そんなことしないよ」
「うん、そうなんだけどね。ソレイユはなにをするかわからないからなあ」
父がへにょりと眉尻を下げる。
「そうだ! それよりも、お父さん。どっか、苔を陰干しする場所ないかな?」
「苔を陰干し? また、君は、変わったことをはじめるんだねえ」
楽しそうに目を細める。
「わたしじゃなくて、エラにお願いされたの」
「エラさん?」
「そう、精霊のエ――」
口をカポンと塞がれる。見れば汗を掻いたライゼスがわたしの口を塞いでいた。
「ソレイユ、そこは、うまく、誤魔化す、べき」
ぜえはあと肩で息をしている。
口を塞がれたままウウウと唸ると、やっと手が離された。
「はい、ライゼス」
ライゼスに向かって手を挙げ、発言を認めてもらう。
「流石にあの量の苔を、なにも聞かずに干したいというには無理があるよ? それに、エラはこれからも来るわけだし、父に知っておいてもらったほうが、きっといい」
わたしの意見を聞いて、ライゼスは、ぐぬうと唸ってしまった。
わたしとライゼスが話をしているあいだに、赤い鬣の馬を引きながらトリスタンが近づいてくる。
「ああ、トリスタンさん」
「お邪魔しております」
父とトリスタンが普通に挨拶している。知り合いだっけ?
「今日のダンジョン、お任せしてしまって申し訳ない。収穫はありましたか?」
「はい。ソレイユ嬢ちゃんから聞いたかもしれませんが、収穫してきた苔を三日ほど陰干しさせていただきたいのですが」
「三日、陰干しですか。この量ですね、ふむ」
馬車の荷台を見て腕を組んで思案する顔になる父にもう一押しする。
「あのね、精霊のエラからお願いされたの。取ってきた苔を、三日陰干ししてって」
父の顔がこちらを向く。
「精霊の、エラ。というと大地と木々の精霊エラ・シルヴァーナかな?」
「そう!」
一発でわかってくれる父に笑顔で大きく頷く。
「ふむ。エラ・シルヴァーナは、過去にも子どもの前にはよく現れたという伝承があるね。そうかあ、ソレイユが出会ったのか。さすがはソレイユだなあ」
どうして遠くを見ながら言うんだろう。
そして、なぜ大人二人で「はははは」と乾いた笑いをするんだろう。
「本当に、お手数をお掛けします」
父がトリスタンに頭をさげ、トリスタンは慌てて手を振る。
「いえいえ、お気になさらず。精霊に気に入られるのは、悪いことではありませんから。ただ、少々厄介なことがありまして、実はダンジョンで――」
トリスタンに目配せされた父は、麦稈を細かくする魔法を解除してから二人で麦稈置き場の陰に行ってしまった。麦稈置き場は支柱と屋根だけで壁は無いが、たくさん積まれた麦稈ロールの陰になって姿が見えなくなるし、声も聞こえない。
「なんだろうね? こっちで言えばいいのに」
「大人には、大人の事情があるんだろうね。トリスタンが話を通してくれるみたいだし、よかったよ。あ、戻ってきた」
すぐに戻ってきた大人二人は、短い時間なのに疲れた雰囲気が漂っていた。
「苔を陰干しだね、うん、麦稈置き場がひとつ空いてるから、そこを使うといいよ」
「ありがとうございます」
「ありがとう! お父さんっ」
トリスタンが荷馬車を移動させて、荷台の袋を下ろす。わたしは、父と一緒に木箱の上に、板を並べる。
「なにしてるんだ?」
「あ、カシュー兄ちゃん」
長男だけじゃなく、次男のバンディもやってきて手伝ってくれた。
麦稈置き場は柱と屋根しかない、風通しのいいここに大きな円筒形に固めた麦稈を積んで保管しておくのだ。収穫期後の、麦稈置き場が一杯の時期じゃなくてよかった。
箱の上に板を敷いたその上に苔を広げていく。
「あっ! 鳥がつついてやがる!」
バンディが、木の棒を持って苔を狙う野鳥を追い払う。奴らは牛の餌の美味しいところも狙いに来るのだ。
壁がないからか鳥が入り放題なんだけど、明らかに苔を狙ってきている。
「うーんソレイユ、魔法で乾燥させるわけにはいかないのかな?」
父が魔法で解決する方法を出してくれたけれど、首を横に振る。
「エラが、陰干しって言ってたから、陰干しがいい!」
頑として譲らないわたしに、父は仕方ないなと言って壁の代わりに魔法で網を張ってくれた。
突っ込んできた鳥は魔法に阻まれて、中に入れない。それでも、何度も挑戦してくる。よっぽど苔が美味しいんだろう。
「お父さん凄い!」
「定期的に魔法を掛け直せば大丈夫かな」
「ありがとう、お父さんっ」
額の汗を拭う父に、感謝を伝える。
「お手数をお掛けします」
トリスタンとライゼスが申し訳なさそうに父に頭を下げた。
「なに、三日くらいなら、大丈夫ですよ」
「しかし、この規模なら、五時間おきに掛け直さねばならないのでは?」
トリスタンの言葉に父は驚いた顔をして、それから嬉しそうに頷く。
「よくおわかりで! まあ三日くらいですから。なに、私だけじゃなく、子どもたちも手伝ってくれるでしょうし。大丈夫ですよ」
父の言葉に、トリスタンは申し訳なさそうにしながらも、ライゼスと一緒に帰っていった。