2.不思議な四角
「ソレイユ、前を向いて歩かないと転ぶよ」
「転ばないよー、ライゼスはしんぱいしょーだね」
後ろ歩きをしているわたしのすぐ横を、ライゼスがついて歩く。
今年の春に領都エルムヘイブンからやってきた一歳年上の彼は、ヒョロヒョロで頼りなくって、顔色だって青白かった。紺碧の色をした髪の毛や、角度によって赤く見える目なんてすごくかっこいいのに、ヒョロヒョロだもんなあ。
「ライゼスはヒョロヒョロだから、もっとご飯食べたほうがいいよ!」
「なにを言うかと思えば……。僕は今、伸び盛りだからいいの。それよりもソレイユ、もう後ろ歩きやめない? さっきから、何度もつまずいてるじゃないか」
「つまずいてないですー。ちょっとステップ、踏んだだけー」
口を尖らせて言い返すわたしに、彼は大人びた溜め息をわざとらしく吐き出す。
「ああ言えばこう言う。年上に、そういう態度はよくないよ」
「一コしか違わないじゃない。ゴサのハンイ、ってやつでしょ」
「誤差ではないかな」
「あーいえばこーいう!」
「すぐマネするの、やめなよね」
うんざりした顔をする彼に声をあげて笑った途端、かかとが地面に引っかかって後ろに体が傾いた。
「うわっ!」
隣を歩いていた彼が咄嗟にわたしの体を掴まえてくれて、なんとか転ばずに済んだ。
「だから言ったろ! ほら、ちゃんと前を見て歩いて。――っ、けほっ」
咳き込む彼の背中を慌てて擦る。
ライゼスがヒョロヒョロなのは病気のせいなんだって、前に教えてもらった。領都よりこの町のほうが空気がいいから、こっちで療養しているらしい。
魔力由来の先天的なもので、大人になれば自然と治るものだと父が言っていた。
「苦しい?」
「いや、もう大丈夫。ソレイユが、僕をビックリさせなきゃね」
後ろ歩き防止に手を繋がれてしまったので、しぶしぶ前を向いて歩く。
繋いだ手を大きく振りながら、今日の目的地である我が家の裏手にある放牧場を目指した。
デカミンはオレンジ色の親牛でミカンのお母さんだ、デカミカンという名前だったけど言いにくいのでデカミンになった。
家の畑を通り過ぎると木の柵があって、その中に牛たちが放されて牧草が食べ放題となっている。
親牛の他にもミルクが終わって草を食べるようになった子牛も放されている。
放牧場に繋がって牛舎が設置されていて夜はそこに入って寝られるようになっているが、外で寝ている牛が多い、夜は森の獣が活発になって牧場の家畜を食べにくることがあるから、心配だなあって父がぼやいていた。
子牛は夕方になったら父が小屋に入れているが、親牛は頑として動かなかったりするらしい。五百キロ越えの巨体を、細身の父がどうこうできるはずもない。
「デカミーン!」
柵越しに呼びかけると、木陰で寝ていたオレンジ色の巨体が顔を上げてわたしを見ると、よっこいしょと起き上がる。
「あれがデカミン? 名前付けてるの? 牛に?」
不思議そうにするライゼスに、大きく頷く。
「ミカンとデカミンだけね。ほら、わたしとお揃いだし」
自分の三つ編みを引っ張って見せると、微妙な表情で首を傾げた。
わたしの方へこようとするデカミンが、左後ろ足を引きずっているように見える。いつもなら走って近づいてくるのにどうしたんだろう?
「あ、危ないよソレイユ!」
柵をくぐってデカミンに近づくわたしを、ライゼスが慌てて止めようとする
「大丈夫、大丈夫。デカミンは絶対にわたしを襲わないから」
近づいてデカミンの後ろ足を見てみるけれど、怪我があるようには見えなかった。
前に回って両手で大きな顔を挟んで覗き込む、やっぱりなにかちょっと痛そうに見える。
「牛の言葉がわかればいいのに」
そうだよ、牛のステータスが見られたら、どこが悪いのかわかるのに。
――そう思った瞬間だった。
目の前に半透明の四角い枠が現れ、文字が並んでいた。
「ソレイユどうしたの?」
ライゼスが声をかけてくるけど、いまは答えることができない。だってこの透明な四角にはデカミンの情報が書かれていて、それを読むのに精一杯だったから。
「名前はデカミンで、四歳七カ月、カホール種の雌、後ろ足の外腿にトゲが刺さっている……トゲ!?」
驚いてデカミンの後ろの太ももをよく見てみると、大きめのトゲが刺さっていたので慌ててそれを抜く。
驚いたデカミンが跳ねたけれども、蹴られる前にライゼスがわたしを後ろに引っ張って遠ざけ、柵の外に連れ出してくれた。
「なにしてるんだ! こんな大きな牛に蹴られたら、死んじゃうぞ!」
真剣な顔で怒るライゼスに驚いて思わず涙ぐんでしまう。
「泣いてもダメだからね。ちゃんと、危ないってわかったの!?」
こくこくと何度も頷いたわたしに、ライゼスはやっと表情を緩めてくれた。それから大きく息を吐き出し、わたしを抱えたまま地面に座り込んだ。