17.壁の向こう
小さくしか開いていなかった穴をさらに削って、なんとか片手がちょっと入るくらいまで広げてくれた。
「なにがあるかわからないので、これ以上は無理ですね。こっから先は、冒険者ギルドに任せるのがいいでしょう」
「ダメ! 苔を採らないと! エラと約束したんだもの」
トリスタンの言葉に、慌てて言い募る。
「エラってのは、誰です?」
わたしじゃなくて、ライゼスに聞いている。
「僕らは精霊エラ・シルヴァーナに頼まれて、苔を探してたんだ」
「は? 精霊? 本気ですか」
疑うトリスタンに、ちょっとムッとする。
「本当だよ! エラが、苔を採ってきて、って言ってた」
わたしの言葉を肯定するように、ライゼスが強く頷く。
「いつのまに、精霊に会ったんですか」
剣を鞘に収めながら、疲れたようにトリスタンが聞いてきた。
「昨日、ミカンという名の牛に取り憑いていた精霊様に会ったんだ」
「あああああ、そういや、オレンジ色の牛が近くにきてましたね! あれかあ」
思い出したらしく、納得してくれた。
「本当に、規格外ですねえ、お二人は。十になる前に魔法を使えるようになるし、魔法の新しい習得方法を見つけるし、魔力循環の方法を確立して、魔力暴走の解消に繋げてくれるし」
「全部ソレイユがやったことだな」
ライゼスが全部わたしのせいにしようとするので、訂正をいれる。
「ライゼスが、一緒に考えてくれたから、できたことだよ」
「お二人とも、規格外です。今回の件は、いままでのことを上回りましたけどね」
「上回ったんだ?」
わたしがトリスタンの言葉に驚くと、ライゼスが詳しく説明してくれた。
「ソレイユ、そもそも精霊に出会えるのは、本当の本当に稀なことなんだよ。会いたいと願っても会えることなんてないものだし。そのうえ、お願いをされるなんて、物語の中でしか聞いたことがないよ」
「その上、もうこれ以上はないと言われていたダンジョンに、まだ先があることを発見したじゃないですか。これで、このダンジョンは未踏破のダンジョンになったってことですよ。ですから、ここから先はまだ確認が終わっていないので、どのくらい危険なのかわかりません。一旦引き返し、ギルドで調査してからという手順になるんです」
トリスタンが説明してくれて、その理由もわかるんだけど、でもそれじゃあダメなんだと食い下がる。
「でも、苔をエラに持っていかないと……」
大変な事はわかるけど、わたしにとってはエラとの約束を守れるか否かのほうが重要だ。
ギュッと手を握りしめて、唇を噛む。
「トリスタン、僕たちに精霊との約束を守らせてくれないか」
ライゼスも加勢してくれる。
「あー、確かに現状、それが最優先ですね。精霊の約束を反故にした場合、なにが起こるかわかりませんし。じゃあ、もう一息、広げますか」
腹をくくったトリスタンが、再度剣を抜いた。
「はぁはぁはぁ……本当に、固い」
汗だくで肩で息をするトリスタンの頑張りで、腕が入るくらいまで穴は広がった。
その穴にくっついて向こう側のステータスを見てみるけれど、苔以外の表示は今のところ出ていない。
「どう?」
「苔しか見えないよ。光の魔法で見てみよっか?」
「それなら、僕の方が強い光を出せるから、やってみるよ」
確かにそうなので、ちょっとモヤッとしながらも穴の前を譲った。
ライゼスが手のひらを穴の前に当てて、向こうに向けて光を放つ。
「通路になってるみたいだね。見える範囲に魔物はいないみたいだ」
「じゃあ、頑張って採れる範囲の苔を集めようか」
「そうだね。僕のほうが腕が長いから」
「ちょっと待ちなさいお二方。まずは、大人に確認してから行動、ですよ」
疲労から少し回復したトリスタンが口を挟んできた。
もう少しダウンしててよかったのに。
「でも、トリスタンの腕は太いから入らないよ」
「そうそう、ここからまた広げるのは大変でしょ? だから、手の届く範囲だけ取るの。最初はわたしがやって、わたしの届かないところはライゼスがやって」
わたしの主張にライゼスは折れてくれたので、まずはわたしがシャベルを持った手を突っ込んで、壁に生えている苔をガリガリとこそげ取っていく。
穴を通すときに気を抜くと、シャベルから苔がこぼれてしまうので注意が必要だけど、壁の苔を削ること自体は難しくはなかった。
「袋ひとつ分は取れたよ」
「エラはたくさん欲しいみたいだったから、採れるだけ採っていこうよ」
わたしの腕が届かない場所は、ライゼスと交替する。
ライゼスのほうが腕が長いので、トリスタンが持っている袋にどんどん苔を入れていく。
ライゼスが頑張ってくれているあいだに、収穫した苔のステータスを確認する。
■アザリア苔、百八十年物、栄養価がとても高い。
うん、ちゃんと全部苔だ。エラから品種や特徴を教えてもらってないけれど、これで間違いはないと思う、なんせ百八十年物だし。
本当は向こう側にいって、もっとたくさん収穫したいんだよね。冒険者が入ってしまったらきっと、踏みつけにされちゃうだろうし。
踏みつけ……それはマズイと、直感が告げる。
この壁、どうにかして壊せないかな。なんとかして、もっと取りたい。
苔を探すのではなく、壁のステータスを見ようと頑張ってみたけど、やっぱり生き物じゃないと無理だった。なにかヒントがあるかもしれないと思ったんだけどな。
壁に張り付いて、なにかないか調べる。
「嬢ちゃん、この安全地帯から、絶対に出ないでくださいね」
「はーい!」
壁を調べながら、ちゃんと返事をする。
「トリスタン、余計なことを言ったらダメだってば」
わたしが元気に返事をしたのに、ライゼスが小声でトリスタンに注意をしている。
「トリスタンさんは注意をしただけで、余計なことなんて言ってないよ」
「うん、そうだね。だけど君は、そういう注意を受けたときこそ、なにかやらかすんじゃないか」
「失礼だね、ライゼスはわたしのことをなんだと――ん?」
わたしの膝くらいの高さの壁を調べていたところ、平らな壁に見えるけど、触ったら凸凹があることに気がついた。
撫でたらわかる程度の浅い凹凸だけど、気になる。これ、平らにならないのかな、ここの出っ張りをこっちのすこし凹んでいる場所にググッとずらして。
「あ、うご、わわわわっ!」
本当に石の壁の表面がずれて、カチリと嵌まった。
その途端に壁が消え、わたしは顔から通路に突っ込みジメッと苔に埋まった。
「大丈夫!? ソレイユ!」
壁の向こうに転んだのはわたしだけで、壁にくっついて苔を取っていたはずのライゼスも安全地帯でちゃんと立っている。
「うーっ、ぺっぺっぺっ、口に入ったあ」
「はい、ハンカチ。それにしても、凄いな、これ」
ライゼスからハンカチを受け取り、苔まみれの顔を拭く。うわあ、髪にもついちゃったよ、オレンジと緑で黄緑色になっちゃうよ-。
「人差し指いっぽんくらいの厚みがありますね」
安全地帯と通路の境界で苔の厚みを測るトリスタン。
ライゼスのように、わたしを気遣うのが先では?
周囲を見渡してわかったのは、壁が開いたのは入ってきた通路の丁度反対側で、間口も同じくらいだった。
大人が二人、手を広げて並べるくらいだ。
そこが、奥までずーっと苔だらけ!
壁に張り付いている苔は薄いけれど、床の苔はなかなか手強そうだ。
「よーし! 苔の大収穫祭だー!」
持ってきた袋を全部いっぱいにしてやるぞー!
「もう百年以上、三階層しかないと思われていたダンジョンの先を開いたなんて、世紀の大発見なんですがね……」
「苔のほうが大事だからね。もう諦めて、トリスタンも手伝って」
ライゼスに大きな麻袋を渡され、トリスタンも苔の収穫をはじめる。
「安全地帯から出ずに、手を伸ばして取れる範囲だけですよ。通路のほうには出ないでくださいね、罠があるかもしれませんから」
「……ソレイユ、ちょっとベルトに紐を通しておこうか」
「大丈夫だよー。手の届く範囲だけで、袋全部使っちゃうから、通路になんて行かないよ」
わかってる、わかってると言いながら、ライゼスがわたしのベルトの後ろにロープを縛り、その端をトリスタンに持たせた。
「ライゼスは本当に失礼だよ、ね?」
同意を求めるように、ロープを持たされたトリスタンに声を掛ける。
「はっはっは、これは坊ちゃんの優しさですから。ほら、早くしないと、帰る時間になりますよ」
しっかりとロープを持ったトリスタンに誤魔化すように急かされて、せっせと苔を集める。
いや、そんなカワイイもんじゃない、ひたすら苔を床からベリベリ剥がして袋に詰めた。