7.帰寮
ブラックウッド家の皆さんに見送られ、コノツエン学園の寮へと戻ってまいりました!
「ただいま戻りました! オブディティさーん!」
共有部のソファで本を読んでいたオブディティが、元気に入室したわたしにニッコリと微笑む。
「やり直しです。ドアを開けるところから、もう一回」
「えええ……っ」
「前期に何を習ってきたのですか。もう一度、です」
後期の初手から厳しいオブディティに負けて、入室からやり直した。
「オブディティさんは厳しいです」
やり直しで合格点が出たので、オブディティの向かいのソファの横に手荷物を置いてから、ソファに静かに座る。ここで乱暴に座ろうものなら、もう一度やり直しを喰らうのは火を見るよりも明らかだ。
「わたくしの後期の目標は、ソレイユさんに淑女魂を授けることです」
魂とか言ってる時点でなにかが違う気がするんだけど、オブディティは至って真剣だ。
「ええ……、その魂は、なくても大丈夫だよ。今回は三日もライゼスの実家にお邪魔したけど、ちゃんとでき――。ご迷惑をお掛けすることなく、過ごすことができましたよ」
オブディティの怪訝な視線を受けて、途中から姿勢を正して微笑んで伝える。
「ライゼス様のご家族ですから、きっとソレイユさんに甘いような気はしますけれど……。領主宅で三日過ごすことができたのでしたら、猫を上手に被ることができたのでしょうね」
なぜ、ライゼスの家族だとわたしに甘いと思うんだろう? 疑問はあるが、猫を被るのは成功したのでそこは威張っておく。
「それはもう、見事に」
ドヤ顔を作ったら、溜め息を吐かれてしまった。
「ソレイユさんですものね。わかったわ、この部屋では、ご自由になさって」
「ありがとう! そう言ってもらえると、嬉しいな。やっぱり、丁寧な言葉遣いって、慣れてないから上手く喋れないんだよね」
「そのために、日頃から使うのです」
ズバッと言われてショボンとしてしまう。本当にその通りだとは思うんだけど、息抜きもしたいのですよ。
とはいえ、オブディティもわたしの気持ちを分かってくれてるから、妥協してくれたんだよね。ありがたい限りです。
一日早く戻ってきていたオブディティは、ライゼスの実家で頑張ったわたしを労うようにお茶を用意してくれた――収納の能力から取り出して!
前期の時は、何を言っても使ってくれなかったのに、一体どういう心境の変化なのだろう。
「どうぞ、召し上がって。収納の中では、時間の経過がありませんから、丁度いい温度のままですわ」
上品な仕草で出してくれたお茶は、よく見れば温かそうな湯気をあげている。
「凄い、本当に温かい! いただきます」
温かくて癒される。
「はぁ……温かくて、おいしい……」
「そうでしょう? 我が家で一番お茶を煎れるのが上手い侍女が煎れたお茶ですから」
自分でもお茶を口にして、満足そうな微笑みを浮かべる。
これは、ドヤ顔になるのも理解できるおいしさだわ。
「それにしても、オブディティさんの収納って便利だよね。まさか、時間も止まるっていうのが、最高だよねえ」
羨ましい。心から、羨ましい。
「今まで使っていなかったのが悔やまれるくらいには、とても便利ですわね」
そう言って、したり顔をする。くうっ、羨ましい。
「人目に付かぬようにしなければなりませんが、こうしてこっそり使うだけでも十分に便利ですわ」
「そうですよね! 本当に、そうですよねっ! それで、具体的には、この能力はどうやって使うんでしょうかっ。やっぱり、アイテムボックス的な表示が出て、操作するの?」
思わず中途半端な敬語になりながら、彼女に詰め寄る。
「いいえ、そんな表示は出たことがないわね。自分の物でしたら、念じるだけで出し入れが可能ですわ。例えば、こんなふうにね」
ポケットから出したハンカチをテーブルの上に置いた、それが音もなく浮くこともなく、突然消え去った。
「念じれば、出てくるのよ」
そう言いながら念じたのか、テーブルの少し上にハンカチが現れて、ふぁさっと落ちる。
「まるっきり同じ場所でないのはどうして?」
わざと数㎝上に出現させたように見えたので確認してみた。
「だって、もしも、位置が被って、物が融合したら怖いじゃない」
「物が、融合……くっつくって事?」
彼女の説明によると、昔のテレビゲームかなにかで、主人公が空間移動をした際に座標を間違えて壁の中に嵌まってしまい、出られなくなるという現象が……。
「怖っ! 凄く、怖いっ」
両腕で体を抱きしめて、震え上がる。
「そうでしょう? その恐怖があるので、ぴったり同じ位置には出しにくいのですわ」
「それは、仕方ないよね」
溜め息交じりの彼女のタネ明かしに、心から同意した。
心を落ち着けるために、カップに口を付けて、思い出す。
「あ、そうだ。お土産に、うちの妹が作ったクッキーを持ってきたの」
お茶請けとして三女のティリスが作ったクッキーを数種類お皿に出すと、オブディティは警戒することなくクッキーを口にした。こちらの世界で、手作りに忌避感を示す人は見たことがないけれど、貴族だったら色々と気にするのではないかな、なんて思ったのは杞憂だった。
そういえば、パメラもすんなり食べてくれたし、もしかするとその行動が信頼の証しだったりするんだろうか? いや、そんなこともないか。
「――っ! なんですの、このクッキーは!」
驚きの声をあげてから、確認するように、他の種類のクッキーも口にする。
「美味しい! 美味しすぎますっ! あなたの妹は、天才パティシエですか!」
「うふふふ。だよねえ、美味しいよね」
手放しで妹を褒められて、とても嬉しい。
「ティリスの作るお菓子は秀逸なんだよね。シリリシリリ草で底上げしてるっていっても、バターに少し入っているくらいだから、量は僅かだし」
「シリリシリリ草?」
怪訝な顔をするオブディティに、アザリアの遺跡の隠し部屋でシリリシリリ草を発見した経緯を伝える。
「ダンジョンの隠し部屋なんて……普通は見つけられるものではありませんよね?」
「運が良かったよね。壁の奥にシリリシリリ草のステータスが見えたから、気がついたんだし。一応まだ内緒にしてあるから、口外はしないでね。あ、それに、そこにあった宝箱のなかに能力本っていうのが入っててね」
運の良さに感謝しながら、どんどん説明をする。
「ちょっとお待ちなさい」
先を続けようとしたわたしは、彼女の言葉に口を閉じた。
オブディティは頭が痛そうな顔になり、考え込むように少しの間目を閉じてから、わたしに視線を据えた。
「それはわたくしに、喋ってもいいことなの?」
真剣な表情で確認してくる彼女に、親指を立ててサムズアップする。
「オブディティさんには、言ってもいいって、ライゼスに言われてるから大丈夫」
「そうなの? それは光栄ね」
ライゼスの名前を出したら、あからさまにホッとした。
ライゼスの信頼度の高さは素晴らしいね!
「ですが、宝箱の話はちょっと待って頂戴。一気に聞いてしまっても、頭が処理を放棄しそうだわ。まずはシリリシリリ草について、教えてもらえるかしら」
「宝箱は、そんなに難しいことはないんだけど……」
ヒーリングライトという分かりやすい能力だったし。
それでも、まだ聞きたくないという彼女の視線に負けて、シリリシリリ草の説明をした。
「シリリシリリ草は、乾燥させて粉末にして料理に混ぜると、美味しくなる素敵な植物なのね」
理解してくれて、嬉しいです。
「こちらが、シリリシリリ草なしのクッキーです。ティリスに頼んで作ってもらいました」
「食べ比べね」
食べ比べ用のノーマルクッキーを作るのに難色を示した三女に、なんとか頼み込んで作ってもらったんだよね。自分の実力のみのクッキーに自信が無いって言ってたけど、元がいいからシリリシリリ草が入るとより一層美味しくなるんだよ。
両方のクッキーを食べたオブディティは、小さく首を傾げながらも、なるほどと頷いた。
「確かに、シリリシリリ草の入っている方が美味しく感じられるわ。入ってない方のクッキーも美味しいのだけれど、入っている方が味わい深くなっているわね。まさか、常習性なんてないわよね?」
ハッとして聞いてくるオブディティに、慌てて否定する。
「大丈夫! ステータスでも、美味しいだけで、麻薬のような常習性はないって書いてあるから」
「よかったわ。でも、常習性がなくてこれだけ美味しくなる調味料なんて、大変な事になるわよ」
真顔で言う彼女に、それは大袈裟なんじゃないかなと思わなくもないけれど、はじめてシリリシリリ草をチーズに入れたときは、大量に入れてしまったせいもあってちょっとヤバイ感じになってたから、もしかすると本当に大変な事になるかもしれない。
「因みに、シリリシリリ草を入れて作ったチーズも、とても美味しかったです」
「食べたいわ、持ってきていないの?」
「フレッシュチーズしか作れなくて、鮮度が心配だったので、諦めました」
ホエイに浸して要冷蔵。密閉容器があればいいんだけど、保冷箱で何日持つかはまだ不明だから、長兄が言っていたように、生乳を確保してこっちで作る方が安全で手っ取り早い。
ライゼスの実家で作る機会は無かったので、シリリシリリ草の生産担当である三男が持たせてくれたシリリシリリ草の粉末は手つかずで残っている。ライゼスの実家の分の粉は、領主夫人へお土産として渡したが、大変感謝された。
「流通する可能性はないのですか? ああでも、ダンジョンの隠し部屋でしか採取できないのでしたら、無理ですわよね」
彼女は自答自問して肩を落とした。
「アザリア苔は、アザリアの遺跡でしか育たないけれど、シリリシリリ草はダンジョンじゃなくても、ジメッとした地下で育てることができるから。今は、我が家の三男が地下畑を作って、株を増やして量産できる態勢を整えてる最中だよ。上手くいったら、エルムフォレスト領の特産品にしたいって、領主様もおっしゃってたし、未来は明るいよ」
わたしの言葉に彼女がパッと表情を明るくする。
「まあ! 素晴らしいですわね! エルムフォレスト領は、酪農と農業を基板とする領地ですけれど。特産品はあまりないので、領主様もお喜びだったでしょう?」
「うん、とっても! あ、もしかして、そのお陰なのかな。ライゼスとお付き合いすることになったと伝えても、全然反対されなかったんだよね」
だからだったのか、と納得して頷く。妙にすんなり認められるなあとは思ったんだよね。
「お待ちなさい。突然爆弾をぶち込んでくるの、本当にやめて?」
立ち上がったオブディティに両手で頬を挟まれ、真剣な目で真っ直ぐに睨まれてしまった。
オブ「情報量過多なのよ!」