9 母、アマリリス
リリアンたち三人はまだ診察室で眠っていた。公爵夫妻四組とソフィーは、控室で聖堂の職員から説明を受けた。
「診察室専門の職員によると、小さな切り傷が体の前面に数多くあり、瞬間的な大爆発だったのであろうとのことです。幸い傷は跡には残らないとの見立てです。質問はありますか?」
「ガエタンの放った魔法が爆発したということですか?」
ガエたんの父、ガネリア公爵が片手を上げながら聞いた。
「かなり大きなエネルギーだったので、全てガエタン様の魔力かと言われると疑問が残ります。ですが、一因であるのは間違いありません。聖堂内での魔力使用が禁止されているのは、普段より大きな力を使えると言う人が多いからなのです。理由は分かっていませんが。つまり、ガエタン様お一人が起こした事故の可能性も皆無ではないのです」
ガネリア公爵は右手で額を抑えて、長いため息を吐いた。
ガネリア公爵家から聖堂へのかなりの額の寄附で事を収めることにした。パルニア公爵家もと示唆されたアレッサンドロは、アマリリスを一瞥し、ため息を吐き捨てた。
リリアンとパトリスは明日の朝には目覚めるが、ガエタンが目覚めるまで何日かかるかは分からないとのことだった。急に大きな魔法を使った影響で、体内の魔力量の戻りが悪いらしい。
リリアンは封殺の腕輪を付けられた。魔力が使えなくなる。大変不名誉なことで、特に女性は結婚相手がいなくなると言われていた。気性が激しいだろうと敬遠されるためだ。
ガエタンも同様に腕輪を付けられた。こちらは制御の腕輪で、一度に使える魔力の量に制限がかかる。魔力量が多過ぎる者にも使うため、ある意味名誉なことだが、ガエタンの年齢では制御ができない者という印象になる。
今代の公爵家が十歳の魔力量検査で集まるのはこれで三回目だったが、こんな事は初めてで皆苛つきを隠せなかった。
「リリアン様は幼い頃から元気いっぱいでしたものね。勇敢な騎士を目指されるのが宜しいのではなくて?ガエタンを鼓舞させるのもお上手だったようで。さぞご活躍でしょうねぇ」
ガエタンの母ジュゼリーヌ・ガネリアは怒っていた。順風満帆だったガエタンが悪童の証、腕輪をつけられたのだ。何より、紅龍から預かったシバが行方不明だった。
「まあ、ジュゼリーヌ様、私にはもう一人娘がおりますのよ。今日は連れて来れませんでしたけど、あの子の魔力量は私を超えておりますわ」
ジュゼリーヌはリリアンの所業を詫びるでもなく、自慢げに話し出したアマリリスに眉を顰めた。
「アマリリス様、いつお産みになったのか存じ上げませんが、来年はサンドリアン様が検査にいらっしゃいますでしょう?アマリリス様にお会いできなくて残念ですわ」
アマリリスの義姉、マンデリンが険悪な二人の間に入ってきた。
「あら、もう一人の娘の検査の時にぜひいらして。あの子に比べたら私の魔力なんて無いに等しいわ」
マンデリンは魔力量が貴族にしては少なめで、アマリリスの半分くらいの量だった。
「あら、キオニアの妹姫ともあろうお方がそのような根拠のないことを。キオニアがいくら魔力に敏感だからって、検査結果が出るまでは分からないのよ?」
「マンデリンお義姉様、それはもちろんですわ。ですが、あれだけの威圧感があるんですもの。私以上なのは間違いありませんわ」
「アマリリスもマンデリンもやめないか」
キオニア公爵が止めに入った。アマリリスの兄で、パトリスの父、そしてマンデリンの頼りにならない夫。
「あなたがそうやって何でも丸く収めようとするから、頼りないと言われて未だに領民に妹姫待望論があるのよ!行政に気を配る私よりも魔力量が多い方が良いんですって!私がどんな気持ちで日々過ごしているのかご存知よね?」
そこへ聖堂の職員が入ってきた。険悪な雰囲気を察したが、貴族の揉め事に口を出しても良いことはない。職員は笑顔を絞り出した。
「皆さま検査の準備が整いました。お待たせして申し訳ありません。眠ったままでも検査はできますので診察室に機械を設置させていただきました。では皆さまこちらへどうぞ」
「あら、気絶したままでも検査してもらえるなんて、義務が果たせそうで安心しましたわねぇ、アマリリス様」
マンデリンがそう言うと、アマリリスは何も言わず、夫のアレッサンドロも置いてさっさと歩いて行ってしまった。
他の公爵夫妻とアレッサンドロはアマリリスの後を追った。雰囲気に呑まれて元気がなくなってしまったソフィーも続いた。診察室にやっと来ることができたソフィーがルリに会いに行くと、ベッドの中は空だった。
「ルリ?どこにいるの?」
ソフィーは布団を捲ったり、ベッドの下を見たりしてルリを探したがどこにもいなかった。
その頃、ジャンに保護されたルリは、シバと一緒にシロの泉の中にいた。ドニにニーナの癒しの魔力玉を預けて適宜使うよう頼み、ジャンはニーナの部屋へ戻った。
「焦った。ルリ、なんの治療もされてなかったよ。見に行ってよかった。リリアンたちはまだ眠っていたから来るなら明日かな。ルリのこと、アンナが気づいてくれて助かったよ」
「よかった。眷族の方々は人とは違うのかも、もしかしたら、と不安になってしまって。でも、間に合ったのなら安心だわ」
「眷属になった時に龍の血を貰ってるから、人の治療法では無理なのかもしれない。あ、言っちゃいけないんだった」
「そんな秘密を聞いてしまって今恐ろしく動揺しているわ。でも誰にも言わないから安心して」
「アンナはニーナを共に育てた仲間だし、信頼しているよ」
「!光栄です」
アンナはジャンも自分を仲間だと思ってくれている喜びで胸がいっぱいになった。
ジャンは人の気配を感じて隠伏の魔法で自身を隠した。ニーナの部屋の扉が開いた。
「やっぱりここにいたわ。アンナ、アマリリス様がお呼びよ」
「分かりました。すぐ参ります」
「こっちよ。急いで」
アマリリス付きの侍女の案内で部屋へ向かう。
「機嫌がすごく悪いわ。これ以上悪くならないように心がけて」
「ご忠告ありがとうございます」
聞いてもどうにもならないけどと心の中で呟いて、部屋のドアを開けた。
「アンナ、そこへ座って」
「失礼します」
侍女は本来立っているものだが、機嫌が悪い時は素直に従うのが一番だ。
「ニーナは元気にしているかしら」
「はい。今はお休みになっていますがお元気です」
「そう。明日から家庭教師をつけるわ。しっかり学ばせてちょうだい」
「えっ」
「なによ。分かるでしょう?あとは新しくニーナにつけた執事に聞いてちょうだい。もう戻っていいわ。いいわね?しっかりと育てるのよ」
「承知しました」
アンナはお辞儀をして部屋を出た。別の侍女に案内されて執事に会いに行った。
アンナがニーナの部屋に戻ると、心配そうな顔をしたジャンが待っていた。
「アマリリス、何の用事だった?」
ニーナに執事が付き、その手配で明日から家庭教師が来ると伝えた。
「ニーナの生活環境が改善するかもな。部屋も移動になるかもしれない。亜空間との繋がりは一度切ろう。切る前に大切なものは亜空間にしまっておいて、と。待てよ、明日の朝リリアンが来るかもしれないんだよな」
ジャンとアンナはニーナが大切にしているものをゾーイの家に運び込んだ。ちょうどゾーイの家にドニがいたので、ニーナをドニに預けることができた。
翌朝アンナは早めに起きて朝ごはんの支度をしていた。ジャンは徹夜でリリアン襲来に備えていた。そろそろ日が昇り始めるという頃だった。
「バン!」
扉が勢いよく開かれると、リリアンがいた。部屋の中をぐるっと見回す。ジャンとアンナは隠伏魔法で隠れていた。
「あの女、朝からどこに行ったのよ!炎を浴びせてやろうと思ったのに!」
リリアンの腕には見たことのない腕輪があった。
「まったく、腹が立つわ!ガエタンのせいで私までこんな目にあうなんて!中庭で魔法を使っちゃダメだなんて、何のためにあんなに広い場所があるのよ!」
リリアンは誰もいないベッドに炎玉を放った。以前よりかなり小さな炎玉。ベッドに火がつき燃え始めた。燃え始めたのを見て、リリアンは炎玉を撃つのを止めた。
「お母さまにも怒られちゃったじゃない!サンドリアンにも笑われたし!なんなのよ!」
小さな炎玉しか撃てず、いつも以上に苛ついた様子のリリアンは急に黙った。突然クルッと後ろを向くと乱暴にドアを閉めて出て行った。
「やっぱり来たか。思ったよりあっさり出ていったな」
ジャンはホッとした様子だった。
「リリアン様の炎玉、なんだか小さくなっていたわ」
アンナは魔法で水を出してベッドの火を消した。この布団はもう使えない。
「聖堂の封殺の腕輪だと思う。コウさまの提案で作られたものなんだ。魔力を使おうとすると龍の魔力で相殺されて魔法が全く使えないはずなんだけど……質の悪いのが紛れてたのかな?……炎の魔法使いだからかな?」
「炎の魔法使いの破壊衝動は激しいと聞いているわ。コウさまに相談する?」
「そうだね。リリアンの腕輪の件、ちょっと報告に行ってくる。いつまで腕輪を付けられているのか分からないけど、今まで通り二人を会わせないように気を配ろう。はぁ、早くニーナの十歳の誕生日が来てほしいよ」
ジャンはゾーイの家を通ってコウに会いに行った。腕輪を見てみないと分からないけど、執念だろうね、と聞いたジャンは改めて気を引き締めた。