5 姉、リリアン
人型になったジャンとニーナのお世話をするようになって、アンナは会話ができる喜びをひしひしと感じていた。
まず、作業が効率的になった。分担も速やか、進捗も分かりやすい。アンナが判断を迷う場面で的確に指示をしてくれるのが実にありがたい。
パルニア邸の同僚から煙たがられているアンナに前向きな言葉をかけてくれる。ニーナの可愛らしさを、ニーナの成長を、共に喜び、分かち合える。心強い味方、仲間。アンナは幸せだった。
ジャンは虹猫という虹龍さまにお仕えしている特別な存在だった。アンナがジャン様と呼んだら、ジャンで良いよ、敬語も要らないと言われ、以前からの友人のように過ごしている。
いつものようにニーナと午後の時間を過ごしていると、激しく音を立てて扉が開いた。最近少し背が高くなったリリアンがノックも無く部屋に入ってきた。
ニーナを見つけると、何も言わずに炎玉を撃ち始めた。嬉しそうな横顔。部屋の中にいたアンナは止めようとしたが、ジャンは首を横に振った。
「やっと見つけたわ!どこに行っていたのよ!私の目を誤魔化そうったってそうはいかないんだから!お母さまの娘は私だけなんですって。あなたは要らない子なのよ。あのサンドリアンってやつだってそう。嫌なやつ!お父様、あんなに嬉しそうにしちゃって……」
悔しそうに口をキュッと閉じたリリアンは、いくつもいくつも握り拳くらいの炎玉を撃った。今日は父の愛人ドリアーヌと、父によく似た男の子、サンドリアンが本邸の下見に来ていた。
炎が消えた。ニーナは今回も無傷だった。ニーナが読んでいた本も、周囲の家具も燃えなかった。
「やっぱり!なぜだかわからないけどあなた死なないわね。思いっきり人に撃てて楽しいわ!炎の魔法使いは不自由だわ。ここではダメ、あそこでもダメ……思う存分力を解放したいのに!でも、私にはあなたがいる。あなたなんかどうなったって良いんだもの。誰にも愛されてないのよ?私の役に立てて良かったわね。ふふっ、実の母に嫌われているのはどんな気分?あはは!あはははは!!……もういいわ」
アンナはゾッとした。たった一人の妹に向かってなぜそんなに酷いことが言えるのか。ニーナはしっかりしてはいるが、見た目はまだ幼い、とても可愛らしい女の子だ。
炎の魔法で理性が焼き切れた者の話を母から聞かされたのを思い出した。炎の魔法使いには本能的な破壊衝動があるんだそうだ。他の者には想像できない激しい衝動だと言っていた。リリアンは危険だ。
アンナが急に黙ってしまったリリアンに声をかけようとするとまたジャンが止めた。首を横に振る。リリアンはジャンとアンナの存在には気づかないまま、部屋から出て行った。リリアンが近付くのを感じ取ったジャンが隠伏魔法で隠していたのだ。
「ごめんなさい。驚いた?」
「ニーナ様!」
アンナはニーナを抱き上げた。
「お守りできず申し訳ございません。お怪我は?」
「大丈夫。毎日私を探していたから一度くらい、と思って。お母さまとおでかけしたとか、ドレスを買ってもらったとか、色々言いながら部屋の前を通るでしょう?気の毒になってしまったの。それに、結界魔法の良い練習になると思って。私の姿を見せたのはわざとだから」
「わざと?ニーナ様、そちらへ座っていただけます?いくら危なくないと言っても、ニーナ様ご自身がご自分を大切にしなくてどうするんです?」
その後のアンナのお叱言は、意外と長かった。
アンナはこの事を侍女頭のプリムに報告するかどうか迷っていた。リリアンは危険な魔法使いになりかかっている。ただ、ニーナがなぜ無事なのかうまく説明できる気がしない。
それにアマリリスはニーナの育児は放棄しているが、リリアンのことは可愛がっている。危険だと伝えて信じてもらえるだろうか。虚言を言い訳にもっと酷いことをされるかもしれない。
ニーナの安全を第一に考え、報告をするのはやめた。プリムも万能ではない。最強の味方、ジャンがいるし、ニーナの成長は著しい。
ニーナの誕生日。今年もジャンとアンナは精一杯祝った。家人は誰も声をかけてこなかった。
「ニーナ、お誕生日おめでとう!早速だけどこれ、美味しいよ。どうぞ」
「ジャン、ありがとう!それはなあに?」
「ニーナ様、魚のパイ包みですよ」
「最近魚料理が多いね。わあ!美味しい!アンナは天才料理人よ!」
「まぁ、光栄ですわ」
アンナはしばらく前から料理をするようになっていた。ニーナの空間魔法が上達したのがキッカケだった。
離れた所にある二つの部屋と部屋を扉を介して空間魔法で繋げる実験。ジャンが手伝ってくれて、どこかのキッチンと部屋に新しく作った扉とを繋げた。
「そう言えば、ここはどこのキッチン?」
「ゾーイの家だよ。コウさまの許可は取ったから大丈夫だよ」
「ゾーイ?」
「コウさまの元お世話猫だよ。今はいないけど、ネオコルムでは有名なんだ。キッチンの中だけだけど、安心して使っていいんだよ」
食材はいつも豊富だった。それに亜空間にあるゾーイの家のキッチンは時間の流れがない。
「空間魔法便利です!作っておいたものは温かいままですし、食材は傷まないし。本当に素晴らしいです!!」
アンナは踊り出すかと思うくらいご機嫌だった。
アンナは野菜スープをニーナの前に置いた。
「ニーナ様が一緒じゃないと私が入れないので、お手間をかけてしまいますけど、使い勝手が良いキッチンで助かります。そういえば、どなたが食材を用意してくれるんですか?お支払いは?」
「ドニだよ。お世話猫大会、歴代最高得点のお世話猫が選んだ、最高の食材だよ。まあ、もふもふ度の部門だけど……食材は、ネオコルムのものだから新鮮で安全安心。お代は不要だよ。ドニ、やり手だから大丈夫。ユーエラニアの食べ物はなんか元気がないんだよな。魔法で育ててるのが原因だと思うんだけど、なんとも残念なことだよ」
「植物の成長の速さを魔法で変えるの?」
「魔法農法って言って、自然農法の十倍の速さって言ったかな。土魔法の得意な人が何かするとあっという間に育つらしい。ユーエラニアは人も多いし、供給が間に合わないんだろうね。他の国から仕入れると言っても、ネオコルムしかないし。まあ、どっちが良いとは言わないけど、味はネオコルムの方が好きかな」
「私もそうかも。でも、アンナのお料理が上手なのが美味しい理由かもよ?」
アンナは「ありがとうございます」と言って、弾むように次の料理を取りに行った。耳の後ろが赤かった。
ニーナは食べ終わると髪を結ってもらった。最近は一本に編んでもらうのがお気に入りだ。ジャンが隠伏魔法をかけてくれるので、誰かに会う心配もなく敷地の中ならどこへでも行ける。
敷地の外に出るのは面倒な事になりそうでまだ試してはいない。今日は久しぶりに図書室へ向かった。
ジャンは本棚の間を行ったり来たりしていた。
「うーん。なんでこんなに散らかってるのかな?片付けない家なのかなぁ?」
「バンッ!」
図書室の扉が開いた。ジャンは咄嗟に隠伏魔法でニーナとアンナを隠した。
「なんで本を読まなくちゃいけないの?」
リリアンだった。見たことのない女性と一緒だ。
「リリアン様はパルニア公爵家をお継ぎになる方です。お立場に相応しい知識を学んでいただきたく」
「うるさいわね!なんの役に立つのよ!どうせサンドリアンが継ぐんでしょう?」
リリアンはバーン!と扉を蹴った。怯えた目をした女性を横目で見て、リリアンはフンッと体の向きを変えて出て行った。
「もう無理だわ。そうよね。良いお給料には理由があるわよね……もう、諦めるわ」
女性は疲れきった様子で出ていった。他の侍女に話を聞いてきたアンナによると、既に五人目の家庭教師なんだそうだ。
普段はアンナに冷たい同僚も思わず話したくなるくらい、今のリリアンには手を焼いているらしい。義弟のサンドリアンが父親のアレッサンドロと楽しそうに過ごしているのを見た後は特に荒れる。
それはそうだろう。ニーナに嫌な事しかしてこない相手ではあるが、その点は同情する。とは言え、まともな交流はないのだから、これからもニーナとリリアンが出会わないように気を配ることにした。
一人しかいない姉とはいえ、通常の姉妹のような交流は難しいだろう。赤ちゃんの頃から炎玉を撃ってくるような姉、ボクは嫌だな。ジャンが寂しそうにそう言って、アンナも悲しくなってしまった。
せめて自分たちはニーナが寂しくないように努めようと話し合って握手をし、決意を新たにしたこともあった。
ジャンは図書室の入り口が閉まるのを見て、困ったように笑った。
「図書室は安全ってことかな?あの炎の子、読書嫌いそうだね」
ジャンに愛想笑いを返したニーナは、
「読書、楽しいのにね」
と落ちていた本を拾って棚に戻した。
引き続き面白そうな本を探すついでに、バラバラだった本の並びを整えた。続き物の物語の最終巻だけなかったり、歯抜け状態だったり。あまり本の収集に力を入れていないのは明らかだ。
「足りないところはボクが手に入れるから、読みたいのがあったら言ってね。新しい本もあるし、空間魔法で図書室作っちゃう?」
ワザと明るく言ってくれるジャン。ニーナは本と自分を重ねて寂しくなっていた。顔に出ていたんだろう。
「図書室にも空間を繋げておこうかな。何かの役に立ちそう」
ジャンは図書室に秘密の扉を作った。
部屋に戻ったニーナはジャンから本を手渡された。
「はい、ニーナ。コウさまからお借りしたルドルフの日記だよ。人と猫族の関わりについて書いてあるから、今後の参考にどうぞってコウさまが。読む必要のないとこは飛ばして読んでねって。えへへ。渡すの忘れてた」