21 始まり
『マリーの手記』
最初彼を見つけたのは川の中だった。川に沈んでいるのを見つけて驚いた。急いで川の中に入っていって助け上げた。
もう溺れていてダメかと思ったけど、全然大丈夫だった。不思議な子。白くて美しい子。名前を聞いたけど名乗らなかったから、「シロ」と名前を付けた。父親が嬉しそうに「やっぱりこの白が一番だ」と言ってたのをふと思い出したから。
私たちは来る日も来る日も遊んだ。全く会えない時もあったけど、家を教えたら「あーそーぼー!」と来てくれるようになった。可愛かった。
どんな風に遊んだら喜んでもらえるか、楽しかったからまた遊びたいって言ってもらえるか、いつもいつも考えた。
シロは私が大きくなるのに合わせているかのように、少しずつ背が高くなった。男の子なんだ、と意識した時から上手く笑えなくなった。でも、シロは私が笑えているかどうかなんて気にしていなかったと思う。
一緒に地面に寝転がって空を眺めた。雲の動きを面白がる彼はとても綺麗。何をしていても美しい。私とは違う。惨めだ。
ある日、家に知らない男の人が訪ねて来た。私と二人で話したいと言う。母が心配して扉の向こうで隠れていたけど、魔法で土の分厚い壁を作られたから中の話は聞こえなかったと思う。
その時はもうダメかもしれない、最期にシロに会いたかった、と思った。でも全然良い人で、聞いた話の内容が最悪だった以外は大丈夫だった。
その男の人はシロと同じ種族の人で、人とその種族は子を成せない、それでもよければシロと添い遂げる事も可能だと言った。
そんな事考えた事もなかったから驚いたし、急に子どもの事を知らない男の人に言われて恥ずかしかった。
その男の人はもちろんシロが望むなら、と付け加えた。それはそうだ。二人が望まなければその先はない。私はなんとなく、シロはそんな風に望まないんじゃないかと思った。
私に礼を言うと、土の壁をきれいに片付けた。なんなら前よりきれいになった。その男の人は、
「急にすまなかったな。内緒にしてもらえると助かる」
そう言って、結局名乗らずに帰っていった。
シロのことは好きだと思う。でもあんなに綺麗な人の隣に立つのは勇気がいる。街でシロといるのを見た女の子に嫌味を言われた事もあった。
「よく一緒にいられるわね。恥ずかしくないのかしら。あんなので」
綺麗に着飾っている女の人だった。私が着ていたのは、シロの服装と大して変わらなかったと思うけど、着てる人によるのかもしれない。私だとダメなのか。
優しい男の人に声をかけられた。私の事を気に入ったと言ってくれた。思い切ってお付き合いをしてみる事にした。シロに嫉妬されたい。私にはこのくらいの男の人の方が合ってる。いくつもの言い訳が頭を過った。
恋人との時間は楽しかった。私を着飾ってくれたり、遠い海の向こうの国の話を聞かせてくれたり、美味しい食事をご馳走してくれたり。
彼は船乗りだった。次の航海が終わったら私と結婚したいと言ってくれた。小さな家を買って、庭には木を植えて、子どもは二人くらい、記念日は夫婦だけで食事をしよう。
彼が航海に出る日、私は彼にお金を持たせた。船が立ち寄った先で、私たちの家で使う食器を買って来ると彼は言った。
私たちは涙ながらに別れた。その後彼からの連絡は二度と来なかった。
住んでいた国で隣国の炎の魔法使いが暴れた。何人も突然来て国中を燃やした。
その頃私の一族は国中に散らばっていた。中には違う国に行っていた者もいた。母親は家にいたけど、父や兄、姉たちはその日も旅に出ていた。
私の家族は龍に魅入られた画家だ。
龍の目撃情報を聞くと出かけていってその土地で絵を描く。絵を売っては龍を探す。その先で出会いがあって結婚したり、子を持ったり。私は絵を描かないので、家族の気持ちを理解するのは難しかった。
国が燃えている。一族はバラバラ、母ともはぐれてしまってどうしたらいいか分からなかった。
「マリー!」
シロだ。シロが助けに来てくれた。
「シロ!ここは危ないわ。でもどこに逃げたらいいかも分からないの。家族は仕事で国中に散らばっているし、どう助けたら良いか分からない。いっそ国ごと安全なところへ逃げたいくらいよ」
「そうだな……じゃあ、国ごと逃げようか」
私はこの時シロに助けを求めた事をずっと後悔している。その時は余りにも大きな魔法を目の前で見て、呆然とするしかなかった。
大地が切り取られ、宙に浮いた。大きな地震。地面に縫い付けられるような重圧感。急に体が軽くなった後はゆっくりと上昇して雲を越えた。
シロが戻ってきた。龍から人になったように見えた。一瞬だったけどあまりの美しさに一族が追っている理由がわかったような気がした。
「マリー、マリーの家はどっち?」
私は言葉もなく案内した。燃えていてもずっと住んでいる街だから家の方向は分かった。
シロは魔法で火を消していく。シロと一緒に来たもう一人が次々と人々を眠らせた。家の外で母が行き交う人の中に私を探していた。
「マリー!無事だったのね!」
母に抱きしめられて、ほっとした。
「じゃあマリー、またね」
そう言って、シロたちは目の前で龍の姿になって飛んでいった。
私と母はシロと過ごしたことがあったせいか、街の人たちと違って眠らなかった。街の人々はほとんどが眠っていて龍が飛んだ姿を見た人は僅かだった。
母は今までに見た事もないほど興奮していて、すぐに絵を描き始めた。何枚も何枚も。狂ったように。これが画家というものか、と思った。
シロともう一人の姿絵や龍の絵。私はその絵があまりにそっくりで、母の才能を初めて羨んだ。今まで会っていたのが龍だったなんて。もっと早く気づいていれば!母は描いて描いて描きまくった。
しばらくすると家族が家に帰ってきた。ただ、父は戻らなかった。国境の外に行くと兄に言い残していたそうだ。私は泣いた。私が龍に願ったからだとは言い出せなかった。
ある日、家の扉を乱暴に叩く人がいた。
「俺は見た!お前の家から龍が飛び立ったのを!」
「俺は聞いた!お前が龍に国ごと逃げたいと願ったと!」
「俺はお前のせいで息子と会えなくなった!目の前に膜が張られて、息子はいなくなったんだ!」
毎日毎日家に来ては怒鳴って帰っていく。
家族と夜に紛れて引っ越した。どこに引っ越しても彼らは追ってきた。彼らは訳の分からない事を言う人たちと敬遠された。その彼らに付き纏われる私もついでに敬遠された。買い物をしようと声をかけたら、無視されたこともあった。
哀れに思ったのかパンを投げて寄越した人がいた。惨めだった。私は良いからあなたが食べなさい。そう言っていた母がついに亡くなった。
私は母を聖堂に背負っていって、埋めてもらった。聖堂で食べ物を貰えると知って泣いた。
母が残した絵を絵本にした。私が彼の愛しい子だったらみんな幸せになれたのかもしれない。絵本の中では幸せになりたくて、誰かの愛しい子になりたくて。
珍しく優しく扉を叩く音がした。扉を開けると大人の姿になったシロが居た。私の胸は高鳴った。
「マリーのお母さんですか?マリーは?」
その時の私は、咄嗟に母の振りをするしかなかった。
「今留守にしているの。何かご用かしら?」
「僕マリーの友だちのシロって言います。結婚の祝いにマリーにこれを渡したくって」
龍は私たちと時間の流れも違うのかもしれない。
シロはとても美しい凝った細工の飾り箱をくれた。
「まあ、綺麗ね。ありがとう。マリーに渡しておくわね」
「お願いします。「結婚おめでとう」ってマリーに伝えてください。引越し先を探すのに時間がかかって、遅くなってしまいました。ではこれで」
「ありがとう」
私はなんとか笑顔のまま玄関でシロを見送り、ドアを閉めた。途端に堪えていた涙がこぼれ落ちる。年齢を重ねた自分と、美しくあの頃のままのシロ。
やはり私とは違う。死ぬ前にもう一度会えてよかったと考えよう。共に生きる事は元々叶わない願いだったのだ。
私は気がすむまで泣いた。でも、涙はちゃんと枯れた。飾り箱は開けないまま紙で包んで紐で縛って、衣装箱の一番奥に入れた。
私は生きていくために絵本を売る事にした。母の絵を真似て何冊も絵を描いた。国中に散らばった一族は龍に魅せられたままで、絵本の事を知ると多めのお金で買ってくれた。
街を歩いていたら、シロに貰ったのと同じような飾り箱を置いている店があった。店主に聞くと龍に材料を貰ったと言う。
「魔力がこもった材料を持ってきて、飾り箱を、と依頼されたんだ。出来上がった飾り箱に綺麗な石を入れて確かめていた。支払われた代金が多すぎたから慌てて店の外へ行くと、龍が飛び立ったところだった。あんたは信じてくれるのかい?」
と、興奮気味に語った。
店主に絵本を見せると、シロと一緒にいたもう一人だった。店主に、絵本に飾り箱の絵を加えて宣伝しないかと誘うと、かなり精巧な絵を見せられた。私の絵より上手い。店主に絵を描いてもらって、龍の飾り箱と宣伝してたくさん売った。
私はなんとか生きてきた。体が弱ってきたのを感じて、今こうして記録を残している。誰が読むとも知れないけれど、私の気持ちを文字で残したいと思った。私のせいで人生が歪んでしまった人、絶望した人、この国の全ての人に謝りたい。
不思議だ。こうして文字で書くとその人たちに気持ちが届くような気がする。本当に、ほんとうにごめんなさい。
燃えさかる炎から逃げ惑う中で、私が願ったのは家族の無事だった。それだけは伝えたい。もう充分罰は受けたと思う。
なりふり構わず、私は精一杯生きてきた。今となっては稀有な体験をすることができたと思っている。飾り箱と絵本のおかげで、不自由なく暮らせる資金も得られた。今、私は満たされている。
願わくば全ての人が幸せでありますように
シロの未来が明るいものでありますように
マリーは手記を閉じると、販促用の絵本と一緒に本棚に並べて置いた。
次回、最終話です。




