お三音
「お三音!ほら、見て御覧よ!」
料理茶屋「壽美屋」を営むお壽美が、しなを作って見せる。
「あんたが、生まれて初めて作った簪だよ!覚えてるだろう?」
使用人のお三音は、お壽美の髪に揺れるすずらんの簪を見て驚いた。
「な、何年前の話ですか!まだ、持っていてくれたの?」
「当たり前だろ?あんたは勿論だけどさ、これはあたしとうちの人にとっても忘れられない、大切な大切な簪なんだよ…」
切なげに笑う、お壽美。
お三音は格子窓の外の蒼い月夜を眺めながら、あの日の記憶を手繰り寄せていた。
「いらっしゃい!おじちゃん、何をお探しだい?これとこれとこれはねぇ、あたしのこさえた品物だよ!」
お三音の両親は、小間物屋を営んでいた。
細工の出来が評判で、わざわざ他藩から旅人も買いに来るほど繁盛していた。
両親の手先の器用さを受け継いで、お三音も幼い頃から見様見真似で小間物を作り、ままごと代わりに店頭に並べて、実際おひねり代わりに買って行ってくれる客もいた。
「へえ…嬢ちゃん、随分と器用なんだなぁ」
「そうだろう?あ!おじちゃんには、この手裏剣の形の根付がお似合いだよ!」
「え…手裏剣?」
「おじちゃんからは、何だかただならぬ気を感じるもの!何かの物の本で読んだけど、忍術や忍法を自在に操る忍びの者ってのが、何処かにいるんだってね!あーあ、あたしもこの店がなけりゃあ、真っ先に忍びに弟子入りするんだけどなぁ…」
憧れの忍者に、思いを馳せるお三音。
客の男は、笑いながら手裏剣の根付を手に取った。
「嬢ちゃん、これ貰うよ。それから相談なんだが、女房と夫婦になってから数年になるが、仕事が忙しくて中々気に掛けてやれなくてな…何かあいつに買ってやりてぇんだが、おすすめはあるかい?」
お三音は、ぱっと顔を明るくした。
「おじちゃん!見掛けによらず、奥さん思いなんだねぇ!分かった!あたしが、生まれて初めての簪をこさえたげるよ!こちとら素人の品だから、お代はいらない!どう?」
「そりゃあ、嬢ちゃんに悪いよ…」
「いいの!あたし、おじちゃんと奥さんに貰って欲しい!」
客の男は、力強く頷いた。
「それなら、御言葉に甘えさせてもらおう」
お三音は、生まれて初めて簪をこしらえた。
すずらんが小さく揺れる、それは美しい簪だった。
客の男に渡す筈だった、今日…。
「いいからあんたは御逃げ、お三音!奥の作業場に、まだお父っつぁんがいるんだ!あたしはあの人を連れて、必ず戻るから!だから、あんただけでも逃げるんだよ!」
「嫌だっ!おっ母さんと、一緒にいる!」
母は、箱に入ったすずらんの簪をお三音に持たせた。
「今日、あのおじちゃんに渡すんだって、あんなに張り切っていたじゃないか!お父っつぁんだって、褒めていたろう?初めてで、此処まで作れる職人はいないって…お三音に任せれば、うちも安泰だなって…ごほっ…ごほっ…」
煙はどんどん広がって行き、火はどんどん燃え盛って行く。
近所の、貰い火だった。
この辺りの一画は、既に火の海である。
火消し達が家を取り壊して回ってはいるが、全く追い着かない。
「ほら、早く!大丈夫だよ、必ず戻るから!さあ、お行き!」
お三音を入口の方へ追いやると、母は奥へと姿を消した。
「おっ母さぁーんっ!お…お父っつぁーんっ!」
泣きじゃくるお三音を、外にいた近所の人達が力ずくで引きずって行く。
一晩でお三音は、全てを…失った。
「おい、お三音…お三音?」
お壽美の夫であり、裏家業の筋の者達からは鬼と恐れられている、忍びの鬼一の声でお三音は我に返った。
「え…あ、あれ?だ、旦那様まで手裏剣の根付、まだ付けて下さってるの?何よお、二人とも…」
「何よお、じゃないでしょ?あんたも来るのよ、お三音!」
お壽美にそう言われて、お三音はきょとんとする。
「ど、何処へ?」
二人は、顔を見合わせる。
鬼一はお三音の肩にそっと手を置き、顔を覗き込むと少し泣きそうな顔で言った。
「済まなかったな、お三音…すっかり、待たせちまった…」
途端に、お三音の意識が当時と重なる。
「済まなかったな、嬢ちゃん…すっかり、待たせちまった…」
客の男…鬼一はお三音の肩にそっと手を置き、顔を覗き込むと少し泣きそうな顔で言った。
星の瞬く、早瀬川の河川敷。
蒼い月が、二人を静かに照らしている。
「遅いよ、おじちゃん…店も…お父っつぁんも…おっ母さんも…みぃーんな…みぃーんな無くなっちまったよ…っ、ひっ…く」
無理矢理笑顔を作るお三音の目から、涙が零れ落ちる。
「それだけは…守ってくれたん、だ…な?」
煤けた箱を見て、鬼一も言葉を詰まらせる。
「だったら、嬢ちゃん…お前さんが直接、うちの女房に渡しちゃあくれねえか?」
「この人がね、やっと長期の休みが今日から取れる事になったんだよ。それでさ、すっかり待たせちまったけど…お三音、あんたの御両親の墓参りに揃って行こうって事になってね」
「御二人の血を受け継いだお嬢さんの品物は、今もこうして大事に使わせてもらってる。そして忍びの鬼一の一番弟子として、立派に任務をこなしてくれてますって報告しなくっちゃな」
「何年も御無沙汰して、本当に悪かったね…お三音」
照れ臭そうに笑う両親代わりの忍びの夫婦を、お三音は溢れる涙で見つめる事が出来なかった。
「な、何だい…っ、二人して…これ以上、喜ばせ、たって…もう、みぃーんな無くなっちまったん、だから…何も、あげられりゃ、しないよ…っ」
肩を震わせるお三音の体を、お壽美はきつく抱き締めた。
「あんたが、生きててくれて良かったよ…お三音…」
「あんたが、生きててくれて良かったよ…お嬢ちゃん…」
煤で汚れたお三音の体を、お壽美はきつく抱き締めた。
その髪には、出来立てのすずらんの簪。
側で二人を見つめる鬼一の帯にも、手裏剣の根付が揺れている。
格子窓から、蒼い月が顔を覗かせた。
「もう一度…幸せになっても…いいんだよ…ね?」
お三音は、生きて行く。
今日も、明日も、そして…明後日も。
ー 完 ー