表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/4

お三音

「お三音(みね)!ほら、見て御覧よ!」


 料理茶屋「壽美(すみ)屋」を営むお壽美が、しなを作って見せる。


「あんたが、生まれて初めて作った(かんざし)だよ!覚えてるだろう?」


 使用人のお三音は、お壽美の髪に揺れるすずらんの簪を見て驚いた。


「な、何年前の話ですか!まだ、持っていてくれたの?」


「当たり前だろ?あんたは勿論だけどさ、これはあたしとうちの人にとっても忘れられない、大切な大切な簪なんだよ…」


 切なげに笑う、お壽美。


 お三音は格子窓の外の蒼い月夜を眺めながら、あの日の記憶を手繰り寄せていた。





「いらっしゃい!おじちゃん、何をお探しだい?これとこれとこれはねぇ、あたしのこさえた品物だよ!」


 お三音の両親は、小間物屋を営んでいた。


 細工の出来が評判で、わざわざ他藩から旅人も買いに来るほど繁盛していた。


 両親の手先の器用さを受け継いで、お三音も幼い頃から見様見真似で小間物を作り、ままごと代わりに店頭に並べて、実際おひねり代わりに買って行ってくれる客もいた。


「へえ…嬢ちゃん、随分と器用なんだなぁ」


「そうだろう?あ!おじちゃんには、この手裏剣の形の根付がお似合いだよ!」


「え…手裏剣?」


「おじちゃんからは、何だかただならぬ気を感じるもの!何かの物の本で読んだけど、忍術や忍法を自在に操る忍びの者ってのが、何処かにいるんだってね!あーあ、あたしもこの店がなけりゃあ、真っ先に忍びに弟子入りするんだけどなぁ…」


 憧れの忍者に、思いを馳せるお三音。


 客の男は、笑いながら手裏剣の根付を手に取った。


「嬢ちゃん、これ貰うよ。それから相談なんだが、女房と夫婦(めおと)になってから数年になるが、仕事が忙しくて中々気に掛けてやれなくてな…何かあいつに買ってやりてぇんだが、おすすめはあるかい?」


 お三音は、ぱっと顔を明るくした。


「おじちゃん!見掛けによらず、奥さん思いなんだねぇ!分かった!あたしが、生まれて初めての簪をこさえたげるよ!こちとら素人の品だから、お代はいらない!どう?」


「そりゃあ、嬢ちゃんに悪いよ…」


「いいの!あたし、おじちゃんと奥さんに貰って欲しい!」


 客の男は、力強く頷いた。


「それなら、御言葉に甘えさせてもらおう」





 お三音は、生まれて初めて簪をこしらえた。


 すずらんが小さく揺れる、それは美しい簪だった。


 客の男に渡す筈だった、今日…。


「いいからあんたは御逃げ、お三音!奥の作業場に、まだお()っつぁんがいるんだ!あたしはあの人を連れて、必ず戻るから!だから、あんただけでも逃げるんだよ!」


「嫌だっ!おっ()さんと、一緒にいる!」


 母は、箱に入ったすずらんの簪をお三音に持たせた。


「今日、あのおじちゃんに渡すんだって、あんなに張り切っていたじゃないか!お父っつぁんだって、褒めていたろう?初めてで、此処まで作れる職人はいないって…お三音に任せれば、うちも安泰だなって…ごほっ…ごほっ…」


 煙はどんどん広がって行き、火はどんどん燃え盛って行く。


 近所の、貰い火だった。


 この辺りの一画は、既に火の海である。


 火消し達が家を取り壊して回ってはいるが、全く追い着かない。


「ほら、早く!大丈夫だよ、必ず戻るから!さあ、お行き!」


 お三音を入口の方へ追いやると、母は奥へと姿を消した。


「おっ母さぁーんっ!お…お父っつぁーんっ!」


 泣きじゃくるお三音を、外にいた近所の人達が力ずくで引きずって行く。


 一晩でお三音は、全てを…失った。





「おい、お三音…お三音?」


 お壽美の夫であり、裏家業の筋の者達からは鬼と恐れられている、忍びの鬼一(きいち)の声でお三音は我に返った。


「え…あ、あれ?だ、旦那様まで手裏剣の根付、まだ付けて下さってるの?何よお、二人とも…」


「何よお、じゃないでしょ?あんたも来るのよ、お三音!」


 お壽美にそう言われて、お三音はきょとんとする。


「ど、何処へ?」


 二人は、顔を見合わせる。


 鬼一はお三音の肩にそっと手を置き、顔を覗き込むと少し泣きそうな顔で言った。


「済まなかったな、お三音…すっかり、待たせちまった…」


 途端に、お三音の意識が当時と重なる。





「済まなかったな、嬢ちゃん…すっかり、待たせちまった…」


 客の男…鬼一はお三音の肩にそっと手を置き、顔を覗き込むと少し泣きそうな顔で言った。


 星の瞬く、早瀬(はやせ)川の河川敷。


 蒼い月が、二人を静かに照らしている。


「遅いよ、おじちゃん…店も…お父っつぁんも…おっ母さんも…みぃーんな…みぃーんな無くなっちまったよ…っ、ひっ…く」


 無理矢理笑顔を作るお三音の目から、涙が零れ落ちる。


「それだけは…守ってくれたん、だ…な?」


 煤けた箱を見て、鬼一も言葉を詰まらせる。


「だったら、嬢ちゃん…お前さんが直接、うちの女房に渡しちゃあくれねえか?」





「この人がね、やっと長期の休みが今日から取れる事になったんだよ。それでさ、すっかり待たせちまったけど…お三音、あんたの御両親の墓参りに揃って行こうって事になってね」


「御二人の血を受け継いだお嬢さんの品物は、今もこうして大事に使わせてもらってる。そして忍びの鬼一の一番弟子として、立派に任務をこなしてくれてますって報告しなくっちゃな」


「何年も御無沙汰して、本当に悪かったね…お三音」


 照れ臭そうに笑う両親代わりの忍びの夫婦を、お三音は溢れる涙で見つめる事が出来なかった。


「な、何だい…っ、二人して…これ以上、喜ばせ、たって…もう、みぃーんな無くなっちまったん、だから…何も、あげられりゃ、しないよ…っ」


 肩を震わせるお三音の体を、お壽美はきつく抱き締めた。


「あんたが、生きててくれて良かったよ…お三音…」





「あんたが、生きててくれて良かったよ…お嬢ちゃん…」


 煤で汚れたお三音の体を、お壽美はきつく抱き締めた。


 その髪には、出来立てのすずらんの簪。


 側で二人を見つめる鬼一の帯にも、手裏剣の根付が揺れている。


 格子窓から、蒼い月が顔を覗かせた。


「もう一度…幸せになっても…いいんだよ…ね?」


 お三音は、生きて行く。


 今日も、明日も、そして…明後日も。


                                ー 完 ー

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ