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節分 (ベルンハルト視点)


「今年は、どうなさるおつもりでしょうか?」


年度の訓練内容を整理し、ようやく予算の算出に取り掛かろうとしたところで、副官のマルコが静かに口を開いた。その声音は、いつもよりも僅かに硬い。


「どうするとは、何の話だ?」


私は資料から視線を上げ、問い返した。大枠の予定はすでに決め終わっており、今さら変更が入るような案件があるとは思えない。


「今、兵達の間で囁かれている噂をご存知ですか?」


「噂だと?」


その言葉に、私は思わず眉を寄せた。噂話など、私が興味を持たないことは、マルコも重々承知しているはずだ。それでも話題に出してきたということは、無視できない理由があるのだろう。私は何も言わず、続きを促すように視線を向けた。


その沈黙を受け止めたマルコは、いつも以上に表情を引き締め、まるで覚悟を決めたかのように、重い口を開いた。


「昨年と同様の訓練が、再び行われるのではないかと……兵達が戦々恐々としているのです」


確かに、普段の訓練よりは負傷者が多く出た。治療が追いつかず、軽症者には自宅療養を命じる事態にもなった。だが、それは騎士団では珍しい話ではない。遠征や実戦を想定した訓練であれば、避けられない範囲の被害だ。そのため、私にとっては、あくまで「想定内」だった。


(……そこまで恐れる要素があったか?)


兵達が怯える理由が、どうしても理解できない。私が内心で首を傾げた、その時だった。


「失礼致します」


詳しい話を聞こうとした矢先、扉を叩く音が響いた。続いて扉が開き、入室の声と共に一礼したブライトが姿を現した。だが、部屋の空気を察したのだろう。私達が話の途中であると気付いた瞬間、彼は足を止めた。


「まだお話の途中でしたか。では、後ほど……」


「いや、構わん。用件は何だ?」


退出しようとする彼の言葉を遮り、私は息子を呼び止めた。仕事中のブライトが、親子の情で踏み込むことは決してない。それを誰よりも知っているからこそ、今ここに姿を現したという事実が、ただ事ではないと理解できる。そう確信した瞬間、私は父ではなく上官として、改めて彼を見据えた。すると、ブライトは正しかった姿勢をさらに正し、覚悟を固めるように口を開いた。


「兵達から嘆願が多数届いております。それをお伝えに参りました」


「嘆願、だと?」


ブライトには第一騎士団を任せており、各団長にも、それぞれの部隊を運営する裁量を与えている。だが、兵全体に対する権限までは持っていない。もちろん、各自が意見を述べること自体は許されているが、上からの命令には、たとえ無茶な要求であろうとも従うことが美徳とされている以上、それに異を唱える行為は越権と、未だにそう考えている者が多い。実際、そうした行動に出る者はほとんどいない。だからこそ、兵達が上官であるブライトに嘆願を寄せたという事実は、それだけ切実な状況であることを示していた。


しかし、ブライトは私とは違い、部下との距離が近い。そのうえ、基本的に優しい性格であることも、周囲にはよく知られている。だからこそ、兵達も声を上げやすかったのだろう。そう納得しかけた時、ブライトは一層姿勢を正し、兵達の嘆願内容を口にした。


「去年施行された臨時訓練を、今年は行わないでほしいとのことです」


マルコの話と一致する内容に、身構えていた私は静かに息を吐いた。深刻な事態を想定していただけに、拍子抜けした思いすらあった。


「……そこまでか?」


思わず漏れた疑問に、二人は揃って頷く。しかし、私は、あの訓練を悪いものだとは思っていなかった。


魔法は禁じてはいたが、剣の使用は許可していた。そのため、全てを避けることは出来ずとも、致命傷を防ぐ技術を身につけるには最適だと判断したのだが、二人の表情を見て、その考えが独りよがりだったことを思い知らされる。


そこにあったのは、陛下が浮かべていたものと同じ、拒絶と疲労が入り混じった表情だった。その事実が、否応なく私が見誤っていたのだと突き付けられた。そうした中で、私は陛下から告げられていた言葉を、そのまま二人に伝えることにした。


「今年は、既に陛下から中止するようにとの通達を受けている」


「そうですか……」


ブライトの声には、はっきりと安堵が滲んでいた。その背後で、マルコもまた、張り詰めていた肩の力を抜く。


(……それほど、か)


去年、商人達が豆を大量に仕入れたことで引き起こされた値崩れを受け、今年は豆の輸入制限が敷かれている。それ自体は、国として当然の判断であり、私にも異論はなかった。しかし、ここまで安堵されるほどの感覚が、どうしても腑に落ちない。


「理由を聞いても良いか?」


私はなおも理解が追い付かないまま、その様子を見つめていたが、問い掛けると、二人は一瞬だけ視線を交わす。やがて、言い出しづらそうに、重い理由を口にした。


「的が小さいうえ、数も多く……常人には対処が不可能だと……」


「悪夢を見る者も多く、未だに夜中に目を覚ます兵もおります……」


「……何故、そのようなことになる?」


思わず口をついて出た問いだった。


初めて人を斬り、その記憶に苛まれて眠れなくなる者がいる。それは理解できる。いや、騎士である以前に、人である以上、当然の反応だ。だが、今回の話はそれとは違う。


訓練の内容を思い返すが、自分の鍛錬不足を嘆くでもなく、ただ恐怖だけが残る。その在り方に、騎士として情けないという思いが胸を満たしかけた。しかし、私はその感情を、強く押し殺した。今、求めるべきは断罪ではない。


「原因は何だ?」


理由を知る必要があると問い掛けると、二人は揃って言葉を選ぶように沈黙し、やがて、何とも言いづらそうな表情で口を開いた。


「原因は、負傷者へ送られた豆だと……」


「……豆で?」


思わず声が裏返った。療養中の栄養補給を考えた、善意の差し入れだったはずだ。それが恐怖の象徴として受け取られていたとは、想像もしていなかった。


(……完全に、裏目に出たか)


言葉に詰まり、私は小さく息を吐いた。すると、その間を逃さず、まるで、これを機に人の常識を理解してほしいと言わんばかりに、副官のマルコが口を開いた。


「訓練内容も常人では不可能な面が多く、怪我の原因となった物を大量に送られれば、それは嫌がらせでしかありません」


きっぱりとした物言いだった。否定の余地がないほど、率直で、だからこそ胸に刺さる。しかし、理解はできても、それでも全てを否定するには惜しい。そのため、改善の余地があるはずだ。そう考え、私は再び口を開いた。


「豆ではなく、落花生に――」


「「お止めください」」


二人の声が重なった。私は思わず瞬きをし、次いで、二人から向けられている何とも言えぬ視線に気付く。


「その発想……アルノルド様に似てきています」


「……心外だ」


即座に言い返した。だが、その言葉の後に落ちた沈黙が、何より雄弁だった。そのため、私はそれ以上、何も言えなくなる。


(……この件については、諦めるしかないか)


そう結論付けた時点で、この話は終わった。

お読み下さりありがとうございます

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