クリスマスイブ (部下視点)
「さて、どうしたものか…」
ペンが擦れる音や、紙をめくる音。それだけが淡々と響く室内で、その沈黙を裂くように声を発したのは、部屋の中央奥で、机に肘をついた者だった。
大抵のことでは悩まない方だ。だからこそ、数日前から相談を受けている“例の悩み”が、上手く進んでいないのだと、その一言で悟れた。
普段であれば、別途報酬が支払われることもあり、皆やる気を見せているのだが、今回は内容が内容だけに、誰もが沈黙を守っていた。だが、それも無理からぬことだろう。
妻や子と喧嘩した時の対処方法や、子供接し方などなため、気軽に答えられるが、今回は違う。
なにせ相手は閣下だ。「やる」と決めたら、必ずやる。倫理も法も、必要とあらば“理屈で踏み越える”。だからこそ、冗談半分で口にした言葉が採用されれば、その瞬間に国家反逆罪級の行為の発案者になりかねない。そう理解しているからこそ、皆が口を閉ざしていた。
沈黙は怠慢ではない。生存戦略だ。
事前に陛下へ報告すべきだという意見も出していたのだが、案の定、陛下から貸し出しの許可は得られなかったらしい。そのせいか、閣下の機嫌も、心なしか悪そうに見えた。
「皆の意見に従って、今回もアレに配慮し、許可を貰いに行ったが、ことごとく跳ね返されてしまった。終いには、去年の行いや、秘密をばらすと脅されてしまったよ」
まるで、この責任をどう取るつもりなのかと問われているようだが、それは当然の行為であって、配慮などではない。そもそも、宝物庫に収められるほどの魔道具を、私的に使おうとしている時点で間違っているのだ。
普段から仕事中に笑みを浮かべているわけではないが、目を細め、まるで獲物をいたぶる前の肉食獣のような表情を向けられると、魔石によって快適に温められているはずの室内が、途端に底冷えするかのような寒気に包まれる。しかし、この空気で黙り続ければ、次に閣下が”最短距離の強行策”を出す可能性がある。
「あっ、あの……ご子息のご様子はどうなのですか……?」
声を震わせながら、一人が勇気を出して手を挙げた。すると、お互いの状況共有は大事かと思ったようで、閣下は怒りをほんの僅かに引っ込めて答える。
「ここ数日、オルフェからの殺意にも似た視線を感じていてな。警備の準備をしている様子もない」
殺意にも似た視線。閣下がそう表現する程度のものを、私達が直視して無事で済むと思えない。
それに、毎度のことのように国の最優先事項を扱っているかのような顔をしてはいるが、本当に急ぎの重要書類は、相変わらず机の上に放置されたままだ。
人並外れた速度で仕事を片付ける閣下にとっては取るに足らないのだろうが、凡人である我々は、その書類を早く次へ回したくて、ただ気を揉むばかりだ。”どうか仕事を先に”と祈りたくなるが、閣下が気付くはずもない。
「優れた案を出した者には、それに見合った謝礼を出そう」
さらに報酬を提示されても、策など浮かぶわけがない。
そもそも、サンタの存在を信じ、屋敷に侵入しようとする閣下を防ごうとしているご子息。その一方で、その夢を壊さぬよう、戯れ半分で行動しているに過ぎない閣下。そう考えれば、その行為自体を止めてしまえば済む話のようにも思える。
双方ともに地位と力を持っているだけに、その影響は周囲にまで及び、被害の範囲も広い。警備に当たる者達は、主人とご子息との間に挟まれ、苦しい立場に置かれており、私達は国家規模の魔道具に手を伸ばす上司と陛下の間に挟まれている。その事実がまた、現場の空気を重くしている。
そんな嫌な静けさの中で、皆が目だけで会話を始める。
(言え)
(お前が言え)
(私は嫌だ)
(死にたくない)
そして視線は、最前列の私へ集まった。
(こういう時、席が近い者は、だいたい損をする…)
そう思いながらも、私は息を吸い、覚悟を決めて口を開いた。
「もう……お気付きになってしまったのではないですか……?」
「……」
その瞬間、閣下の視線が刺さった。“犯人はお前か?”と言わんばかりの鋭さだが、閣下を敵に回すほどの度胸もなければ、無謀でもない。
しかし、閣下が箝口令を強いている事もあり、屋敷の内部の犯行ではないのは明白。そのため、外部へと疑いの目を向けているようだが、関わりが薄い我々にまで容疑を向けるのは止めてもらいたい。
「申し訳ありませんが、今まで信じていたことの方が驚きです…」
ご子息も閣下と似た思考を持っているだけに、そういった戯言など「くだらない」と一蹴するものだとばかり思っていた。だが、ふと漏れた本音が口をついて出た瞬間、返ってきたのは、予想外の言葉だった。
「オルフェは、私と違って純粋な所があるからな」
(――アレが?)
その場にいた全員が、心の中で同じことを叫んだ。
噂は数え切れないほど聞いてきたし、顔を合わせたことも一度や二度ではない。だからこそ、不遜を絵に描いたような人物である彼を思い出し、誰もが揃って「信じられない」と言いたげな顔をしていた。だが、当の本人だけは至って真剣だった。
冗談や虚勢ではなく、本気でそう信じているのだと分かる表情で、言葉を返していた。しかし、こちらの疑念に満ちた空気を感じ取ったのだろう。彼はそれを否定するでもなく、そう思うに至った経緯を、淡々と語り始めた。
「最初は信じていなかったのだが、幼いリュカの夢を壊さぬため、完璧にサンタの行動をなぞって、二人の部屋にプレゼントを置いて行ったら、サンタが凄腕の盗賊のような認識になってしまってな……」
(本当に、何してるんだ……この人……)
難攻不落の城壁であっても、平然と侵入できてしまいそうな男だ。ましてや勝手を知り尽くした屋敷内。指揮権を息子に譲っていたとしても、侵入など造作もないことだっただろう。だからこそ、非の打ち所のない完璧な人間であり、いい歳をした大人が、何をやっているのだという思いが、強く込み上げてくる。
(しかし……もし騙されたと気付いた時、ご子息はどう反応するだろうか……?)
少なくとも、やられたまま黙っている方ではない。むしろ、閣下と同様に、“やり返す”ための準備を黙って積み上げる方だ。
もしこの王都で本気の親子喧嘩が起きれば、王都半壊という最悪の事態すら、現実味を帯びる。
ご子息が契約している召喚獣が、青龍と紅龍の二体であることを考えれば、その危険性は明白だ。だが、閣下もまた、それに引けを取らぬ力を持ち、何より圧倒的な経験を積み重ねてきた人物である。経験というものは、力だけで容易に覆せるものではない。加えて、閣下の召喚獣の力はいまだ未知数だ。しかし、あれほどの才能を持つ閣下の召喚獣が、ただの鷹であるはずがない。
噂では、王都を破壊し得るほどの力を秘めているだとか、鷹に擬態した“別の何か”ではないかと、様々な憶測が飛び交っている。本人が何も語ろうとしないせいで、その噂はさらに広がる一方だ。
そして、どの説を取ってみても、今の私達にとって気を重くする話だけで、好転する要素は何一つもない。それでもなお、今この瞬間、王都の未来は、私達の肩に乗せられている。
誰かが小さく息を吐いた。それが合図のように、皆が静かに頷く。
(やるしかない)
(生き延びよう)
(朝日を見るまで)
(その先は、その時に考えよう)
クリスマスの朝日を無事に拝むこと。その一点だけが、この部屋にいる者達の共通認識になった。
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