ビジター
「あなたにはどんな才能があると思う?」
執務室に入ると、ソファに腰掛けていた主人が私に問うた。
思えばここに連れてこられてから随分と仕込まれたものだ。語学、教養、社会情勢、戦闘技術。どれもそれなりに身についたと思う。我ながらよくやったものだ。少なくとも、私が無能であったなら今日まで生きてはいられなかったはずだ。
主人の顔を観る。
口元は笑っているが目が死んでいるように冷たい。いつもの表情だ。彼女の性格からして謙虚な回答は求めていないだろう。
私は率直な意見を述べることにした。
「さあ、わかりませんね」
私はここに来て多くのことを学んだ。しかし、その中で多少の得意不得意を感じはしたものの、己の才能を自覚するには至らなかった。
「いい機会だから知っておくといいわ。あなたには何の才能もないのよ」
嫌味ではないだろう。
口角が上がっているので、一見、そう受け取れもするのだが……その声には感情がまるでのっていない。ただ、事実を教えた。それだけのことに違いなかった。
「そんな人間をよく買ったものですね」
「取り柄がないとは言ってないわ。それに、あなたの値段なんてたったの金貨一枚よ」
「そいつは気が楽です。たったの金貨一枚分の仕事をすればいいわけだ」
「相変わらずアホね? 一支払って一の実入りでは投資の意味がないでしょ。少なくとも一万倍の仕事をしてもらわなければ時間と神経の無駄遣いだわ」
前言を撤回しよう。やはり嫌味だったのかもしれない。
「等価交換てご存知ですか」
「そんなものはまっとうな生き方をしている健全な人間の概念よ。忘れなさい」
「つまり、私はまっとうな生き方にも健全な人間にも戻れないのですね」
「私も前言を撤回するわ。あなた、人を呆れさせる才能だけはあるようね」
私もとは恐れいる。化物め。
「自分でも今更とは思わなくもありませんがね」
「改善なさい。あなたのそれは他者に対して無関心ではなく嗜虐心を芽生えさせる。いざこざの元よ」
「承知しました」
互いに前言を撤回して相互理解を深めたところで、主人は本題に入る。
「グウェリアに行きなさい。出立は明朝」
「目的は」
「知れたこと」
「手段は」
「任せる」
「装備は」
「裸一貫」
「わかりました。早速――」
早速?
裸一環では支度をする必要すらないではないか。
「書庫で下調べくらいはしていきなさいね」
「……もちろんです。それでは」
「――敵に回してはいけない者たちがいる。それは誰かしら」
退室しようとした私に主人が問いかけた。
「騎士ですか」
グウェリア帝国の騎士は傑物揃いと聞いている。戦闘になれば私の付け焼刃の技術など通用しないだろうし、かといって知略で出し抜ける相手でもない。戦争が得意な連中は例外なく頭が良いからだ。
たった今、グウェリアへ行けと言われたのだから、この回答は妥当に思えた。
「不十分よ」
主人の目を観る。瞳孔が散大しているかのように真っ暗だ。目は口ほどにものを言うらしいが、これでは真意を探るどころではない。
主あるじを敵に回すな、裏切るなという意味だろうか。しかし、主人は私のような小者にわざわざ念を押す人物ではない。裏切れば粛々と処分するだけだろう。そもそも、私が離反したところで彼女が困るとも思えない。
私は思考する。
答えが不十分ということは全くの外れではないということだ。それに加え、彼女は下調べをして行けといった。つまり私の無知を承知した上での問いなのだ。資料に載っているような具体的な名称を挙げる必要はない。
「才能に優れた者」
才能を持つ者には絶対に勝てない。凡人は天才との差を努力で埋めたがるが、それは間違いだ。天才が才能に胡坐をかいて努力を怠るなどと誰が決めたというのだ。才能は研鑽によって本領を発揮する。天才は己の能力をさらに高めるために努力を惜しまない。むしろ、能力が報われる分、凡人よりも前向きな気持ちで努力に励めるだろう。才能の差は埋まらない。せいぜい、開いていく差の進みを遅くするように足掻くだけだ。
「合格」
どうやら執務室に入ったときから審査は始まっていたようだ。
「褒美はあるんですか?」
「あるわけないじゃない。審査される側は合格それ自体を喜ぶものよ」
「志望した覚えはないんですがね」
そう言い残して私は執務室を出た。
扉を閉めるとき、隙間から、ひらひらと手を振る主人の姿が見えた。
そのまま書庫へと足を運んだ私は、一冊の書物を手にした。
それにはグウェリア帝国の地理、歴史、社会、要人の詳細が記されている。印刷ではない手書きのそれは、項ページによって異なる言語で綴られていた。おそらく、項目毎に執筆者が異なっているのだ。あえて言語を統一していないのは、それでなんら支障がないからであろう。
私はグウェリア帝国の全容を読み解いていく。項を捲めくるにつれ、紙質は新しくなっていき、巻末に差しかかる辺りでその名を見つけた。
「カベリヤ……」
流浪人として数多の戦場で死を振りまいた災厄の権化。まるで物語や伝説に登場する魔女のような力を行使する存在。一瞬のうちに見渡す限りを火の海に変えただの、手を触れるだけで人間を消しただの、ここに書かれてある事項だけを読みとるならば全くもって眉唾の存在である。
私のいた世界では科学が幅を利かせ、魔法など信じられてはいなかった。科学的に未解明な分野でこそ、超常現象や超能力といった概念が慎つつましくも支持されてはいたが……ここまであからさまに出鱈目でたらめな力など聞いたこともない。『魔法は存在しない』そう断言したとしても世界の有様、整合性は保つことができるのだ。そして、それはこの世界においても同じであった。
この世界に魔法はない。それは一般常識として浸透しているし、現にこの世界の文明は物理的な法則に基づいて発展を遂げているのだ。物語で描かれる魔術師だとか魔法の道具なんてものもなく、せいぜい、神話や伝承に由来した、効き目があるかどうかも定かではない呪いまじなが伝わっている程度だ。少なくとも学問として体系化された魔術は存在しないはずだ。
では、魔女カベリヤとは何者なのか。
彼女は神話や伝説の存在ではない。今この時間に存在し、起こした奇跡は事実として認識されている。明確に結果が残っている以上、ただの噂やペテンで済む話ではない。その能力の正体とはなんなのか。この世界には想像の産物として魔法の概念はあれど魔法使いは実在しない。しかし、超常の力を持ち魔女と形容される者はいる。正直、矛盾しているとしか思えない。彼女の才能について、この書物にはこう記されている。
――あちら側の力を行使する者たち。
これがこの類たぐいを示す呼称なのか、執筆者独自の表現なのかはわからない。明らかなのは、これが行使者独自の力であり、他者に伝承することのできない能力ということだ。技術でも学術でもない。純粋な才能。
私は今一度、カベリヤの項を読み返す。
手を触れただけで人を跡形もなく消し去る力。まるで私とは逆だ。私は何の予兆もなく突然この世界に存在していた。なにか関連性があるように思えてならない。客観的に考えるなら、私が元々この世界の住人で、ある日突然に気が狂って記憶に異常をきたしたという可能性はある。しかし、私の思考は、私の主観はそうではないと言っている。
私はこの書物が記すところの、あちら側の力を行使する者たち、その正体を知らなければならない。
正体不明な力と作用。まるで〈vis〉だ。ラテン語で〈力〉を意味するエネルギーの元となった概念 ――ガリレオ・ガリレイが発想し、エネルギー保存の法則が人類に発見されるまで二百年以上もの間、議論の的となった神秘の一端。
これからは便宜上、あちら側の力を〈ビス〉、それを行使する者を〈ビジター〉と呼ぶことにしよう。
私はカベリヤの項目の最後に追記された文章に目を通した。
――グウェリア帝国に恭順し、司祭となる。
どうあっても彼女には会わねばならない。今の私はある種の予感を抱いていた。




