グウェリアの雷光
グウェリアの騎士――皇帝の剣、帝国の守護者、戦場の理。
彼らを讃える言葉はどれも大仰であり、けれども、決して偽りではなかった。剣を振るえば数多の敵を屠り、指揮をとれば一軍を率いて一国を滅する。
一個にして百官の働き、戦場において当千の強さが示された。
今、一人の騎士が死を迎えようとしていた。
皇帝の第一剣であり、帝国の栄光を陰ながら支えた男。
(陛下……すまん。俺は逝く。天寿が尽きるまでは貴方を支えたかったが)
忠義に生きた騎士が最後に想うのは――。
――エイクレア。
グウェリアの光を継ぐもの。
悲しみにうたれ、恐怖に震えていた娘。
普通の道ではいずれ精神が壊れると案じ、騎士として厳しい教育を施した。
しかし、実際に壊れていたのは私のほうだった。
騎士としての本懐。帝国への忠誠。自らの在り方、皇帝の剣としての振る舞い。
理想との不一致。
戦争の中で日々荒んでいく私の心を、彼女は癒した。
共に暮らし、共に笑い、そして共に戦った。
私が唯一……。
これからも共に生きたかった。
◇
……足音が聞こえる。
地を蹴る激しい音が聞こえる。
異民族の戦士達が私を助けるべく駆けつけているのだろう。
絶対的な強者を相手に、水準に満たないものが何人いようと意味は無い。
無駄に死ぬなとあれほど言い聞かせてきたというのに。
薄れ行く意識の中、ゴドフロイはゆっくりと瞼をあげる。
視界の半分は地面であり、もう半分は地の雨が注がれていた。
ゴドフロイは自身が横たわっていることを知る。
呼吸がうまくできない。
気管が潰れたのだろうか。
よく覚醒できたものだ。
ひゅるひゅると不自然な息遣いでゴドフロイは這い出した。
下肢をひきずるように不恰好に地を這う姿からは、騎士の威厳などは感じられない。
ただ、何かを為さんとする者のみが持つであろう、力強さがあった。
片手半剣。
物持ちの骸の近くに鉄槌と共に落ちていた。
土に塗れた剣の柄を強く握り締める。
――今一度、貴君の武威を借り受けるぞ、ウェルカー。
異民族の戦士を貫くエルアドを見つめながらゴドフロイは立ち上がった。
折れた骨が脚の内側で肉を裂くが、痛みは感じない。
深く息をして体内に活力を巡らせる。
突貫。
数歩の死力。
力のない切っ先がエルアドの胴へと伸びる。
大剣が下から上へと弧を描いた。
斬り上げ。
片手半剣は粉砕され、剣撃の余力によってゴドフロイは仰け反り倒れた。
血が流れ大地へと染みていく。
怪物はもうゴドフロイを見ていない。
激しく燃えていたはずの森林、その炎がいつのまにか消えていた。
焼け崩れた木々のその先に見えるのは無数の切り株。
延焼を防ぐために事前に伐採されていたのだ。
さらに、その向こう側からいくつもの人影が向かってくる。
それは、セレイン王国軍であった。
夜が明ける頃だというのに、光は差さない。
太陽は、どこまでも続く厚い雲に遮られていた。
◇
はらはらと雨が降る。
セレインの騎兵隊が異民族の戦士達を襲っていた。かろうじて湿地に逃れた戦士も歩兵に追撃されているようだ。
そして、平原と街道の境界付近――そこでは馬鹿みたいに大きな蜥蜴が味方を次々と切り倒していた。
先頃しとめた紛い物とは違う。
本物の怪物だ。
獣のような獰猛さはなく、理知的に剣を振るっている。
まるで人間だ。一流の剣士だ。あれの相手は帝国騎士である自分にしか務まらない。
挑めば死ぬだろう。ヴェルベドや他の戦士たちのように。だとしても、時を稼ぎ、味方を逃すことはできるかもしれない。自身の命と引き換えに多数の命が助かるのならば――それはエイクレアが思う騎士の本懐と合致していた。
しかし、エイクレアの足は蜥蜴へと向かわない。すでに恐怖はない。足は竦んでいない。むしろ、はっきりとした足取りで進んでいた。
戦いは騎士の為すべきことであって、今、エイクレアの為すべきことではなかった。
エイクレアは己の両膝を地に着き、ゴドフロイをその胸に抱いた。
「馬鹿め……なぜ戻ってきた」
「……」
「生真面目が……命令違反……とはな」
「何故……私が皇帝の娘だからですか」
母は側室ですらない、私には皇位継承権などないに等しいというのに。
「……そうだ……知っていたか」
予想通りの、しかし期待はしていなかった肯定がエイクレアの胸を絞めつける。
「生真面目なのはどちらですか」
そんな理由で遠ざけられたくはなかった。せめて私のことを――。
エイクレアの頬を涙が伝う。
「貴様は陛下の御子であり、私の……弟子だ」
「私は騎士です。護られる筋合いは――」
「そして……惚れていた……守る理由などいくらでも……」
雨よりもずっと暖かな雫がゴドフロイを濡らす。
男の呼吸は止まっていた。それでも瞼を下ろすことはなく、その瞳は女を見つめていた。視線を交わし、愛を告げ、そして、男は死んだのだ。
「愛しています……」
嗚咽まじりに搾りだした言葉は、果たして男の耳に届いただろうか。
◇
わなわなと震える手で彼の頬を撫でる。
すでに温もりはない。
雨に打たれたせいか、石のように冷たかった。
どさりと、重い音がした。顔を上げると味方が倒れていた。それだけではない。周囲には無数の屍があった。見知った顔がちらほら見える。ゴドフロイと共に戦ってきた異民族の戦士たちだ。
「私たちを、護ってくれていたのか」
逃げもせず、よく――。
地に伏した戦士に蜥蜴が剣を突き立てる。
それを合図にしたかのように無数の敵兵がこちらに歩み始めた。精鋭兵のくせに、えらく顔のにやけた兵ばかりだった。
無理もない。
一騎当千を謳う帝国騎士の首だ。持ち帰れば栄誉も金も手に入る。それが膝をつき、剣も持たずに手を塞いでいるのだ。これほど楽な稼ぎもない。
雷鳴の轟く空を見上げる。
母のときもそうだった。
そこには何もできない自分がいて、大切なものを奪われる。
にやけ面の下衆どもに食い物にされるのだ。
一説に、雷とは神の化身、あるいは神威の具現なのだという。
だとすれば、何故弱者を助けてくれないのか。神よ、あなたの轟きは、ただ小さな子供を怯えさせただけだった。
空が光り、一際大きく鳴いた。
禍々しい音だ。
人間の愚かさを遥かな高天から嘲笑っているおつもりか。
随分と偉いのだな、神は。
エイクレアの口が小さく、ゆっくりと動く。
「堕ちろ」
八つ当たりとも、負け惜しみともつかない呟きだった。誰に聞かせるでもない一言が発せられた時、それは起こった。
一瞬、セレイン兵の頭上から極々細い紫電が空に向かって放たれたのだ。
線条。
雷雲からの放電と結びついたそれは、雷電の道筋を形成する。
一本の稲妻が空を駆け、地に向かって無数に分岐した。
元来の自然ではまずもって見られない現象。
――――雷光が降りそそぐ――――。




