終息
黒鱗の怪物は手にした大剣を地に突き刺すと、分厚い麻袋を放った。重々しい音と共にいくつもの石礫が転がる。
怪物はその中の一つを拾い上げると投擲の体勢をとった。脚の踏み込み、腰の回転、弓のように撓る背、長い腕によって生み出された遠心力、それら全ての運動エネルギーが集約し、ただの石を破壊の魔弾へと変貌させる。
異邦の神話によれば、かつて、脆弱な羊飼いの少年は強大な巨人兵を五つの石で打ち倒し、彼の者の剣を奪ってとどめを刺したという。であるならば、埒外の膂力を誇る怪物が無数の石と大剣を所持していた場合、その殺傷力はいかほどのものとなるのであろうか。
空を切り裂く轟音。
遠距離にありながら飛来するそれを目視することは困難であった。
着弾。
地面が大きく抉れて土が舞う。
二つ、三つ、四つと、続けざまに礫が飛ぶが人的被害はない。
初弾の時点で異民族の戦士たちはすでに駆け出していたのだ。怪物の投擲体勢を見切り、その効果範囲にいる者は的を絞らせないように回避行動をとっていた。無論、そうでない者は一直線に怪物の首を目指す。
怪物は大げさな予備動作をやめて、最小限の腕の動きだけで礫を投げた。
いわゆる手投げだ。
変則的な不意打ちであり、威力も飛距離も劣るが、それでも、ひと一人を殺めるには十分な威力がある。
だが、異民族の戦士はこれをもかわす。瞳孔の散大した目を見張り、首を捻って頭部への命中を避ける。かすめた耳が千切れ飛ぶが、お返しとばかりに腰元から短剣を抜いて怪物に投げつけた。
金属的な衝突音が命中を明かす。
そして――――当然のごとく無傷。
分厚く硬い黒鱗は短剣を容易く弾いていた。
怪物は大剣の柄を握る。
戦士が肉薄し、剣を振るった。
怪物の大剣はまだ地に深く突き刺さったままだ。
戦士の刃が怪物の喉元に吸い寄せられていく。
そして、大地の摩擦を鞘とした大剣が引き抜かれた。蓄えられた力はそのまま速力に変換され戦士の身体を両断する。切れ味の悪い大味な刃が速さと質量にまかせて強引に人体を引き裂いたのだ。
戦士達の足が止まる。
善戦した――果たしてそういえるのだろうか。
血と肉が爆ぜて咲いた花は畏怖の象徴となる。
高い技量を誇る戦士がただの力任せに葬られる姿は見るものに格の違いを認識させた。
「我が名はエルアド。主の前ではただのエルアドであるが……。やはり、この地においては名乗らずにはいられない」
静寂の中、凛とした女性の声が響き渡った。
「我が真名は、エルアド・バシリスカス・ア=ゴアナディ――バシリスクの王である」
◇
ゴドフロイは歩みを進めると、王を自称する怪物に相対した。
「私は騎士ゴドフロイ。皇帝に仕える一振りの剣。バシリスクの王とやらにひとつ問おう」
「なにかね」
「今しがた蜥蜴が五十匹ほど死んだのだが……どんな気分だ? 民が死に絶えるまで隠れて出てこないとは随分と冷たいではないか」
「まさしく、私は冷血で臆病な王である。そして、彼らは勇敢に戦い、散り、竜神の御許へと還ったのだ。これからは神々の御列に並ぶことだろう」
「なるほど、そういう思想であったか。ならば――――貴様もそうそうに死んで神となれ」
ゴドフロイは常人離れした踏み込みで一気に間合いをつめると、エルアドに向けて鉄槌を振るった。硬い鱗に刃は通じないため、鈍器によって内傷を与える。全身甲冑の相手を想定した対人戦の定石であった。
「不意打ちとはいかにも人間らしい」
エルアドは大剣を盾にして鉄槌を防いでいた。
「野蛮な獣に対抗するには知恵が必要でな。いかにも紳士であろう」
仕切りなおしたゴドフロイの鉄槌がエルアドの顎をかすめ、大剣の風圧がゴドフロイを襲う。
地を蹴る音と空を切る音が絶え間なく続き、時折、得物同士がぶつかって甲高く鳴り響く。
異民族の戦士達がゴドフロイの助けとなるべく加勢するも、ある者は尾に打たれ、ある者は蹴り飛ばされ、片手間にあしらわれていった。これを見かねた一人の戦士長が自らの持ち場を離れて戦闘に加わり、そこでようやく応酬が拮抗した。
「随分と強いじゃないか。元は帝国と戦っていたのだろう。奴隷兵の誼だ。我々と共に今一度帝国と戦わないか?」
「断る!」
戦士長の一人が渾身の突きを放つが、エルアドは片手を合わせて装備された手甲で難なく逸らす。
「そうかい。残念だよ」
大剣でゴドフロイを牽制していたエルアドは、合わせた片手で戦士長の剣を掴んで捻り落とした。つられて戦士長が倒れこんだところをすかさず踏みつける。戦士長は咄嗟に剣の柄から手を放して地を転がることで死を間逃れた。そして、次に襲ってきた死にあっけなく命を刈り取られた。
ゴドフロイとの間に大剣を投げ出したエルアドが戦士長を素手で縊り殺したのだ。
圧殺。
握力のみで首を絞め、動脈も気管も、骨すらもまとめて握りつぶす。
障壁となった大剣を迂回してゴドフロイが襲いかかるが、いつかのように死体を投げつけてその勢いを怯ませる。かわしきれなかったゴドフロイは体勢を崩し、ここで追撃されては敵わないと、受身を取りながらエルアドから距離をとった。しかし、ゴドフロイは立ち上がらない。
大剣が再びエルアドの手に戻る。
骨が折れたのか、ゴドフロイは片膝を着いたまま思案する。
(大胆な攻勢をみせるが隙が無い。隙が生まれたように見えて、その隙を埋める算段が必ずある。我々帝国騎士の戦い方に似ている――なるほど、お互い手管は研究済みというわけか)
この機を逃すまいと、エルアドの意識がゴドフロイに集中したそのときだった。
「やれ」
大地から大剣を引き抜こうとした矢先、多数の礫がその身を襲った。
幾人かの異民族の戦士達が剣を捨て、隠し持っていた投石紐で石を放ったのだ。
――羊飼いは五つの石で巨人を倒した。
エルアドはすぐに大剣を引き抜いて防御をするが、人外の巨躯があだとなりいくつかの石が被弾してしまう。もっとも、数枚の黒鱗が損傷する程度で生命に関わるような傷はうけていないのだが。
しかし、ゴドフロイにはそれで十分だった。
待機していた物持ちの兵から弓と矢を受け取り、投石兵に接近して蹂躙を始めたエルアドに狙いを定める。
カークスの強弓。
剥がれ落ちた鱗のその下の急所へと矢を穿つ。
命中。
人であれば心臓がある場所を後ろから貫いた。
「残念。そこは急所ではないよ。私は人ではないからね」
投石兵を殲滅し、血みどろになったエルアドが跳躍し、ゴドフロイの眼前に降り立った。付近の戦士は指揮官の盾となり、大剣によってなで斬りにされる。
ゴドフロイの手には弓が握られたままである。この状況で近接戦闘は絶望的だ。
「怪物め」
「だから人ではないと言っている。それでも、矢傷は矢傷。正直痛いさ。落とし前はつけてくれるね?」
「痛みならじきに感じなくなるだろうよ。貴様は死ぬ」
「そうかい。さようなら、グウェリアの騎士よ」
エルアドが悠々と大剣を振りかぶる。
そして、自らの身体の違和感に気がついた。
痛みが無い。
「本当に人ではないのだな。効くのが遅すぎる」
「なにをした……?」
「ただの毒だ。人でも獣でも血に混ざればすぐに死ぬ、ただの猛毒だ」
「へえ、そうかい。それは大変だ」
エルアドは大剣を降ろすと、自らに刺さった矢を引き抜いた。
そしてそれをゴドフロイの腹に突き刺す。
「ぐ……道連れとは性根が悪い」
「いやいや、君には生きてほしいからね。急所は外してあるよ。最も、私の血で洗い流されたとはいえ多少の毒は残っているだろうからね。一応、解毒剤は使っておくといい」
「動揺か? 死の間際に口数が多くなるとは女々しい奴め」
ゴドフロイの指摘に、エルアドはそうではないと指を振って答える。
「本当に勉強が足りないね。人間というのはいつも賢しらに知恵者ぶっているが、そんなものはただの自惚れでしかない。今一度言うが私は人ではない。もちろんその辺の獣とも違う」
「…………」
「私に――バシリスカスにはこの地で生成された毒は効かないのさ。竜神の子孫だからね。コカトリスの祝福なら、鎮痛剤としての効き目はあるのだけれど」
「糞蜥蜴め」
「君は死の間際に口汚く毒を吐くんだね。紳士が聞いてあきれるよ。それでは、今度こそさようなら、グウェリアの騎士さん」
エルアドの手がゴドフロイの首を掴みあげる。毒の影響か、それとも嗜虐心が芽生えたか、騎士の首は一思いに握りつぶされることは無く、ゆるりゆるりと絞められる。
皇帝の第一の剣。
その命の灯火が消えていく――。




