バシリスクの民
森の奥深く、大樹が乱立していたこれまでの様相とは打って変わって、随分と開けた場所がある。高い空から見下ろしたなら大森林の真ん中に大きな広間がぽっかりと空いていることだろう。
一見して不自然な空間に思えるが、むしろそこは、極めて自然的に形成された地形であった。周囲に切り株や垣根の類はなく、人の手によって整地されていないことは明らかだ。
神代の頃、竜王とセレイン王が盟約を交した聖域。
一面には竜王を讃えるべくコカトリスの祝福が咲き乱れていた。
広間の真ん中から、一人の女が遠くを見つめている。黒装束に身を包む彼女の目には赤みを帯びた空が映っていた。いったい何を想っているのだろうか。彼女の口元は布で覆われ、その心情を読み取ることは難しかった。
一人の戦士が女に近づく。
「森に火が放たれました」
「どの程度か」
「平原との境界がごっそり燃えています。竜人たちが応戦を始めたところです」
報告受けて、女の目が細まる。
「やはり、魔女は不在か――」
その言葉が発せられた瞬間、広間に静かな熱気が伝播した。
暗闇の中、微かな自然光でその者たちの輪郭が浮かびあがる。
歩兵五百と騎兵五十。
大国を相手取るにはあまりにも少ない寡兵。しかし、彼らの表情に怯えはみられない。
「帝国騎士の首をとる」
その悲願が今夜、叶うのだから。
◇
地を這うようにして突進してきた蜥蜴人が、長剣で威勢よくゴドフロイに斬りかかった。それは、体躯、武器ともに長さで勝る蜥蜴人の間合いであり、人間を一方的に攻めることのできる距離であった。
で、あるならば――ただ踏み込むのみ。
長剣はゴドフロイの肩当てをかすめて虚空を突き、そして、蜥蜴人はそのまま勢いよく地面に突っ伏した。天を仰ぐその腹は、口を開くように切り裂かれていた。
(五十匹といったところか。よく掻き集めたものだ)
ゴドフロイは周囲を見渡す。
やはり、というべきか。数で圧倒するグウェリア軍が善戦している。
蜥蜴人の身体能力は脅威だが、騎士直下の戦士達ならば十分に対応できる。中には戦士として洗練された個体も数匹いるようだが、それらには戦士長やそれに並ぶ兵たちが当たっている。この戦場にいる蜥蜴人たちは件の化物とは違う。おそらく、旧バシルコック自治区で戦った連中と大差はない。
とはいえ、それはあくまで平原での話。湿地帯での戦闘では無類の強さを誇るだろう。
「囲い込んで確実に仕留めよ」
燃え盛る森林を壁にして湿地帯へと軍を後退させるつもりのゴドフロイは後顧の憂いを絶つべく蜥蜴人たちの退路を塞ぐように命じた。
しかし、蜥蜴人たちにそれを気に留める様子はない。
元よりここを死地と定めていたのか、ただ復讐心に従い、狂戦士のごとく咆哮をあげては無秩序に剣をふるう。
そして、その勢いにのまれてか、一部のグウェリア兵達が不覚を取った。
眼前の敵を倒すことのできた蜥蜴人たちは跳躍し疾走し、戦場を縦横無尽に駆け回って、グウェリア軍の隊列を少なからず乱していく。
これを見たゴドフロイは蜥蜴人の特性を分析する。
(ただの獣であれば、狩るのはそう難しく無い。身体能力が人間に勝る種など自然界にはいくらでもいる。奴らは怒り狂っているように見えて、その実、判断力までは喪失していない。一時的にであろうが、怒りを制御し、思考力はそのままに身体と精神を強化している。バシリスクの民か。やはり――)
「――侮れん」
ゴドフロイは蜥蜴人の剣を半身になってかわし、間髪いれずにそれの首を斬りつける。
(湿地帯に後退するのはむしろ危険か。蜥蜴共なら湿地林を密かに移動し、潜伏することも可能だろう。我が軍の支援部隊が既に全滅していると考えるならば、敵の戦力も相当なはずだ)
別の蜥蜴人から不意を打つ様に振るわれた尾を難なく斬り飛ばす。
(だが、あの時――旧バシルコック自治区のほとんどの蜥蜴は、魔女の業火に焼かれて灰になった。元々の個体数も多くないうえ、亜人は人間よりも獣に近い存在だ。外界との交流はあまりない。精々、物好きな商人が行商に訪れる程度。百や二百といった数の蜥蜴が自治区の外で難を逃れたとは考え難い)
大腿部を突き刺し、膝を突いたところを撫で斬りにする。
(後続部隊を殲滅したのはやはり黒鱗の怪物。奴は身体能力において天恵を授かっている。夜目も相当利くかもしれん。街道に篝火はなく、湿地は奴の領域。逆に我々は奴を捉えることはできない)
最後の一匹の鼻先を握り締めた篭手で殴る。蜥蜴の上体が大きく仰け反ると同時に足蹴りが飛んでくる。
が――
「足癖の悪さは聞いている」
姿勢を低くして蜥蜴の軸足を蹴る。
転倒。
すかさず天を仰ぐその胸に剣を突き立てる。
激しく燃える森林を背にゴドフロイは叫んだ。
「夜明けを待つ! 湿地側からの襲撃に備えよ!」
この規模の火なら一晩では鎮まらないだろう。炎の壁があるかぎり挟撃の可能性はない。黒鱗が襲撃にくるなら平原で迎え撃ち、こないのであれば夜明けと共に街道を後退する。視界さえ明瞭であれば、街道と湿地の高低差による地の利が蘇るだろう。
ゴドフロイは街道に目をやる。
森林火災の影響で平原は明るい。風向きも味方をして煙も森側へと流れている。ただそれでも、湿原との境界、その向こう側までは光は届かず、夕刻に街道上に沿って設営された篝火が僅かに周囲を照らすのみであった。
ふっと、最奥の篝火が一つ消える。
薪が燃え尽きたか、あるいは獣に倒されたか。原因はわからない。
また一つ、消える。
偶然か。
否。
一つ、また一つと篝火は消えていき、仄暗い街道が奥から順に闇にのまれていく。
近づいてくる闇に目を凝らす。
篝火は消える直前、弾ける様に火の粉を散らしていた。
薪の燃え滓が地に落ちて明滅する。
街道の終わり、平原との境界付近。
そこで闇の侵食はとまった。
少しの間を置いて、異民族の戦士が三名、街道に赴いた。
二人は松明と剣、一人は剣と盾を手にしている。
境界を越えて街道に入る。
一人の戦士の頭が吹き飛び脳漿をぶちまけた。
次いでもう一人の頭が消し飛ぶ。
最後の一人は咄嗟に盾を構えたが、飛来した何かが盾を粉砕し、そのまま頭部を砕かれてしまった。
多少の威力減衰はあったのだろう。砕けたそれは先の二人と比べると僅かに原型を留めていた。
投石。
それも並みの威力ではない。
投石紐を使ったところでこうはならない。
極めて精密に、且つ水平に礫を飛ばせる投石機があればおそらくこうなるのだろう。
しかし、そのような兵器は帝国軍人の知見にはない。
やがて、黒い影が境界を越えて姿を晒す。
黒鱗の表面に炎が揺らめき、美しく輝いた。




