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ビジター 異邦の天秤  作者: あー


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22/26

決戦の火蓋

 旧バシルコック自治領の湿原を抜けると、そこからはがらりと地勢が変わり、広い平原と緩やかな丘陵が望む。

 人の手によって造られた街道はここで終りをつげ、新たに自然の道のりがセレイン王国へと続いていた。

 湿地帯に見られた奇怪な声をあげる水鳥、大きく顎の発達した爬虫類、群れをなして飛ぶ昆虫、これらはすべて鳴りを潜めている。それは、とある獣の領域テリトリーである証であった。

 

 空を飛ぶ一匹の蜻蛉とんぼが、その発達した複眼で獣たちの姿をとらえた。

 分布生態線を自由に越境、往来する獣――人間。

 同じ種属で殺戮を繰り返している生物界の愚物。

 彼らは高度な共同体コミュニティを形成し、生活において協調性を重んじながらも、往々にして生存競争とは無関係に他者との争いをいとわない。

 血に飢えては戦い、血に塗れては戦いはもう嫌だと泣き喚く狂獣。


 蜻蛉が地に墜ちていく。


 空には無数の矢が昇っていた。

 放物線を描いたそれは、怒声を上げて平原を駆けるグウェリアの異民兵たちに振りそそいだ。

 

「盾を掲げたまま走れ!」


 言われるまでもないと、侵略者たちは全力で駆けていき、羽をもがれた蜻蛉は踏みしだかれて塵となった。


 戦場の外側から騎兵が動いた。

 一騎駆け。

 それは、弧を描く軌道で加速し丘陵の一つへと突き進む。甲冑を身に纏った人馬は散発的に飛んでくる矢を払い、あるいは弾いて、遂には敵陣に切り込んだ。

 重量のある馬がセレイン兵を蹂躙する。

 騎士は馬上から敵兵を斬り付けると、馬が失速する前に自ら飛び降りて敵陣に孤立した。馬は軽やかに駆けてその場を去っていく。着地するまでに一人の首を刎ね、地に足が着けば幾人もの兵を葬った。

 

 無双――。

 

 馬上の利を捨ててなお顕示される一騎当千の強さ。

 全身甲冑とは思えない俊敏な動き。力強くも華麗な足捌きは、連携を試みる兵士たちのタイミングを乱す。一対多数に見えて一対小数、瞬間的には一対一の連続であった。いったい何人を切り伏せたのか。それでも、騎士の息に乱れる様子はない。体力を削ることすらできないのであれば、今まさに散っていく命たちはいったい何のための犠牲なのか。

 

「グ、グウェリアの騎士……!」


 一人の兵が自らの胸を貫く剣を掴んで組み付いた。死にいく力で抑え込めたのはほんの数瞬。しかし、この機を逃すまいとセレイン兵は殺到する。

 騎士は剣の柄から手を放すと、背後から斬りかかってきた兵士に素早く正対した。一歩踏み込んで捻りあげるように腕をつかむ。途端、兵士は全身を地に叩きつけられた。続いて襲ってくる兵士たちを徒手空拳で蹂躙する。顎を殴り、喉を突き、首を捻り、急所を蹴り飛ばす。

 騎士は5人を瞬く間に倒すと、最高の剣士から借り受けた業物わざものを敵の胸から引き抜いた。

 

 再帰リセット


 殺し合いにおいて過程に美徳はない。

 生き残っている者のみに価値がある。

 結果として数多のセレイン兵が失われ、騎士は無傷のまま健在した。

 ただ時間のみが経過し、そしてその経過した時間は侵略者の利となる。

 既に、異民族の戦士たちはセレイン兵達に衝突し、剣戟を繰り広げていた。こうなれば、技量と数で勝るグウェリア軍が負けることは無い。

 やがて、セレイン軍は乱戦の中で奮闘する一部の兵を置いて撤退した。 

 

「追撃は不要だ。適当に弓を引いてやれ」


 戦場には近接戦の中で捨てられた弓や、死した弓兵の装備が落ちていた。異民族の戦士たちはそれを拾うと各々好き勝手に弓を引いた。


「さすがに当たらないか」


 一斉射ならともかく、分散した敵を個々で射抜くには距離が離れすぎたようだ。風向きも悪い。

 騎兵がいれば容易く背を打てるのだろうが、長い戦局において騎兵が役に立つのは今このときのみ。これまでの湿原地帯や障害の多い街道上では活躍の機会はないため、騎兵隊はそもそも編成していなかったのだ。

 ゴドフロイは篭手を外すと、戻ってきた愛馬の首周りを撫でながら遠方を見つめた。

 広大な森林が霧にかすむ。

 樹木の枝葉は大きく広がり重なり合っていた。陽射しが遮られた森の中は相当に暗いだろう。おそらくは、伏兵がいるか新たな防衛陣があるはずだ。

 

(それにしても、手応えが無い。戦闘の収束が早すぎる。本来であればセレイン軍は平原に陣取って、街道から来る我々を迎え撃つほうがよい。丘陵の拠点も簡素がすぎる)


 セレインの寡兵かへいをさらに分散した配備。さらに軽く押しただけで引く逃げ様。このことからゴドフロイは一つの考えに思い至る。


 ――聖女の威光。


 カベリヤの存在を敵が知りえているかは微妙であった。聖女が蜥蜴に狙われてはと思い、ゴドフロイは聖女の存在を喧伝していない。


(カベリヤ自身が匂わせたか。前線にいると思わせれば後方本隊に暗殺者が送られる可能性は低くなる。さらに敵は聖女の奇跡を恐れて大群で密集できなくなる。なるほど、カベリヤめ、なんだかんだとよい働きをしてくれる。であるなら……)


「斥候を放て」


 ゴドフロイの指示に隊長格の戦士が配下を差配する。


(森林に伏兵はいないのかも知れない。過去に顕現した奇跡には旧バシルコック自治区を滅ぼした火焔がある。セレインがそれを知らぬはずは無い)


「森から何が出てくるかわからん、気を緩めるな! 火を起こせるものは闇に備えよ! 平原の全てを照らせ!」

 

 できれば丘陵で防衛陣地を構築して夜襲への備えとしたかったが、生憎と工作部隊は来ていない。戦闘の収束が早すぎたのだ。今頃はまだ街道をのんびりと進んでいるのだろう。

 ゴドフロイは後続の支援部隊を待つことにした。

 しかし、日没になってもそれらが到着する気配はなかった。そればかりか、先頃、森に放った斥候たちも帰ってこない。

 これを受けて、ゴドフロイは主要な戦士長たちと軍儀を開いた。天幕も机もなにも無い丘陵の上に猛者が集う。

 

「何が起きている」


 ゴドフロイが問う。

 

「斥候が一人も帰らないことが解せません。見知らぬ森とはいえ、迷うような間抜けはおりませんから」

「狩られたか」

「どうでしょう、個々の技量は高いですから。少数のセレイン兵に遅れをとるとは思えません。森に大群が潜んでいるとしても見つかる前に帰ってくるはずです」

「支援部隊の到着が遅れているのも気になります。知らせに走らせた伝令も帰ってきていません」


 伝令狩り、あるいはそれ以上の被害が出ていることを懸念し、ゴドフロイの顔が歪む。


(エイクレアへの欺瞞がここにきて現実になろうとはな)


「幸い、篝火かがりびは多くを設置できていますので夜襲には対応できますが……」

「夜は長い。戦士たちの気力はもちそうか?」

「一晩程度ならなんともありません。部隊を別けて順に休ませます。ただ、正直なところ、セレイン兵より虫がやばいですね。天幕なしだとかなりきつい」


 蚊やあぶなどの吸血虫、蟻や蜘蛛などの地虫が無数にいる中での野営はなかなかに煩わしいことだった。


「森に火を放ってはどうでしょうか。しばらくこちらの進軍は止まりますが、後方の状況をうれいなく確認できます」

「この辺りは湿度が高い。それに水の気が多い森だ。そう簡単に火が広がるか?」

「植生によりますが、森の手前に見えた樹木は葉に多くの油を含んでいるしゅです。風向きが変われば可能でしょう」 

「待て、話を進めすぎている。斥候はどうする気だ。死んだと決まったわけではない」


 一人の戦士長が軍儀の流れに異を唱えた。斥候たちは皆、彼の部下だった。 


「何名だ?」

「六名です」


 ゴドフロイは逡巡したが、すぐに結論を出した。

 

「森を焼く。斥候の生死は確認せぬ」


 その言葉には謝意も同情もなく、ただ簡潔さのみがあった。


「……承知しました」


 ゴドフロイが冷酷な人間でないことは皆が知っている。それ故に、彼の非情な決断を非難する者はいなかった。



 ◇



 堆積した腐葉土に足を沈めながら、数名の戦士が松明を掲げて森の周辺を徘徊している。

 まるで粘性があるかのような湿気が戦士たちに纏わりついた。


「これはどうだ?」

「駄目だ。葉と葉の間隔が広いだろう」

「ではこれか」

「いや、密集はしているが、そもそもそいつは葉も枝も燃えにくい」

「面倒だな」

「あれにしよう」

 

 戦士たちは二人一組で散開し、燃えやすそうな木々に火をつけていく。

 枝葉が爆ぜるような音を上げて激しく燃えあがる。

 大抵の木々はそこで自然に鎮火したが、何本かの木は当初の目論見通りに大火を生む様相を見せた。


「あとはほっとけばいい。獣やら蜥蜴やらが飛び出してくる前に退くぞ」


 仕事はこなしたとばかりに、一人の戦士が相方を促す。

 しかし、返事はない。

 振り返る――そして、その勢いのまま戦士の首はくるりと宙を舞った――……。



 ◇



 森と平野との曖昧な境界から火の手が広がっていく。

 地に落ちる影をあぶるかのように炎が揺らめくと、影もまた揺らめいた。


「なんだ……?」


 不気味に揺れる影を見つめていた物見の顔から血の気が引いていく。

 

「……黒鱗です! 複数の蜥蜴が森から出てきました!」

 

 報告を受けたゴドフロイは静かに告げる。

 万が一に備えて隊列は既に整えられていた。


「狩りつくせ」


 戦士たちの雄たけびが大地を振るわせた。  

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