グウェリアの光
『拝啓 深緑の茎葉に紫の花が彩る季節。親愛なる騎士ゴドフロイ様におかれてましては、戦場に咲く一輪の大花を愛でておいでかと存じます。さて、先ほど騎士ヴェルベドの訃報が届きました。なにやら大きな蜥蜴に襲われたようで、大変でございましたね。御亡骸が到着しましたら丁重に弔いますのでなにとぞ御休心ください。また、同じく御要望がございました兵員補充の件でございますけれども、こちらも何かと人手が必要ですので、大変に心苦しいのですが、援軍をお送りすることは致しかねます。ご容赦ください。ちなみにこちらの情報官の試算では貴官配下の異民戦士団のみでもセレイン王国の門は開けるとのことです。昨今は戦線の拡大に伴い、帝国内の食糧事情も逼迫するのではと、民草が不安になっておりますので御配慮いただけましたら幸いです。貴官の将来にコカトリスの祝福が咲きますこと、心よりお祈り申し上げます。 敬具 首席枢機卿』
◇
深夜、伝令のネウィルから書簡を受け取った。
いかにも高級な羊皮紙は、いつもの軍令と違うことを示している。
私はそれを拝読すると、書簡を机上に軽く放り投げて脱力した。
誰しも、自身の思うように事が運ばなければ腹を立てるものだが、それは、計画修正の手間、損失回復に奔走する労力を嘆いてのことだ。
では、本当にどうにもならない状況になったとき、人は何を思うのか。退くことも立ち止まることも許されず、自ら進んで滅びなければならない状況で、果たして怒りが湧きあがるのだろうか。
つらつらと煩わしい文面であったが、要約するとこうだ。
こんにちは、エイクレアちゃんはお元気かしら?
ヴェルベドの方は死んだってね。ご愁傷様。
援軍は送れないからよろしく。まぁ、異民族たちを使い潰せばなんとかなるでしょ。口減らしもかねて消費しといてね。あと、あんたも早く死ね――カベリヤより
どういうわけか、カベリヤは昔からエイクレアを気にかけていた。
碌なことにはならないだろうから、会わせた事はないのだが。
どこか執着しているように思える。今回の遠征にも無理やりついてくるほどに。
まさか、エイクレアの出自を知っているのだろうか。
皇帝の御子――。
エイクレアの母は下級貴族であったが、誰よりも美しく、また、聡明であった。
グウェリアの光――クレール。
金品に物をいわせて着飾る貴族社会の中にありながら、自然に咲く花のように、もって生まれた美しさをして、今の陛下――当時の第一皇太子殿下に見初められたのだ。そして、彼女は御子を身篭った。しかし、そのことは秘匿された。その頃、殿下は未熟であらせられた。武芸に秀で、宮中祭祀にも深く通じ、民からの人望も厚かったが、しかし、それは権謀術数がひしめき合う宮中では枷となった。陛下の直向さ、清廉さは無辜の民の心を打つことはあっても、穢れた権力者たちからは疎まれるだけであった。殿下はその人徳ゆえに、それら邪な者共を制する力をお持ちでなかったのだ。殿下に下級貴族である彼女を守る力はなく、また、彼女も殿下の弱みになることを恐れた。結果、彼女は生まれ育った領地にひっそりと移り住んだ。やがて、エイクレアが産まれると屋敷というには小さな家で、僅かな使用人と共に静かに暮らしたのだ。
それから数年が経ち、皇帝陛下が崩御した。
無論、第一皇太子殿下が新たな皇帝として即位された。
即日、私は陛下より命を受けた。
――私の家族を迎えに行ってほしい。
即位して最初の勅命であった。
しかし、これが果たされることはついになかった。
陛下の即位を面白く思わない者たちがいたからだ。
未練がましくも野心を抱く代理継承者と宮中に巣食う邪鬼だ。
そして、この者たちは憂さを晴らすかのように三文芝居にも劣る脚本を書いてしまっていた。
陛下がかつて愛していたであろう下級貴族の女を害して、その上で、深い悲しみに沈む陛下を自殺に見せかけて暗殺する。民は嘆くが次代の皇帝を恨むことはない。そんな浅はかな脚本だった。仮にそれが実現したとして、皇帝の剣である騎士も陛下を崇敬していた民等も、それを受け入れるはずはないというのに。
私は道中でクレール様の亡骸と、倒れた馬車の中で震える幼子を見つけた。
旅用具の毛布で貴人を覆う。幼子は頑なに出てこようとしなかったので、しばらくそこに隠れているように伝え、私は屋敷へと向かった。
蹄の音が聞かれないように、小さな屋敷を視認したところで馬から下りた。
使用人たちは既に殺され、賊どもが物色をしている最中であった。話し声や足音などの気配から大よその人数と位置を把握する。
幸い私が着用していたのは軽い革防具だった。一室で箪笥の引き出しをひっくり返していた一人の口元を後ろから押さえて短剣で喉を裂く。さらに違う部屋で談笑していた二人を長剣で斬り捨てた。
最後の一人は寝室でドレスの匂いを嗅いでいた。それは、クレール様が初めて陛下に声をかけられたときに着ていたものだった。
私は怒りに任せて男を蹴り飛ばした。倒れたところで両脚の腱を切る。下品な悲鳴が上がるが開いた口に剣先を突き入れると静かになった。殺してはいない。私は静かに剣を引き、尋問を開始した。男たちが何者であり、誰に何を命じられたのか。答えに躊躇えば指を飛ばし、あやふやなことを言えば耳を飛ばした。そうして、幾度か男の身体を刻んだせいか、すべての答えを聞き出す頃に男は死んだ。
その後、私は泣きじゃくる幼子を強引に連れて、帝都へと戻った。帰路の旅で幼子が笑うことは無かった。私は彼女を自身の屋敷に預けると、陛下に謁見をし、すべてを報告した。しかし、皇帝は悲しみに沈まなかった。怒りに震え、剣を手に取るとその足で首謀者の下へと向かった。
その日、城内は殺戮に満ち溢れた。野心的な親王、汚職に塗れた大臣、貴人の殺害に関与したであろう者たちは皆殺された。親王や一部の高貴な者たちにはグウェリアの騎士が護衛についていたが、いずれも陛下の一言によって事態を察し、膝をついて凶行を見過ごした。
――グウェリアの光が……死んだ――
乱心と言って差し支えのない振る舞いであった。
捕縛でも拘留でもなく即刻の死。
その日、城内に居らず難を逃れたものは、後日、グウェリアの騎士たちによって捕らえられ、陛下の御前にその身を捧げられた。
そして、復讐を終えた後、陛下は自害をなされた。
クレールを失った悲しみからか、あるいは殺戮者となってしまった自身への罰か。もしかしたら、直後に起こる事象を予見していたのかもしれない。
いずれにせよ、陛下は多くの臣下らが見る中で自ら喉を切り裂き死んだ。
死んだはずだった――陛下から流れ出た血が、時を逆行するかのように戻っていったのだ。
すべての血が体内へ収まり、瞬く間に傷口が消える。
不死――。
そうとしか言いようがなかった。
信じがたいことだが今上の皇帝陛下は不死を獲得なされたのだ。
そうなれば皇位継承権などというものは意味を成さない。
生き残っていた親王の子息ら、他の皇族はすぐさま皇位継承権を放棄、助命を嘆願した。
その価値が著しく下がった肩書きを担保に、いったい何を言っているのかとも思えるが、陛下はこれをお許しになられた。彼らに野心や邪心が無いことを見抜かれたのかもしれない。
こうして皇位継承者は絶えたかに思えたが……己が権利を自覚していない者にその権利を放棄することはできない。
つまり、エイクレアは幼くして唯一の皇位継承者となったのだ――。
このことは陛下と私しか知らない。
皇女の存在は誰にも知られてはいけなかった。
陛下は不死であらせられる。
で、あるならば、帝国に仇をなす者たちは彼の御身ではなく、その一人娘に刃を向けるに違いないからだ。
しかし、陛下御自身がカベリヤにお話になられた可能性はある。グウェリアの皇帝陛下は武力王にして祭祀王であらせられる。軍事も聖事も頂点は皇帝陛下御身一。他でいうところの教皇も兼ねていた。首席枢機卿なら陛下とお会いする機会も多い――いやそれ以前に陛下はカベリヤを重用しておられたな。
本隊が動かないのは陛下の御意思か。
帝国騎士が打ち倒されるほどの脅威――黒鱗の怪物に聖女が害されることを心配しておいでか。
カベリアの奇跡は凄まじいが、その肉体はどこまでいっても鍛えられた人間にすぎない。気安く大規模な奇跡を行使すれば自身も巻き添えになるであろうし、対人戦においては強く見積もっても騎士一人と同程度。奇跡の種を知っている私やヴェルベドであれば、おそらく勝てるだろう。そしてまた、黒鱗の怪物があの時の生き残りであるのなら、奇跡の種を知っている可能性は高い。
つまり、怪物は騎士のみならず魔女をも倒せる。
奴はウェルカーの率いる斥候小隊を壊滅させ、見習い騎士カークスの矢を掻い潜り、グウェリアの騎士が三名がいる中で暴れまわった。あの突破力、カベリアの本隊とて万が一がありうる。
おそらく、カベリヤは陛下から永続的にエイクレア救命の任を受けている。
しかし、ヴェルベドが死んだことで陛下はカベリヤの身までも案じなければならなくなった。
怪物は神出鬼没だ。またその数も一匹とは限らない。こちらに兵員を裂いてカベリヤを守る壁を薄くするのは愚策かもしれなかった。
客観的に見て、カベリヤの価値は今や一国の皇女を遥かに凌ぐ。代えの利かない人材どころではない。今後、二度と手に入らない最強の切り札だ。死地に送ることはできない。
カベリヤを退かせれば、いざという時にエイクレアを救う手立てがなくなり、カベリヤを進ませれば帝国は稀代の聖女を失うかもしれない。
帝国最強の戦力が身内の事情で身動き一つ取れないとは笑えない葛藤だ。
なるほど、それゆえの手紙か。
要するに私が怪物を排除すれば簡単な話というわけだ。
――まぁ、無理だが。
ヴェルベドを失ったのが本当に悔やまれる。
あるいはウェルカーが戦線復帰をすれば単独でも勝てるかもしれない。
奴の剣才は図抜けている。生まれがグウェリアであったなら騎士となり、その中でも上澄みに位置しただろう。
カベリヤの奇跡でウェルカーの怪我を回復できればよいのだが、生憎と彼女は攻撃特化だ。聖女らしい権能はもちあわせていない。
となると、優先されるのはエイクレアの帰国。
エイクレアが退けば、カベリヤも退くだろう。無論、兵員は残して貰う。
そうすれば本隊をカベリヤを守る分厚い壁ではなく、本来の用途――セレイン攻略の主力として扱える。
しかし、問題はある。
エイクレアだ。
あれが素直に帰るわけが無い。
私の裁量で帰国を命じることはできる。適当に止血帯を巻いて怪我をしたとでも言っておけば、彼女が特別であることを悟られずに帰国させられるだろう。
だが――。
これでは、周囲の者を誤魔化せても肝心のエイクレア自身にどうにも説明ができない。
あれは既に騎士として自分の道を歩んでいる。ここにきて、御身は皇女であらせられるので城の中にお引き篭もりください――などと言おうものなら、いったい何をしでかすことやら。
――おそらく何もしないのだろうな。
これまで通り、私の側で私と共に戦うことを選ぶ。あれはそういう娘になってしまった。
……少し手間だが任務を偽装して後方へと追いやるか。
彼女はいったい誰に似たのか、糞真面目な性分だ。責務を果たすためなら多少の我侭は堪えるだろう。
後方の本隊にさえ合流できれば、後はカベリヤが上手くやるはずだ。
「やれやれだ」
どれほどの時間、考え込んでいたのか。
外に出ると夜が明けようとしていた。
黒鱗の怪物の出現にともない、突如として立ち込めた暗雲。
私はエイクレアの帰還が、帝国に黎明を告げる一筋の光になることを祈った。




