肉欲のスープ
攻防を終えた土塁の裏に人影が潜む。
微かな星明りに照らされて、男の下卑た笑みが闇夜に浮かんだ。
脱ぎ捨てられた衣類の上に横たわる女。
はやる男の鼓動、乱雑な動き。
呼応する女の息は熱を帯びている。
「早く替われよ、なぁ」
「話しかけんじゃねーよ、萎えんだろうが」
催促にいらついた男が憂さを晴らすかのように突き上げ、それまで声を押し殺していた女は嬌声を上げた。
警邏を気にした男が女の頬を張る。
「うるせーよ、きゃんきゃん啼くな」
「おい、ぶつことないだろ」
「見ろよ、こいつの顔」
もう一人の男が暗闇に慣れた目で女を見る。
口元に当てられた手が揺れ、隠された表情がのぞく。
笑っていた。
女は男の要望に応えるように声を抑え、断続的に息を漏らしながらも笑っていた。
「好きものか」
「そういうこと」
男は慣れた手つきで女体をうつ伏せにして後ろから圧しかかった。
女の眉が歪む。
男達から女の顔は見えない。
女は唇を噛みしめ、自らの声と――心を殺した。
◇
二人の女が焚き火を挟む。
火の上に吊られた鍋からは湯気が立ち上り、よく手入れをされているのか、磨かれた表面には炎が揺らめいていた。
「ふあぁ」
黒髪の女が眠そうに欠伸をしながら鍋をかき回す。
「食事が済んだらすぐに休むんだぞ、シモーヌ」
「ありがとうございます! けど大丈夫ですよ!」
シモーヌはエイクレアの気遣いに華やかな笑顔を咲かせたが、すぐに気だるげな表情になった。
「後片付けもしなきゃですしぃ……ふーふー」
小匙でひとすくいしたスープを口に運ぶ。「はぁ、美味しい」シモーヌの表情がまた華やぐ。「できました! お肉よりもスープが美味しいスープができました!」
エイクレアはスープの注がれた深皿を受け取ると、両の手を温めるようにじっとした。
「好きな香りだ」
シモーヌも自分の皿にスープを注ぐ。
「お肉うまっ」
匙でかき込んでは嬉しそうに肉片を頬張るシモーヌ。
鍋の中はただの野菜スープになっていた。
エイクレアが自身の手元をあらためて見てみると、こちらも肉は入っていない。
肩をすくめるエイクレアだったが、深皿に口をつけた途端にその口元が綻んだ。
スープには野菜の深い旨味と現地調達の肉の脂がよく溶け込んでいた。グウェリア産の塩もよいアクセントになっている。どうやら本当に肉よりもスープのほうが美味しいようだ。
(素材を生かした素直な味だ。料理には人柄がでるというが……この娘はどんな罪でここにいるのだろうか)
急遽配属となったシモーヌを除いて、兵員達の経歴は把握していた。非戦闘軍務を怠けた者、仲間内で喧嘩をした者、上司批判――それもヴェルベドへの陰口を叩いた者であるとか、ゴドフロイが言っていたように罪人としては大したことはなく、わざわざ懲罰部隊を編成するほどのことではない。苦役を担わすための方便だろうか。だとすれば、彼女の罪もしれているが。
「摘み食いでもしたか」
「なにがです?」
独り言のような問いに、シモーヌは咀嚼をしつつも疑問符を投げる。
「いや、それより口から肉汁が溢れているぞ」
とくに恥らうでもなく手のひらで口元を拭うシモーヌ。
(普段は女の子然としていても、食には奔放になるのだな)
小奇麗な顔になったシモーヌの口が再び開く。肉を食べるためではない。
「ロランさんは大丈夫でしょうか」
伝令兵のロランはこの場にいない。後方の本隊へ使いに出ていたからだ――。
『斥候を志願します』
夕暮れ時のことだった。
淡白な調子でロランが言った。
『なんだ、貴様も泥に塗れたいのか』
『まさか。本隊までの街道を走るだけですよ』
ロランは状況の分析に定評がある。エイクレアと同じ疑問を抱いているに違いなかった。
『いいのか』
『九割九分大丈夫でしょう』
『伝令が狩られるような場所は残す所一つだ。そしてそこは本隊から近い。なにかあったとしても対処は終えているだろう。ここから本隊までの道中で敵兵が伏せている可能性はほぼない』
『伝令狩りは何らかの要因ですでに死んでいる。そう考えるのが妥当でしょうね』
『だが、そうでないのなら、我々が想定できていない盲点があることになる。残りの一分を引けば死ぬぞ』
『それは何処にいても同じですから』
――日没後、ロランは出立した。心もとない月明かりの下、どこまで進めるのだろうか。
「あいつは、つい先日まで戦士として前線を生き抜いてきた。生存の嗅覚は優れている。心配ないさ」
先の戦いで黒鱗の怪物に多数の支援兵を葬られていた先遣隊は、適宜、配置換えを行っていた。ロランもその一人だ。
「はい」
エイクレアは熱さが和らいだスープを飲み干した。それを見たシモーヌも一息に飲み干す。幾度おかわりをしたのだろうか、鍋のほうもすっかり空になっていた。
「美味しかったよ」
「はい!」
「さぁ、営地に戻るぞ」
野生動物の襲来を警戒して食事処は夜営地から距離をとっていた。
「あの……まだ後片付けが」
「これをか」
地に目を向ける二人。
――混沌。
無秩序に切り飛ばされた野菜屑。なにかしらの爬虫類の四肢や皮。いずれも虫が集っていて常人が近づくことを拒んでいる。
「さっき調理したばかりなのにすでに腐臭が」
この場の臭いをたどって、肉食獣が営地までくる可能性もあったが、片付けの労力と精神的苦痛とを鑑みれば獣との戦闘の方が幾分かマシではある。
「帰ろう」
「……はい」
二人は手早く調理器具と食器をまとめて戦地をあとにしたのだった。
◇
土塁に腰掛けた男が、汚れた女を見下ろす。
「やらないのか」
「どろどろじゃん。またの機会にするわ」
相方の匂いが染み付いた女を前に、男は興味をなくしたように目を背けた。
そして――男達に突如として死が宣告された。
「残念だが次は無い。貴様達はここで果てろ」
「え?」
「げぇ!」
男達が顔をあげると、この軍で最も強く最も清廉な男――騎士ゴドフロイが抜き身の剣を大上段に構えていた。
「死ね」
しかして、振り下ろされた剣は空を切った。
何者かが後ろから男の首を掴んで引き寄せたからだ。
剣を下段に振り抜いた体制で何者かにゴドフロイが問う。
「――どういうつもりだ、シモーヌ」




