見えないもの
騎士エイクレアは不貞腐れていた。
初恋を自覚してから一夜明けた今、営内を仏頂面で歩きながら先程のやり取りを思い返す。
早朝の軍議が終わり、士官たちが退室した後のことだ。
「後方の探索?」
「後続本隊からの伝令がない。おそらく狩られている」
後方といっても一本の街道だ。そしてそこはウェルカーが新兵達と通過している。
「ウェルカーたちがやられたとは思えないが」
「少数の敵が湿地林に潜伏している可能性がある。一定規模の部隊はあえて素通りさせて単独の伝令だけを狙っているのだろう。連絡路を確保したい。ウェルカーの抜けた穴を埋めてくれ」
ウェルカーの戦士としての力量は言うまでもないが、彼は小隊規模の指揮官としても優秀だった。どのように困難な任務でも必ず達成するというわけではない。退き際の嗅覚が優れているのだ。練度の高い兵は有限で高価だ。命じる側からすれば、多少の成果と引き換えに死なれては困る。かといって、逃げ癖がついて、いざという時に役に立たないのも論外だ。ウェルカーは任務の重要性と部隊の生存、その秤の取り方が抜群なのだ。当然、その生還率の高さから部下たちの信頼も厚い。それだけに、埒外な怪物に遭遇して全滅したことは不運としか言いようがなかったわけだが。
なんにせよ、ウェルカーの代わりは優秀でなければ務まらない。
ここが敵軍の庭であることを考えれば尚更だ。
しかし、斥候や探索という点に絞るのであればエイクレアが最適というわけでもない。
「小隊長程度なら他の者にも務まるだろう。それより私が……離れるほうが不味いのではないか」
貴方の側を、という言葉を咄嗟に飲み込む。
「心配をするな。お前がいなくとも指揮系統に問題はない。自らが騎士失格であると思うのなら、一兵卒から、とは言わん。小隊長からやり直してこい」
まるで励ますかのような、導くかのようなその物言いにエイクレアの美顔は引き攣る。
「本気で言っているのか」
「あぁ、そのくらいの裁量はある。気にするな。それと、懲罰部隊を預ける」
「ん?」
懲罰部隊。
それは、懲罰を与える側ではなく、懲罰を課せられる側――つまり、戦時において軍規違反を犯した者たちををまとめた部隊である。脱走や略奪、残虐行為に性的な暴行等、それらの罪が明るみになった連中。要するに、ろくでなしの集団だ。
「なに、隊員のほとんどは些細なことでヴェルベドに叱られた程度の連中だ。悪い奴らではない――たぶん」
語尾を濁しつつ、ゴドフロイは天幕の外へと消え、残されたエイクレアの瞳からは当然のように光が消えた――。
回想を終えたエイクレアは立ち止まり、思案をする。
隣に並び立ち、守り抜くと心に決めた矢先にこれである。
浮ついた乙女心も男の無神経な言葉には冷めてしまう。
(あの中年、よもや私のことを好いてはいないのでは? )
エイクレアの目つきが険しくなる。
途端、周囲で働いている者たちが足早になった。
(言葉通り、弟子として可愛がっているに過ぎないのだろうか。陛下を軽んじるような言い回しになったのは単に言葉の綾だったのか。思えばあれは誰にでも優しい男だ。私を異性として認識していない可能性すら……)
「……ありうる」
眉間に力が入り、小さな瘤ができる。
その表情を窺って下々《しもじも》の者たちはより忙しく働き出す。武具の点検をする者、荷をまとめる者、なにかしらの報告に走る者。人々に会話はなく、ただ作業によって生ずる雑音のみがあった。
そんな中、上官の機嫌などお構いなしといった具合に、能天気な声が発せられた――。
「いったいなにがありうるんですか?」
騎士の正面に立つ一人の女性。
平均よりも少し高い背丈。細身だが病的ではなく、かといって戦士然とした逞しさもない。
少女というにはどこか大人びていて、大人というには少しあどけなさが残る顔立ち。一つに結われた長い黒髪は、ろくに洗髪もできないはずの戦場で、清潔感すら漂っていた。
申し訳程度に腰にぶら下がる剣をのぞけば、およそ戦場には似つかわしくない風貌。
彼女の名はシモーヌ。
懲罰部隊の紅一点。
見るからに普通で――可愛らしい女子だ。
◇
「そんなことないですよぉ、ゴドフロイさんは絶対エイクレアさんのこと好きですって!」
「そうだろうか?」
「だっていつもエイクレアさんのこと見てるじゃないですかー。すごく優しいし」
「あの男は誰に対しても優しい。私に限ったことでは――」
「いやいや、エイクレアさん、おとといの夜、街道で眠りこけてましたよね? ゴドフロイさんずっと見張ってたんですよ。ときどき焚き火に木をくべながら」
「そうなのか?」
「愛されてますってぇ」
うんうん、暖かい話ですねぇ……と、縦に大きく首を振るシモーヌ。
エイクレアとシモーヌたちはすっかり打ち解けていた。
「いや、本当にただ後輩の面倒見がいいだけかもしれません」
「なにいってるんですかー!」
恋話がいい感じに着地しかけたところで口を挟んできたのは伝令兵のロランだ。
彼は記憶力と客観的な論述に定評があった。
ただし、空気は読めない。
「考えてもみてください。そもそも騎士ゴドフロイはなぜあの場に?」
「遺体の回収だ」
「そうです。泥濘から異民族たちの亡骸をすくいあげるなど、本来であれば懲罰部隊が行うような汚れ仕事です」
エイクレアとロランは感心した眼差しをシモーヌに向ける。こんななりをして中々苦労をしているじゃないか――と。
「あ、私は参加していませんよ。部隊への配属は今日からですし」
視線を外す二人。
「誰もが嫌がるような過酷なことでさえ彼はやり遂げてしまいます。それも自らすすんで。近くにいた後輩騎士の世話を焼くくらいはなんともありません」
「つまり、私への優しさはついでだったと」
「はい」
「ちがうちがう違いますって……! よく思い返してくださいエイクレアさん。ゴドフロイさんは貴方に特別やさしかったのでは? 例えば他の騎士さん……ヴェルベドさんと比べてみてください」
「ヴェルベドとはよく口論をしていたな。語気が荒くなることも」
「ですよね? エイクレアさんにはそんな態度とらないでしょ?」
「確かに――」
エイクレアの小さな頷きに、ロランがすかさず割ってはいった。
「いえ、騎士ヴェルベドは口が悪すぎました。彼と話す者は誰であれ語気が荒くなります」
「だからなにいってんですかー!」
シモーヌを無視してロランは言葉を続けた。
「騎士ゴドフロイの優しさは打算的なものではなく、もっと自然体といいますか、万民に対して普遍的なものであるように思います」
どこか的を得るようなロランの回答にシモーヌも押し黙る。
「続けてくれ」
「おそらく彼は聖人の類なのではないでしょうか。私は聖女カベリアにお会いしたことがあります」
「似ていると?」
「いいえ。むしろ逆です。ご存知のとおり、聖女カベリアはその偉大な功績を讃えられ、生きながらに聖女の列席へと加わりました。砂漠に赴けば海を降らせ、夜中に歩けば太陽を昇らせる。聖女カベリアの逸話は枚挙にいとまがありません」
「ゴドフロイにはないものだ」
「はい、騎士ゴドフロイは奇跡を起こしません。そして彼に従う者たちもそれを望んではないのです。常に愚直で、一人の人間としてできるうる限りの最良を尽くす。彼は誰をも愛し、またそれは公平なのです。このような方は万人を等しく愛しこそすれ、不平等で特別な恋はしないでしょう」
――あれが聖女なものか。聖人は人を殺めたりはせん――
エイクレアの表情に影がさす。
あの言葉は自らへの戒めであったのだろうか。
「なるほど、よく見ているな」
「彼を知る者なら、誰もが感じていることですよ」
「そうだな」
しばしの沈黙の後――。
「はいはい、わかりました。ロランさんはもうあっちに行ってください。ていうか、女子の会話に入ってこないでくださーい」
シモーヌがなんとも言えない表情でロランを追い払った。
(理屈が正しいかどうかなんてどうでもいいのに。なんで女子が喜ぶことを言えないかな)
シモーヌは心配するように馬上のエイクレアに視線をむけた。
現在、エイクレアは騎乗して街道上に待機をしている。主だった戦士は湿地林に向かい、街道にはシモーヌやロランといった支援兵を若干名残すのみだ。始めはエイクレア自らが湿地を隈なく探索するつもりだったのだが――『お馬さんに乗って泥濘に入るおつもりですか』とシモーヌに止められたのだ。『下馬はするし甲冑も脱ぐつもりだ』と返したエイクレアだが『騎士が下馬してなんになるので』『軍馬を遊ばせるくらいなら哨戒には参加しなくていいです』『いざというとき馬でお逃げください』と、隊員それぞれから声が上がったのだ。
エイクレアもまたシモーヌへと視線をむける。
(ここに属しているということは、なにかしらの罪人だろうに。おかしな奴らだ……だがこの手筈、決して悪くはない――)
「ところで、シモーヌはゴドフロイが好きなのか?」
「えー!? なんで!?」
戸惑う彼女の顔は、よく見ると薄っすらと化粧がのっている。整った眉に艶のある髪。毎朝手入れをしているのだろうか。なにやら甘い匂いもする。
「ずっと見ていたのだろう。彼を」
「見てたって言うか、見かけただけですよぉ」
「一晩中起きてゴドフロイの様子を窺っていたのだろう?」
「いやほんとになんでそうなるんですか!?」
「他に眠らない理由がないじゃないか。我々軍人にとって休息は貴重だ。例え敵が来なくとも軍務はある。睡眠時間を削るなど余程のことがあったのだろう。例えば気になる殿方が近くにいて、そわそわしたとか」
どうだと言わんばかりの顔でエイクレアが微笑む。
「思春期のお子様ですかっ! 私の夜更かしとゴドフロイさんは関係ないですよぉ」
「ほう、どうだか」
「えっなにこれめんどくさっ!」
「冗談だ。私ばかり心中を明かして恥ずかしかったのだ。大目に見ろ」
「はぁ」
作戦会議が一段楽したところでエイクレアは周囲を見渡す。
(敵が潜んでいるならこちらを捕捉しているはずだ――あの時と似た状況、件の怪物がいれば仕掛けてきてもおかしくはない)
しかし、接敵の様子はない。
やがて、探索を終えた戦士たちが戻ってきた。
「こちらの人数が多くて身を隠しているといった感じではないですね」
「毒蛇や獣の類もいます。並みの兵では湿地林で夜を明かすのは無理でしょう」
「ご苦労だった。よく休め」
エイクレアは報告を終えた兵達を労い、今後の方針を模索する。
(おそらく、ここには怪物も敗残兵もいない。更に後退して探索範囲を広げるか? だがどこまで?)
エイクレアは進軍の道程で周辺の地理を掌握していた。敵が身を潜めることができて、街道を馬で走る伝令を仕留めるとなると狩場は限られる。そして想定された狩場の探索はここで終えていた。
残る要所はあるにはあるが遠すぎる。後続本隊のほうがずっと近いくらいだ。定期の伝令が届いていないのであれば本隊も対策を講じているはずだった。
(こちらが出向くのは不合理だ。それに――……これ以上、離れたくはない)
エイクレアは自らの足元から伸びる影を見つめる。
何処かで何かが噛み合っていない。そんな気がする。
――焦燥と不安。
彼女が振り返ると、沈む夕日が異国の雲と水面を赤く焼いていた。




