二週目の給食当番になった日の炊き込みご飯【出汁のきいた旨味】
その日の学校に着くとすぐに、俺はある場所まで急いで走っていた。学校の校庭の端には小さな駐車場があって、その近くの電話ボックスに向かった。
心臓がバクバクして壊れそうだったが、電話ボックスの中に入る。ちなみに心臓がドキドキしているのは走ったからではなく別の理由である。
緑の公衆電話にテレフォンカードを入れて、自宅に電話する。
ちなみにテレフォンカードはこういった公衆電話からかける時に入れるカードだ。あの頃はお金を入れたり、テレフォンカードを入れて公衆電話で電話をかけるのだ。
ケータイやスマホが出たので、こういったカードは見なくなったし知っている子も少なくなった。でも緊急事態の時にスマホが使えなくなったら、公衆電話からかけないといけなくなるのでテレフォンカードって非常事態の時に必要だよな、とも思う。
さて、ドキドキしながら公衆電話から自宅に電話をすると、受話器からお婆ちゃんのしゃがれた声で「もしもし」と聞こえてきた。
「あ、お婆ちゃん?」
「おや、たっちゃん。どうしたんだい?」
「あのさ、お母さん、まだ仕事に行っていないよね?」
俺の質問をすると「行っていないよ」とお婆ちゃんはいい、ホッとした。だが「お母さんに代わって」とは言えない。お母さんは今、鬼のように忙しいだろう。出勤までに化粧と着替えをしているのだから。
なのでお婆ちゃんに伝言を頼む。
「お婆ちゃん、お母さんに家に忘れた給食袋を俺の学校までに持ってきてくれないって言って」
「給食袋? ああ、分かったよ」
「お願いね。給食袋を学校までに持ってきてって」
「ああ、はいはい」
お婆ちゃんはそう言って電話を切った。俺もホッとしつつも、一抹の不安を覚えながら受話器を戻して、出てきたテレフォンカードを取った。
これで俺が出来る事は以上だ。後はお婆ちゃんが忘れて朝ドラを見だしたり、お母さんも給食袋を忘れたりしなければ大丈夫だ。
だがお母さんが来るまで不安だった。忘れ物をして公衆電話から届けてほしいという電話を何回もしているが毎回、心細くて胸が張り裂けそうになりながら待っていた。
もうすぐ予鈴のチャイムが鳴る。早く来ないかな? 事故に会っている? 大丈夫かな? と思っていると国道を走ってきた見覚えのある車を見て、「あ!」と思った。
その車は俺のいる駐車場に停まった。すぐに俺も駆け寄ると、不機嫌そうなお母さんがドアを開けた。
「ほら、もう忘れんじゃないよ」
呆れながらお母さんはそう言って真っ白の給食袋を俺に寄こす。俺は「ごめんなさい」と謝って給食袋を受け取ると、お母さんは「じゃあ、仕事に行ってくるから」と言ってすぐさまドアを閉めて車を発進させた。仕事前なのに、申し訳ないと思いながらお母さんが運転する車を見送った。
良かったとホッとしつつ、急いで自分の教室に戻っていった。
ローカルルールかもしれないけど、うちの学校では先週、給食当番だったグループは休みの日に使った給食袋を洗って次の給食当番のグループに託すのだ。
もし一人でも洗い忘れたり、持ってくるのを忘れたりするともう一週やらないといけないのだ。そう、俺達の時代では小学校ですでに連帯責任というものを覚えさせられるのだ。
もう一週やるのは面倒だし、グループに悪い。だから例えお母さんに怒られてでも、こうして忘れた給食袋を持ってきてもらうのだ。
だが自分が忘れていなくても人生は不条理と言うものがある。
「おい! 辰真! 今週も俺達のグループが給食当番だぞ!」
連帯責任を回避してお母さんに怒られる運命を背負った俺に龍雅が無情な事を言いだした。すぐさま「はあ? なんで?」と聞いた。
すると普段と変わらない口調で龍雅は答えた。
「俺が忘れたから」
「じゃあ、今すぐに電話してお母さんに持ってきてもらえよ! テレフォンカードを貸してやるから」
俺はポケットからテレフォンカードを出して言うが、龍雅は「いや、無理」と堂々と答えた。
「俺、休み前に給食袋を持って帰るのを忘れた」
「……」
「このまま次のグループに渡そうと思ったけど、洗ってねえじゃんってバレちゃったし」
龍雅は開き直りとも言えるような態度で事情を話す。同じ給食当番のメンツを見ると龍雅を思いっきり睨みつけていた。忘れた上にこの開き直り。小学生でも腹が立つだろう。
こうして二週目の給食当番をする事になってしまった。人生は無情だと子供の時から思ってしまう出来事だった。
*
緑色の公衆電話のミニチュアや昔話の流れで、あの日の事を思い出した。
「小学生の頃にさ、龍雅が給食袋を忘れたのを覚えている?」
俺がそう言うと竜太が爆笑して「覚えている!」と笑い、龍雅はキョトンとした顔で「知らん」と言った。この顔は本当に忘れたな、龍雅は。人間は都合の悪いことはさっさと忘れる。
飲み会はまだまだ続いていた。お酒やおつまみがテーブルにどんどんと置かれて、俺達は飲んでは食べる。テーブルには秋の天ぷらセットが置いてある。甘いカボチャや椎茸などをカリッと揚げている。塩をつけても、醤油をつけても美味しい。
「面倒だもんだな、給食当番って」
「今の子も連帯責任で忘れたら二週目とかあるのかな?」
「どうだろ? 小学生の頃から連帯責任なんて! って親がクレームを言うんじゃねえ?」
最近の子供の事は全く分からないな。俺達三人は独身貴族で子供どころか女心さえも分からないのだから。
龍雅は「そう言えばさ」と言って、かぼちゃの天ぷらを食べながら話し出した。
「給食って季節のメニューとかあったよな。秋だと炊き込みご飯、お吸い物とか」
「あー、あったね。しかもあの日、お前はお吸い物をぶちまけたよな」
「え?」
忘れている龍雅に俺は思い出させるように話し出す。
恨みが沸々と煮えたぎりつつ午前中の授業が終わった。龍雅のせいで俺達の当番は再び給食当番になってしまったので、給食を配るための白い割烹着を着る。
給食当番はマスクをするのだが、まさかもう一週するとは思わなかったので全員忘れた。先生に「明日必ず持ってくるように」と言われて、なんだか嫌な気持ちになった。
「え? 俺達が給食当番じゃないの? ラッキー! 俺、今日マスク忘れたんだ! 龍雅、ありがとうな!」
次の当番である男子の一人が嬉しそうに言う。龍雅が給食袋を洗わなかった事が、彼にとっては幸運だったみたいだ。
元凶である龍雅は呑気な顔で「あー、面倒くさい」と言って、反省も申し訳なさげも一切ない。それを俺達グループは恨みがましい目で見ているが気にしていない、のではなく気づいていない。
龍雅以上に面倒くさい気持ちで俺は給食当番を全うした。
あの頃は学校で給食を作るおばちゃん達に「いただきます」とか「いつもありがとうございます」とか言って、給食の入った銀色の食缶と食器を持って行く。教室に着いたら、給食当番は配膳するのだ。
他の子達は並んでトレイを持って配膳された給食をもらいに行くのだ。
「もうちょっと、多くしてくれない?」
などと色々と言われながら、サラダやご飯、汁物を盛り付ける。二週もかけて、やりたくない当番である。
全員に給食が配り終わると、俺達の仕事は半分終了だ。なぜ半分なのか、それは食べ終わった食器や食缶を戻しに行かねばならないからだ。本当に面倒な当番である。
全員で「いただきます」とそう言って黙って食べ始める。
パンデミックの影響で小学校では給食を黙って食べないといけなくなってしまったとか、ニュースで言っていたけど、俺は「はあ?」と思った。
俺が小学校時代はおしゃべりして食べるとうるさいと怒られていた。どうやら今の時代は、みんなで楽しくおしゃべりして食べるらしい。随分と変わってしまったなと思った。
黙って食えと言う方針のくせに、なぜか席をちょっと移動させて、六人グループを作って向かい合って食べるような形を作っていた。ちなみに俺と龍雅は通路挟んで隣だった。
それも意味が分からないけど、学校のルールなんてそんなものが多い気もする。
他にも時代や地域によっても給食のルールが違ってくるだろう。
そしてお休みの子の分のデザート争奪戦もやっぱり時代や地域、クラスによってルールが違うかもしれない。
この時のクラスのデザート争奪戦ルールは以下の通りだ。
・給食の時間が終わる五分前で完食する。
・候補者が複数いた場合、フルーツポンチなどは平等に分ける。
・ゼリーなどのカップのデザートなどの場合、じゃんけんで決める。
・おかずに関してもこのルールを適用する。
これは先生やクラスメイト達が厳正に決めたルールなので、ちゃんと守らなくてはいけない。だがしかしである。デザートを食べたいけど、ルールを守りたくない欲望に忠実な人間は小学生からいるもんだ。
友人の龍雅である。
まず、デザートを得る権利に給食を完食する事が第一条件に挙げられる。
だが龍雅は嫌いな食べ物が多いのだ。まずグリンピース、椎茸、等々があげられる。そう言ったものを龍雅は箸で綺麗に避けて食べていた。普段は豪快のくせに、こういった作業は異様に器用だなと思っていた。
さて、器用に避けたものは隣の席に座っていた俺に「食べてくれ」と頼むのだ。もちろん、見返りはちゃんとある。龍雅が持っているゲームを一週間借りられるのだ。あまりゲームを買ってくれない俺にとってかなり嬉しい。
龍雅の食えないものを俺が食べる事によって、ゲームを貸してくれる。俺達は談合を組んでいたのだ。
この日を迎えるまでは、な。
その日のメニューは炊き込みご飯とお吸い物、おかずとサラダは忘れたけど、デザートがゼリーで、お休みが一人いたので一個余っていた。
そして炊き込みご飯の中には椎茸が入っていた。当然、龍雅はゼリーを得るために椎茸を器用に避けて、かんかんと食器を鳴らして「食べてくれ」の合図を寄こした。
だが俺は、無視した。
俺の今日一日を振り返れば気持ちが分かるだろう。
登校してすぐに走ってお母さんに給食袋を持ってきてもらって連帯責任を回避しようとしたのに、龍雅のせいで再び給食当番になってしまった。しかも本人は開き直っている。ちょっとくらいわがままを言ってもいいじゃないか。
だが龍雅は俺の気持ちを一切わからないので、なんで無視したのか理解できない。
強く脇を突っついても無視するため、理解しようどころか怒りに変った。
そこで彼は何をしようとしたのかと言うと、俺のお椀に椎茸を入れようとしたのだ。
こいつ! そう思って俺は邪魔をする。
お椀に椎茸を入れようとする龍雅と阻止する俺、はた目で見たらアホな光景である。クラスメイトも見て見ぬふりをしていた。
だが龍雅も舌打ちを打ってやめてきたので、諦めたなとホッとしていた瞬間だった。奴はお吸い物を飲むフリをしながら、椎茸を全部箸でつまんで俺のお椀に入れようとしていた。
このやろ! すぐに自分のお椀を避難させる。これで大丈夫、と思った。
その時だった。龍雅が「うわ!」と言う声が聞こえて、俺の靴下に暖かい液体がかかった感触がした。
隣を見ると龍雅がお吸い物をぶちまけながら転んでいた。
俺の目線ではなんで転んでいるのか分からなかったが、周りの人が言うには俺のお椀に椎茸を入れるため、龍雅は限界まで椅子を傾けていたようだ。
そうまでして、俺のお椀に椎茸を入れてゼリーが欲しかったのか、……龍雅。
結局、龍雅はゼリーが食べられず、俺に椎茸を入れていた事も先生にバレてしまった。
こうして俺との蜜月は終了となった。
*
「そんな事があったか?」
すっとぼけた顔で龍雅は首を傾げて言うので、俺は「あった!」と力強く言った。そしてニヤニヤと笑っていた竜太も「あったわー」と言った。
「嘘つけ! 竜太! お前は別のクラスだったろ!」
「確か俺と一緒にゲームをした時、辰真がいなくて『なんでいないの?』って聞いたら『俺のお吸い物をこぼしたんだ!』って怒り狂っていたから、後日辰真に話しを聞いたんだよ」
龍雅、お前がこぼしたんだろ! お吸い物を!
とは言え、この日を境に二週間は絶交していたと思う。どうやって仲直りをしたのかは忘れたけど。
違うクラスだった時の竜太は結構珍しそうに聞いていた。
「それにしても給食のデザートの争奪戦とかあったんだな」
「竜太のクラスでもそう言うのがあっただろ」
「いや。違うクラスだった時、俺の担任って前島だったんだよ。ほら、鬼島。だから休みの奴のデザートはあいつが食べていた」
あー……。いたわ、鬼島。俺も龍雅も嫌な顔をする。たまに意味のよく分からない理不尽な先生っているわけで、それが鬼島だった。俺達が五年生の担任であり、龍雅の天敵でもある。
理不尽なくせに暴食の化身でもあるのか、休みの子のデザートは先生の物と言いだしたりするのだ。今の時代だったら、あいつはモンスターペアレントと揉めていただろうな。すでに定年退職しているらしいから、揉める事は無いだろうけど。
というか休みの奴のデザートを教師が独占して食うなよ、と子供の時も大人になった今も思う。
そんな事を思い出しながら龍雅の嫌いな椎茸の天ぷらを食べていると、竜太は遠い目をしながら口を開いた。
「まあ、そもそも俺って偏食家だったから給食はあまり食べなかったな」
「そう言えば給食のサラダとか、いつも残していたよな、お前」
「というか、給食を完食した事ないよ、俺」
「はあ? お前、それ胸張って言える事じゃないぞ、それ」
「給食のおばちゃんに怒られろ!」
そんな会話をしながら、まだまだ飲み会は続く。