休んでいる子の家で食べたティラミス風ケーキ【ビターでちょっと苦い味わい】
「ハヤテ君って、リアちゃんと遊んだことある?」
「無いよ」
「じゃあ、なんで家知ってんの?」
「保育園とか小学校の時にあいつが休んだら、プリントを渡しに行く係だったから」
更に「あいつって昔からよく休むんだ」とハヤテ君は言った。
私はハヤテ君の姿をじっと見る。半そでのTシャツとショートパンツ、そのポケットにはドングリが詰まっている。靴下は履かないで、スニーカーは踵を潰してスリッパのように履く。もちろん靴は真っ黒だ。ランドセルは当然、ボロボロ。
無口で早歩きのハヤテ君の行動はいつだって突拍子だ。突然、近くの林に入ってドングリを拾い始めたり、猫を見つけると猫じゃらしで呼んだり、少し大きめな雲を見ているなと思っていたら、「見て、あれオチ●ポみたい」とゲラゲラと笑い始める。
ハヤテ君が道案内しなければ、もっと早く着いた気がする。
「リアちゃんの家って、随分と離れた所にあるんだね」
「そうなんだよな」
どんどんと住宅街を離れて、クラスメイトが言うお化け林の道に入る。クラスメイトが言うにはこの林にはお化けがいるらしい。たまに変な声が聞こえて来たり、林の中から妖怪が出てきたりするようだ。
そんなわけあるわけがないと思っていたけど、実際に歩くと薄暗くて怖い。ここの通りを肝試しする男子がすごく怖いと言っているのが分かった。
だが突然、ハヤテ君がお化け林の中に入ってしまった。私はびっくりして「ハヤテ君!」と呼ぶけど、返事がない。
え? どうしよう。そのまま追う? でもお化けが出たらどうしよう……。
そう思っていると背後から何かが迫る音が聞こえた。
「ばあ!」
「わあ!」
ハヤテ君は大きな葉っぱを両手に持って走ってきたのだ。びっくりした私は大声を出してしまう。
「ビビってやんの」
「うるさいな!」
お化け林の道をハヤテ君が笑って走るので、私は追いかけた。
ハヤテ君が案内したリアちゃんの家があるアパートを見る。外壁はクリーム色だが薄汚れている。近くには、なぜか家具やゴミがいっぱい詰まれている。
なんか近寄りがたい雰囲気があった。
「あのさ、嫌だったらポストにプリントを入れてくればいいから」
「え? 直接、渡さないの?」
「前にチャイムを鳴らしたら、お父ちゃん……じゃないか、あいつにお父ちゃんは無いなから。えーっと、男の人に怒鳴られたんだ。何しに来たんだ! って。何もしていないのに、怒鳴られるの嫌だから、ポストに入れているの」
「チャイムをガンガンに鳴らしたんでしょ」
「鳴らしてない!」
ちょっとムキになってハヤテ君が答えた。
「あいつの家は二階の三番目の部屋だ。俺は帰る」
「うん、分かった」
そう言って、手を振ってハヤテ君は帰って行った。
*
意を決して、私はリアちゃんの家のチャイムを鳴らす。怒鳴られたらどうしよう……。
でも出てきたのは明るい声で「あ、いらっしゃい!」と言ってきたリアちゃんが出てきた。
「どうしたの? ホノミちゃん」
「学校、お休みしていたじゃん。その分のプリントを持ってきたの」
「あ、ありがとう。もしかして私が休んでいる間も持ってきてくれた?」
「ううん。それはね……」
「あ、そうだ。今ね、おやつを食べていたの」
「え? いいよ。悪いから」
「いいから、いいから」
そう言ってリアちゃんは私を引っ張って、部屋に入れてしまった。プリントを渡すだけで、帰ろうって思っていたのに。ちょっとうんざりしたが、素直に彼女の玄関で靴を脱いだ。
それにしても玄関に出ている靴、いっぱいだ。リアちゃんの可愛い靴と私の五歳の弟よりも更に小さい靴、そしてもっと綺麗なハイヒール、お母さんの靴かな?
元気よく「早く、早く」と言っているリアちゃんを見て、うんざりしてしまった。
……なんだ、元気じゃない。
夏休みが終わって二学期が始まって一週間。夏休みの宿題の提出や席替えなどが終わって、運動会の練習が始まって慌ただしい。
だけど笹本 リアちゃんは夏休みが終わっても、学校に来なかった。
*
「座って、座って!」
そう言って、背の低いテーブルの所にあった細々した物を隅に片して、キャラクターものの座布団を置いてくれた。リアちゃんのお言葉に甘えて私は座る。
玄関でも分かるけど、リアちゃんの家はものすごく物が多くて汚い。
廊下の所には掃除機があったり、ゴミ袋があったり、ぬいぐるみが座っている赤ちゃん用の椅子が一緒に置かれていたり……。
台所とダイニングテーブルはもっとひどい。まず台所は空のプリンの容器や開けてあるコーンフレークの袋、開けて中身が落ちているレトルトカレーの袋……。ダイニングテーブルはいろんなものが山と谷になってよく分からない。山の真ん中辺りに夏休みのしおりがあったのと、一番下に新学期の準備と言うプリントが見えた。まず、ここで食べれないだろうな。物置となっているもん。
だから比較的にきれいなのはリビングのテーブルに案内したのだろう。だがリビングのテーブルも決してきれいではない。小さな鏡や化粧水が並んでいたり、おしゃぶりなどの小さい子用の玩具もある。
リアちゃんの家を見ていると家族構成がなんとなくわかる。小さい子がいるって。
そして多分この家を見た綺麗好きなうちのお母さんは死んじゃうだろうなって思った。
リアちゃんは冷蔵庫からコンビニのレジ袋を持ってきた。
「あのね、コンビニでね、デザートがたくさんあったんだ」
そう言って、物がいっぱいあるテーブルにカップを置き始めた。プリンとナタデココの入りゼリーとティラミスがあった。
「じゃあ、ティラミスで」
リアちゃんは「はい、どうぞ」と言ってプラスチックのスプーンとティラミスのカップを私にくれた。
その後に「何か飲む?」とリアちゃんが言ってきた。チラッと台所の方を見た後、「大丈夫」と断った。失礼だと思うけど洗っていないコップでジュースを出されそうと思ったのだ。
案の定、リアちゃんはそこら辺にあったコップの中身を見て確認して、ジュースを入れた。
リアちゃんはプリンを選び、傍らにはキャラクターものプラスチックのコップが置いた。
「それじゃ、いただきます!」
「いただきます」
リアちゃんが食べるのを見て、私もティラミスを食べた。おいしいだけど、本当のティラミスじゃないな。
ティラミスはビターなココアパウダーとカスタードのようなクリームと少し硬めのパウンド生地が二層三層に組み合わさったデザートだ。昔、ケーキ屋さんでお母さんが買って、ものすごく熱く語っていたのだ。お父さんと結婚前にデートで一緒に食べた思い出のデザートらしい。
だけどこのティラミスは普通の生クリームとケーキ用の生地だ。お母さんだったら文句を言いそう。
あ、蓋のパッケージを見ると『ティラミス風』と書いてある。これじゃ、文句は言えない。それに私はお母さんではないので怒りはしないし、美味しいと思う。
ちなみにコンビニスイーツブームが始まったのは、もっと後になってからだ。フワフワなロールケーキやチーズケーキなどの様々なスイーツが発売された。最近、コンビニ行くとケーキ屋さん顔負けのデザートがあって驚いてしまう。
ただあの頃はコンビニにスイーツコーナーがあっても、まだまだ小さかった。
*
ケーキを食べていると、リアちゃんが「ねえ、学校はどう?」と聞いてきた。
「みんな、元気?」
「元気だよ」
「ホノミちゃんは相変わらずハヤテ君係をやっているの」
私は嫌な顔して頷いた。ハヤテ君係か嫌だな。
田所 颯こと、ハヤテ君は所謂、問題児だ。小学一年生の時から嫌な事があると飛び出してしまう、ちょっとぶつかっただけで友達を殴ってしまう、授業の邪魔をする等々とみんなの嫌われ者だ。
小学校入学の時から結構な有名人だったから、みんな知っている。うちのお母さんはハヤテ君が問題行動を起こすと、「あそこの親は何やってんだろう?」と友達の春奈ちゃんのお母さんと電話で陰口を言っている。理由は「母親が若い」とか「子育てに興味がない」だとか、いろいろ言っている。
だけど、今はそんな問題行動はほとんど無くなっていった。クラスを飛び出すことはなくなったし、授業の邪魔もしなくなった。それはハヤテ君のいるクラス担任は年配の佐津間先生が、ハヤテ君に付きっ切りでお世話したのだ。
それについてもお母さんは不満だった。お母さんが言うには「ハヤテ君に付きっ切りで、他の子の事は蔑ろなのかしら」と。とは言え、佐津間先生のおかげでハヤテ君は大分落ち着いたのは事実だ。
だが佐津間先生は三月、惜しまれつつも別の学校へ移動になった。そしてハヤテ君のいるクラス担当の先生は大いなる試練が与えられてしまった。
この試練に担任の小泉先生は、とある係を思いついた。そう『ハヤテ君係』である。
私が四年生になった時、小泉先生はお願いされたのだ。
「ハヤテ君の面倒を見てくれないかな?」
つまり居なくなった佐津間先生の代わりをやれとお願いされたのだ。当時、先生に「無理です」とか言えない空気感だったので「はい」と答えてしまった。
これにはお母さんはカンカンに怒った。もう愚痴の電話も止まらなかったし、家庭訪問でも小泉先生にもそれを言おうとした。だが先生は「お宅のホノミちゃんはしっかりしていて……」と褒めたりおだてたりして、なかなか言えなかったようだ。
今だったらモンスターペアレントじゃなくても、マシンガンのようにクレームを言うだろう。だけど、この頃の先生って言うのは、裏で陰口を言っても面と向かって言う人は少なかったと思う。
こうして一学期に引き続き、私はハヤテ君係をやっている。
*
「ハヤテ君って、なんか怖いよね」
「うん、まあ」
「前に先生が使う黒板用の大きな三角定規を投げようとしたからね」
リアちゃんはクスクスと笑って言う。確かにあれはまずかった。
でもそれは相手が教科書でハヤテ君の頭を殴ったからだ。男子のみんなはハヤテ君をちょっかい出して遊ぶのが楽しいようだ。猛犬をわざと怒らせて、遊ぶように。
今も暇になると、男子はちょっかい出そうとしている。本当に辞めて欲しい。
「あ、そうだ。夏休みの宿題はハヤテ君はやってこないって有名だけど、やっぱりやってこなかった?」
「いや、やってきたよ」
二学期の始業式が終わると、夏休みの宿題は回収される。
ハヤテ君の夏休みの問題集はほとんど答えが書いていなかったし、読書感想文も全部のマスを『面白かった』で埋め尽くされていたり、貯金箱作りも『白熊の貯金箱』と題したものだったが触ってみると柔らかかったりと、中途半端だったり未完成なものも多かったけど、提出は出来た。
実は佐津間先生から夏休みが終わる一週間前にハガキが来て、『夏休みの宿題はちゃんとやりましょう』と書かれてあって慌ててやったようだ。学校を離れても、こうしてハガキが来るなんて佐津間先生も心配しているんだな……。
「偉いじゃん。ハヤテ君。でも貯金箱とか変な物を作って来たでしょう」
「うん。白熊の貯金箱だけど、粘土が固まっていなくて柔らかかった」
リアちゃんは「やっぱり」と大笑いする。そんな彼女にハヤテ君が書いたポスターの話しをしようか悩んだが、結局辞めた。
こんな中途半端で未完成な夏休みの宿題を提出したハヤテ君だが、彼が描いた『火の用心のポスター』はみんな驚いた。
マッチの火を描いたものだが、火の表現がインパクトあって目を見張ったのだ。彼に聞くと火は筆で書いたのではなく指や手、しまいには足の裏に絵の具をつけて塗っていったと言う。彼曰く、一番早く出来た夏休みの宿題らしいが、先生たちはコンクールに出そうという話しも出ている。
ハヤテ君は私達と見ているものや考えている事が、ちょっと違うんじゃないのかなって思ってきた。でも問題児である事は変わりないけど。
*
ティラミス風のケーキを食べ終わると、リアちゃんが「あれ?」と不思議そうな顔で言った。
「そう言えば、ホノミちゃんって私の家を知っていたの?」
「ううん、ハヤテ君が教えてくれたんだ」
「あ、そうなんだ」
「昨日までの学校のプリント、ハヤテ君がポストに毎日入れてくれたんだ」
リアちゃんは「へえ」と心ここあらずに返事をした。
今日の放課後、小泉先生が私の所にやってきてリアちゃんに「プリントを私に持ってくれないか」と聞いてきた。
「ハヤテ君に聞くとプリントをポストに入れているだけみたいだから、直接リアちゃんとお話しして渡してあげて」
小泉先生は「ホノミちゃんは、本当に良い子だから」とか「ホノミちゃんのおかげでハヤテ君も落ちていているし」と言って私を褒める。正直、それが私は好きじゃ無い。
だって「良い子」だから、先生のお願い聞いてくれるよねって言っているみたいだもん。
結局、断れずハヤテ君にお願いしてリアちゃんの家の案内をしてもらった。結構な寄り道をしながらだったけど。
リアちゃんはジュースを飲んで「ハヤテ君、なんか言っていなかった?」と聞いた。
「ハヤテ君が前にプリントを持って行ってチャイムを押したら、男の人に怒られたからポストに入れていたって言っていたけど……」
「あー、その男の人はもういないから大丈夫だよ」
お父さんじゃないのか……と私は思った。そう言えば、ハヤテ君も「お父さんいないから」って言っていたな。
それよりもリアちゃんは何で休んでいるんだろう? 全然、元気そうだし。
「ねえ、リアちゃん、元気だよね。なんで休んでいるの?」
「んー……ちょっと、ね」
リアちゃんははぐらかして、そう言った。
*
そんな時、隣の部屋でバタバタと音が聞こえてきた。
「あ、マズイ!」
そう言ってリアちゃんはリビングを出て行ってしまった。テーブルのおしゃぶりを見て、赤ちゃんが起きたのかな? と思った。
しばらくぼんやりと部屋を見ていると、床の上にランドセルが置いてあった。そこには夏休みの問題集があった。悪いと思いつつ、パラパラめくるとやっていなかった。
ハヤテ君の事を悪く言っていたけど、自分もやっていないじゃん! そう思った。
ランドセルの中には、シールノートを見つけた。見ると数多くの可愛らしいシールがある。いいなあ、私はあまり買ってもらえないんだよな。羨ましい。
他にもいろんなものがいっぱいだった。有名なキャラクターのぬいぐるみと人形や魔法少女アニメの玩具、テレビの前にある最新のゲーム機、そして子供用のジャングルジムがたくさんの物の中に埋もれている。
そう言えば私はリアちゃんについて、何にも知らないと思った。
いつも一緒にいる女の子達と一緒にシール交換やメモの交換などしたり、楽しくお話ししているのを見かける。ちょっと派手めなグループにいるなと思う。よくハヤテ君が問題行動すると「嫌ね」って顔したり、煽ったりしているのも見ていて、あまり感じが良くない。
ちなみに私は大人しい女の子のグループに居るから知らないのは当然だと思うけど。
あれ?
じゃあ、なんで私がリアちゃんの家に行ってプリントを渡しているんだ?
よくよく考えれば派手めなグループには、リアちゃんの昔からの友達もいたはずだ。家も近いんだから、その子に持って行けばいいじゃん。
私が疑問に思っていると、背後からバタバタと音が聞こえて肩にバフッと柔らかいものが体当たりしてきた。
「わあ!」
「あー、あー」
振り向くと赤ちゃんだった。ようやく一人歩き出来るようになったようで、フラフラしながら私にしがみついてた。
よだれや鼻水がいっぱい顔についている。先程まで手をしゃぶっていたのか、指が濡れている。その手で私の頬を叩いた。
「あ、あ、ちょっと! ごめんね! ホノミちゃん!」
急いでやってきたリアちゃんは赤ちゃんを抱っこして、「ママの所に行くよ」と出て行ってしまった。だがすぐに赤ちゃんと一緒に戻ってきた。
「ゴメン、ママがハナを見られないって。ちょっと一緒に居てもいい?」
「うん、いいけど」
へえ、この子はハナちゃんっていうのか可愛いな。
「ハナちゃん、こんにちは」
私が近づいて撫でてそう言うと、ものすごく嬉しそうに笑った。可愛いな、ハナちゃん。
頭が重くてヨタヨタしているけど、歩くのが楽しそうだ。それに人見知りを全然しない。赤ちゃんって知らない人がいると大泣きしちゃうって聞いたことがあったから、ハナちゃんはいい子なんだなって思った。
私が手を出すとハナちゃんもハイタッチしたので「上手だね」と言ってあげた。
リアちゃんが「慣れているね」と言ってきた。
「そんな事ないよ。でもたまに弟の保育園に迎えに行った時、赤ちゃんと遊んでいるだけ」
「……そうなんだ」
何かを考えるようにリアちゃんが言う。そして「あのさ」と言って話しだした。
「どうやって保育園に行けるの?」
「え? なんで?」
「お母さんね、私の夏休み中に具合が悪くなっちゃったんだ。お母さんは寝ていれば治るって言っているけど、ずっと治らないんだ。ハナはさ、まだ赤ちゃんじゃん。だからお母さんが具合悪いのに、置いていったら大変って思って」
「……他に家族がいないの? お婆ちゃんとか」
「うん、いないと思う。多分」
リアちゃんが不安そうに答えた。私が深刻な顔をしているから、多分リアちゃんはまずいって思ったのだろう。
「学校の先生に言おうかなって思ったんだけど、お母さんにバレたらものすごく怒るんだ。だから、何にも言えないんだ。学校からの連絡にはお母さんは『大丈夫です』っとしか言わないし」
「なんで言えないの?」
「問題にしたくないんだって」
よく意味が分からない。でもなんとなく気持ちが分かる。誰だってハヤテ君みたいに問題児って思われたくないんだよ。ハヤテ君は一切気にしていないだろうけど、普通の子だったら嫌だもん。それはきっと大人でもそうだ。
リアちゃんが「でも今さら学校には行きたくないな」と泣きそうな声で呟いた。
「本当は夏休みの宿題もほとんどやっていないんだ。ハナのお世話があったから、やる時間が無かったの。それに友達も私の家に行きたくないんだなって思う。一度、ママが具合悪い時、遊びに来て怒鳴ったから」
だから私がプリントを持って行ったのかと思った。そして「ねえ、お父さんとか居ないの?」と聞いてみた。
「居ないよ、ずっと居ないもん。ハヤテ君がプリントを持ってきた時に怒鳴った男の人は、ママの彼氏なんだ。怒ると怖いけど、いっぱい玩具を買ってきてくれていい人だよ。でもママと別れちゃった。多分、それで具合が悪くなっちゃった」
リビングにあるたくさんの玩具が積んでいて虚しい気分になってきた。……玩具がいっぱいあっても、今の状況はどうしようもない。
リアちゃんが「どうしよう」と呟く。私も泣きたくなった。何をどうしたら良いのか、分からないからだ。
ふっと私が食べたティラミス風のケーキを見た。なんとなく私達によく似ている。
友達がこんなに困っているのに何も解決できないし、本当は先生の頼みごとを断りたい。でも先生からは「いい子」って言われて、断れずに頼みごとを聞いてしまう。
リアちゃんのお母さんもそうだ。普通の親子って思われたくて、困っている事を隠してしまう。だからリアちゃんが「助けて」と言えない。
そんな『風』を装っている。でもラベルがつけられていないから、周りには分からない。
それでも私はいい子『風』を装って、口を開く。
「ねえ、これから学校にハナちゃんを連れて行って、先生に言ってみよう。困っているって」
「え?」
「だって困っているんだから……」
「や、やっぱり、大丈夫。私、頑張れるから……」
私がそう言うと、リアちゃんは笑って「ありがとう」と言ってくれた。
正直、ハヤテ君に佐津間先生がいるのが羨ましかった。小学一年の時、彼が癇癪起こして暴れる前に、先生が付きっきりで話したりしてくれるのを見たことがある。まるでハヤテ君が保育園児に見えて正直引いた。でもあんな風に付きっ切りで話したり、寄り添ってくれる人は成長と共にいなくなっていく。
「でも学校いけないなんてダメだよ。ハナちゃん、学校に行って困っているって言おう」
私が立ち上がるとヨタヨタとハナちゃんも一緒にやってきた。慌ててリアちゃんも追いかけて立ち上がって、玄関を開けた。
「あ、まだいた」
玄関を開けるとハヤテ君が座っていた。私よりリアちゃんが驚いて「なんでいるの?」と聞いてきた。
「んー、言い忘れていた事があったから戻ってきた」
「え? 何?」
「あいつの家に赤ちゃんがいるぞって」
もう知っているよ、とばかりにハナちゃんが「あー」とハヤテ君の方に歩いてきた。裸足なので、慌ててリアちゃんが靴を履かせる。
「帰るの?」
「ううん。学校に行って先生に『困っている』って言いに行くの」
ハヤテ君は「ふうん」と言って、「俺も行く」と言った。
「別にいいけど。あの林で脅かさないでね」
「分かった。でもさ、もうすぐ夕方だけど、家に帰らなくても大丈夫なの? お前は」
「うん、大丈夫。私は鍵っ子だから」
うちのお母さんも夕方の五時くらいまで働いた後、保育園に弟を迎えに行く。すると帰ってくるのは六時になる。だから私は学校に帰ったら、いつもお留守番をしているのだ。
今の時代、鍵っ子って言う言葉はあるのだろうか? 学童保育と言うのがあるらしいし、このご時世、小学生一人でお留守番をさせるのは危ないって思っている親が多いと思う。
こうして私とハヤテ君とリアちゃんとハナちゃん、四人で学校に向かった。ハヤテ君は約束通り、脅かしどころか寄り道もしなかった。それどころかヨタヨタと危なげに歩くハナちゃんに怖いなって思っていると、「おんぶする」と言っておんぶしてあげた。意外と小さい子に優しいんだなと思った。ハナちゃんは、ハヤテ君に全く人見知りしないで笑っていた。
何とか学校について、教頭先生や保険の先生達にリアちゃんは今の状態を話した。
そこで真っ暗になってしまったので、先生から「もう帰っていいから」と言われて、私とハヤテ君は帰る事にした。
リアちゃんは今でいうヤング・ケアラーだったんだろうなと思う。
ヤング・ケアラーと言う言葉は最近出てきたように見えるけど、本当は昔からずっといたんだ。みんな、大丈夫『風』を装っていたんだろうな。
*
結局、リアちゃんは学校に来ることがなかった。十月まで来なくて、突然引っ越したって小泉先生から聞いた。
お別れ会も一切なく、さっさと引っ越してしまい。悲しかった。
だけどハヤテ君が「あいつがお前に渡せって」と言って、手のひらサイズに折りたたまれた手紙を渡してくれた。
『ホノミちゃんへ
遊びに行った時、悲しい話をしてごめんね。でも、もう大丈夫だから。また一緒に遊ぼうね』
可愛いメモにはそう書かれてあった。
本当に大丈夫なのか分からないけど、リアちゃんが悲しい顔で「どうしよう」と言わない日々を送ってほしいと思う。