調査3 あおい雲の会
あおい雲の会。
■■■市にある新興宗教団体。
新興宗教団体としても、具体的な宗教法人格を正式に認可されているわけではない。あくまで、新手の宗教団体、ということにすぎない。新興宗教が、ヨガサークルを騙って集まっているのと同じようなものだ。それが悪いかどうかは、ここでは述べない。
「私たちはね、マヨイガを探しているの」
あおい雲の会、会長の大隈雅代は語った。
大隈雅代。首から数珠をじゃらじゃらと下げた彼女は、にこにこと笑みを浮かべている。顔を見たところによれば四十ほどという所の歳であるように見えるが、手や指から感じ取れる年は六十手前というところか。しかし、それを感じさせない若さが、全身にあった。
このあおい雲の会を発足したのは、一つの目的があった。
それが、マヨイガという家を探すという事、だそうである。
マヨイガ、迷い家。
東北地方、関東地方に伝わる伝承の一つで、最も有名なものは柳田國男の遠野物語をベースとした話である。近年ではアニメ化もされたりと一つの生きる現代怪談ともなっている。その物語にはいくつかヴァージョンやバリエーション違いというか、枝葉が異なるものがあるが、大まかな話の流れとしては一つにまとまっている。
山奥にある一軒家。そこを訪れた者は幸福を得ることが出来、また、その家から物品を持ち出す事が出来る。
と、いうものだ。
「マヨイガはね、あるんですよ」
大隅雅代は、にこにことそう月明かりの下で語った。
他に連れだった彼女の信徒というか、仲間もにこにことうなずく。彼女の仲間は、彼女よりも随分と若いように見える。大学生くらいであろうか。あるいは、新卒社会人くらいの若さを感じる。異質なのは、彼ら一人一人が鍬や槌などを持って歩いていることくらいだろうか。
「あのさ。じゃあさ、大隅さん、これ知ってる?」
高橋ディレクターは、そういうと、ポケットから写真を取り出す。
大隅はにこにことした表情で、写真を受け取ったが、すぐにその笑みが固まった。
他の仲間も、その様子を見て、写真へと目をやり固まる。
「この家、どこで?」
「ストリートビューだ。場所は、わからないが、この山というのはわかっていて、それで」
そこまで答えると、ぱっと信徒の顔が、高橋ディレクターを見た。
じっと見るその姿は、動物のそれに近かった。まるで、物音を聞いた牧場の羊が、一斉にこちらを向くようなだ。
「何か知らないか? と」
「この家を私たちは探しているのです」
「え? あんたらも」
そうなのです、と大隅雅代は肯定した。
そこから、さらに話を勧めようとした時、彼女の傍に立っていた一人の若者が時計を見ながら、咳ばらいを一つ。
「先生。時間が」
「そうね。窪くん。では、お三方も、話しながら行きませんか? 御一緒に」
高橋ディレクターは、ちらりと私と五条アシスタントを見て、にこりと是非、と応じた。
それから、私たちは山道へと入っていった。夜の山道を入るというのは、ストリートビューの写真で見ていたよりも、ずっと暗い。ゾッとするほどに落ち着かない。もともと準備していた懐中電灯というのは、細い光が広がるだけで足元を照らすのがやっとということであったし、月明かりは、頭上の枝葉により遮られ、とてもではないが、明るいとは言えない。
窪と呼ばれた若者を先頭に、それに次いで大隅雅代が歩き、その後ろを高橋ディレクター、私と続く。
五条アシスタントは、後ろを歩いて、さらにその後ろをあおい雲の会の他のメンバーがぞろぞろと続いた。
もともとは、あおい雲の会、というのは、登山サークルであったらしい。■■■市の住民が数名集まって登山するそんなありふれたサークル。ありとあらゆる山に登った。もちろん、この青雲山にも。だからだろう、その慢心が、ある日において突然、現れた。
青雲山にて、遭難したのだ。道を外れ、獣道すらない藪の中を、ひたすらに歩く事になったそうだ。
「そこで、私は見たんですよ、その迷い家を」
大隅雅代はそう言った。
なんでも、疲労困憊の中、突然、その家は現れたのだという。そして、サークルのメンバーは、助かったとばかりにその家に入っていった。救助を頼もうと思ったものの、家には人の気配がない。しかし、今の今まで人がいたかのような痕跡はある。
これ幸いと、あおい雲の会は、その家で一泊し、翌朝、下山を果たすことが出来た。
が、ここまでであれば、ただの遭難話である。そう、話はここで終わらなかった。
「サークルの人たちはね。みんな、家の中から色々持ち出していたのよ。なにせ、その時は遭難で非常時じゃない? なんでも、必要だろうって。後で返そうって。お礼も兼ねて返そうって、でもね、無事下山できたけど、その家はいくら探しても見つからない。そうこうしているうちにね、不思議な事がおこったの」
「不思議な事」
「みんな幸せになっていったのよ。ちょっと事業が上手くいったり、病気がちだったのが健康になったり、お金が転がり込んできたりね。それで、いつしか、私たちは、迷い家の幸福を持ち帰った、と思った。それを見ていると私もね、幸福が欲しくなった」
大隅雅代の声の色が変わった。
「私はね。何も持って帰っていないの。だから、私は再び、あの家に行き、幸福を持ち帰りたい」
「それで、僕達も迷い家に行ってみたくなったんです」
前を歩いていた窪の声が聞こえる。
「僕たちは先生のお話を聞いて、それで、家に行ってみたくなったんです」
「同じ大学のメンバーで、興味があったから、ね」
「そうそう、行ってみたくなった」
後ろからそういう声も聞こえてくる。
大隅雅代が登山サークルを、こういう団体に変えたのは、窪らが入ってからだそうだ。古参のメンバーをサークルから追い出して、毎晩毎晩、夜ごとにこうやって迷い家を探して上る団体へと変えたのだそうだ。
前を歩く、後ろを歩く、それぞれの顔は見えない。しかし、一体、どういう顔をしてそのような話をしているのか。
私はとても気になった。
「もう少し行ったら、休憩しましょうか」
大隅雅代が、さっきと打って変わって、明るい声色で言った。
夜闇の中に、不釣り合いな声色だった。