ディオン様、生贄になる
シドニーさんはタルトを食べ終わって、軽く指先を舐めると、それはもうきらきらとした笑顔で微笑んだ。
「ティファナ。私は君に一目惚れはしていないけれど、ずっと昔から君のことが好きだよ。だから、安心して」
「シドニーさん……」
あぁ、きゅんとしてしまう……!
私にはリオス様がいるのに、でもリオス様は尊過ぎて、好きすぎて死にそうになるので、シドニーさんの方が気楽に好きって思えてしまうのよね。女の子だけれど。
「ティファナちゃん。ときめいている場合じゃないわよ。確かに美味しいタルトだけど、これだけで心を鷲頭噛みにできるの? ラブシック木苺の名が泣かない?」
「甘いですね、エミリーさん」
肩を竦めながら言うエミリーさんに、リリムさんが自信たっぷりという感じで微笑んだ。
「ラブシック木苺には、惚れ薬のような効果はありません。ただ美味しいだけ。それはご指摘の通りです……しかし、です……」
「なんか美味しそうな匂いがするなぁと思ったら、ティファナちゃん、何か作ってるの?」
できあがったタルトをお皿に並べて話し合っている私たちの元へと、たまたま通りかかったらしいディオン様が、人懐っこそうな笑顔を浮かべて現れた。
調理室の中へと「入っていい?」と尋ねるディオン様を、リリムさんが恥ずかしそうに微笑みながら手招きした。
「どこのどなたか存じ上げませんが、とてもよいところにいらっしゃいました……」
「ミケル侯爵家のディオンだ。ティファナちゃんと同じ生徒会に入っている。挨拶が先だったな、悪かった」
ディオン様は気さくにそう言うと、「お菓子を作ってたんだね、ティファナちゃん」と言った。
「はい。今日、森での校外学習中に、木苺をみつけて。リリムさんにお菓子作りを教えて貰っていました」
「そっか。リオス殿下にあげるの?」
「は、はい、あの、差し上げたいと思っていて……!」
私は顔を真っ赤に染めて、きゃあきゃあ恥ずかしがった。
リオス様のいないところでは素直に恥ずかしがることができるのに。
リオス様がいらっしゃる時にはこういう仕草ではなくて、すごく深刻で不機嫌そうな顔になってそっけなく「そうですね」ぐらいしか言えなくなってしまうの、本当にどうにかしたい。
「可愛いね、ティファナちゃん。でも、殿下にタルト、か」
「だ、駄目でしたか? リオス様、お菓子はお嫌いでしたでしょうか……!」
「い、いや、そういうわけじゃないんだけど」
「……そこの、殿方」
「え? 俺?」
リリムさんがディオン様を呼んだ。
片手にタルトを持って、ぐいっと体をディオン様に近づける。
リリムさんの豊満な胸がディオン様の体に押し付けられるぐらいに距離が近い。
そしてその至近距離から、リリムさんは潤んだ瞳でディオン様を見上げた。
「私、お菓子を作りました……あ、あの、美味しくないかもしれませんが、一生懸命、作りました……だから、一口、食べてくださいませんか……?」
ふるふる震えながら、うるうるしながら、リリムさんが言う。
とても可愛い。今すぐ抱きしめたくなるぐらいの可愛さ。
ディオン様は無事かしら。リリムさんの恐ろしさの片鱗を味わいながら、ディオン様に視線を向ける。
シドニーさんとエミリーさんも、固唾を飲んで見守っている。
「ディオン様、はい、あーん」
「あ……あ、あぁ……」
ディオン様は何かの魔法にかかったように簡単に口をひらいた。
そこにそっと、木苺のタルトが押し込まれる。
一口ディオン様が木苺のタルトを食べると、リリムさんは不安気に、けれども愛らしく微笑んだ。
「食べてくれて、嬉しいです……」
「――やべぇ。なんだこの女」
ディオン様は必死の形相でリリムさんから体をはがすと、床にしゃがみ込んではあはあした。
「――と、いうように。食べさせ方にも工夫が必要です……ティファナさん、ふぁいと、おー……ですよ」
「わ、わかりました、先生……! 頑張りますね、私」
「いや、頑張らなくていいから……! ティファナちゃんが一番師と仰いじゃいけないタイプの女を先生に……! まずい」
しばらくうずくまっていたディオン様が、慌てて顔をあげると、私の両肩をがしっと掴んだ。
「ティファナちゃん。お菓子は美味しかった。すごく、美味しかった。だから、こんなやべぇ女の言うことはきかずに、普通に殿下にプレゼントしたほうがいいと、俺は思うぞ!」
「失礼な……」
「リリムちゃんのあれに立ち向かえるなんて、たいした精神力ねぇ、ディオン様」
リリムさんが頬を膨らませて、エミリーさんが感心したようにうなずいている。
「ディオン様、リリムさんはお友達で、恋愛の先生です。私、指導を受けていて」
「ティファナちゃんはそのままで大丈夫だから……!」
「ディオン様は……っ、その、あの……」
やっぱりディオン様は、私とリオス様の邪魔をしたいようにしか見えない。
でも、そうだとしたらディオン様の恋心は道ならぬものなので、とても口にはできなかった。
「ディオン様、ティファナが頑張っているのだから、あまり色々言っては可哀想です」
「そうよ。恋する乙女が頑張っているんだから、応援してあげなきゃ」
「ティファナさんの努力を踏み躙るなど、万死に値します……」
「俺が悪いみたいになってる……」
皆に一斉にせめられて、ディオン様は一歩後退した。
それから深く肩を落とすと「ティファナちゃんにろくでもないことを教えているやべぇ女のせいで、殿下の理性が死ぬかもしれない……」と、ぶつぶつ何かを言いながら部屋から逃げて行った。
お読みくださりありがとうございました!
評価、ブクマ、などしていただけると、とても励みになります、よろしくお願いします。




