ディオン・ミケルは胃が痛い
勘弁してくれ、いや、マジで。
――と、俺は思った。
俺の視線の先には涼し気な、男の欲望など一切ありませんみたいな顔をした美形が座っている。
男の俺から見ても、感心するぐらいのイケメンである。
日の光を受けて神秘的に輝く銀の髪、冷ややかなアイスブルーの瞳。
背丈はあるし、足も長いし、王太子ってのはこんなに何でもかんでも完璧なのかねぇと溜息をつきたくなるぐらいの造形美の持ち主で、その上頭もいいし、本気を出すと国を滅ぼすことぐらい容易い劫火の聖獣ヴィルヘルムの主。
炎魔法が得意で武器は何でも使いこなすし、大狐に乗るのも、馬に乗るのも得意ときている。
人望もあるし、婚約者のティファナちゃんも可愛い。
天は一物も二物も与えるんだなぁ――と、リオス殿下を見ていると感心――は、しなかった。
――ティファナたん、可愛い。あぁ、可愛い。なんて可愛いんだ。睫毛が長いな、唇が柔らかくて美味しそうだな、今日も私のティファナたんは最高だ。
あぁもう、胃が痛い。
頭の中に直接流れ込んでくるのは、リオス殿下の心の声である。
何を隠そう俺の聖獣、アゲハ蝶のフルムには、人の心を読めるという力がある。
この力はあまりいいものではない。
父と母に相談して、俺はその力を使わないようにしていた。
人の心の中を知るなんてこと、するべきではないからだ。
力を制御できるまでは少し大変だったが、ミケル侯爵家の両親は温厚でよい人たちだったので、俺のことを気味悪がったりもしなかったし、優しく見守っていてくれた。
そんな俺がリオス殿下の側近に選ばれたのは、俺が七歳の時だった。
その時は、なんでまた俺なんかをと思った。
城に向かった俺に、国王陛下と王妃様がそれはもう今にも死にそうな顔で言った言葉を、今でも覚えている。
「ディオン、お前の聖獣は人の心を読むことができるらしいな」
「どうかディオン、その力でリオスを見張って欲しいの」
「このままじゃ、俺たちの息子が大変な罪を犯しちまうかもしれねぇんだ」
「一人のご令嬢の人生が大変なことになってしまうかもしれないのよ……」
ちょっと意味がわからなかった。
どうやら、リオス殿下は婚約者のティファナ・シルベット(五歳)を、それはそれは愛しているらしい。
え? マジで?
と、俺は思った。
だって五歳児だぞ、相手は。俺はそのとき七歳だったが、五歳の女は幼女だというぐらいの認識があった。
女というか、もし何かしらの感情が芽生えるとしたら、妹とか、そのぐらいだ。
俺は国王陛下から直々に、リオス殿下の心ならいくらでも読んでいいし、むしろ読んでくれ、むしろ読んでなにか危険な兆候があったら知らせてくれ――という、使命を与えられた。
それからである。
俺がリオス殿下の側近として、殿下のろくでもない妄想とティファナたん賛美に埋め尽くされた脳内を覗き続ける羽目になったのは。
ティファナちゃんが生徒会執行部に入るのはいい。
ティファナちゃんは殿下の前に来ると、まるで全人類が滅んだみたいな不機嫌な顔になるが、それはいわゆるツンデレってやつだと思っているし、多分ティファナちゃんも殿下が好きなんだと思う。
以前それを殿下に伝えてからは、殿下も「そうか、ツンデレか……そうか」と、何かしら納得したようにうなずいていた。
まぁ、殿下にとってはどんなティファナちゃんも可愛いのだろう。
たとえティファナちゃんが本当に殿下のことが嫌いだとしても「このゴミムシ、近づかないで!」と、睨まれ怒鳴られたとしてもそれはそれで「私のティファナたんは可愛いな、ふふ……」と、気持ち悪い感じで喜ぶのが殿下である。
けれど、どうやらそうではないようだ。
ティファナちゃんは殿下と仲良くなりたがっているのだろう。
一生懸命殿下を体育祭で応援すると伝えている姿は、俺でさえちょっとキュンとなるぐらいに可愛かった。
そして案の定殿下は。
――よし。ここで、犯そう。
と、なにも「よし」ではないことを決意していた。
俺は心の中で(殿下のバーカ、バーカ)と、十歳児みたいな罵倒をしながら、なんとか殿下を止めた。
事情を説明してあるエルヴァインと一緒に。
「……エルヴァイン。ファティアス。俺は常々謎なんだが、殿下はティファナちゃんが好きなんだろ? じゃあもう色々止めなくてもいいんじゃねぇか? そのままの殿下でいていただいて、ティファナたんはあはあ……可愛い……可愛いティファナたん、食べたい……とか、うわごとのように繰り返して貰ってもいいんじゃねぇか」
「血迷うな、ディオン」
「それでもいいとは思うけれどね。ティファナは殿下のことが好きだし、きっとティファナなら受け入れられるような気がしないでもない……ような、駄目なような……」
殿下とティファナちゃんが今日の生徒会の仕事を終えて寮に戻った後、俺はエルヴァインと、様子を見に来たファティアスの前で泣き言を言った。
今までは幼女を監禁するな! というスタンスだったが、ティファナちゃんももう立派な淑女だし、好きにして頂いて……という気持ちにもなりたくなる。
俺だって別に、愛しあっている婚約者の睦み合いの邪魔をしたいわけじゃないし。
「殿下が本領発揮したら、ティファナは逃げるだろう。ティファナは予言の聖獣の主だ。国にとっての損失になる」
厳しい声でエルヴァインが言う。エルヴァインはしっかりしている。
「もふまるは昔一度予言をしたきりだけれどね……」
「ティファナちゃん、予言の聖獣にもふまるなんて名前をつけてるのか……」
ファティアスが悩まし気に言って、俺はティファナちゃんの姿に思いを馳せた。
自己表現が苦手で、ツンデレで、聖獣にもふまるなんて名付ける可愛いところがあって、一生懸命仲良くなろうとしてくれて、そのために生徒会に入ったり応援部に入ろうとしてくれる婚約者。
可愛いしかない。
そりゃリオス様があんなふうになっちゃう気持ちも分からなくないなぁと、俺は遠い目をした。
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