結婚〜暗転
そういえば、一ヶ月ほど前から向日葵は免許のコピーを寄越せだの、住民票を取るだの、いろいろやっていた気がする。司法修習生関係のことかと思っていたのだが、オレに内緒でナンバーまで取得していたようだ。
早々、二人乗りをしてマンションに引き返した。久々に乗るバイク、排ガスに混じって夏の名残の香り、木々を渡る風が鼻をくすぐる。
部屋に戻ったら、向日葵は夕食の準備を始めた。
「今夜は私が料理を作るわ、主役は座って待っててね」
♪〜Amazing grace. How sweet the sound.
That saved a wretch like me〜♪
鼻歌まで飛び出した、向日葵、上機嫌を通り越してハイになってる気がする。惨めなオレを救ってくれた君ってか、この状況にピッタリの曲かもな。
「お祝いの定番は、お肉よね!」
わざわざ取り寄せという葉山牛のローストビーフ、ふるさと納税返礼品の高級サーモンを添えた冷製クリームカッペリーニ、ポタージュスープは帝国ホテルのレシピに従い手作りしたらしい。
フランスパンなんてどこでも一緒じゃね? なんて考えるオレは貧乏人なのだろう、世田谷シニフィアン・シニフィエのバゲットなどなど。
「ねぇ、もういいでしょ? ワインはどう?」
コレ、グラハム・トゥニー30年じゃない? 一本一万円以上するヤツ。だけど、やっぱりな。
「いや、酒は止めた」
「ホント真面目ね、そんなマー君に、もう一つ、プレゼントがあるのだけど」
彼女は自室からターコイズブルーの小箱を手に戻って来た。その色、カラーコード#0ABAB5、ティファニーブルーだよな? てか、箱の形がっ、どう見ても……。
「さ、私に向かって開けなさい」
中にはプラチナの結婚指輪が二つ。
「ちょっ!」
「なに、その反応! 私たち三年も一緒に住んでるのよ。そろそろ年貢の納め時でしょ? それとも、こんな、年増はいらないとでも?」
「プレゼントって……。男女が逆だと思うがな。というか、オレみたいなクズ、君に相応しく……」
と言いかけた、オレの口は彼女に塞がれた。
「私、ずっと、ずっと、待っていたの。中学の頃から、ありのままのマーク君が好きだった。でも、きっと、君のことだから、釣り合いとかに拘るんだろうなって、だから司法試験を勧めたの、今、君は私と対等の立場に立った、そうでしょ?」
言った彼女の顔に憂慮の翳りが差した。
「もしかして、私のこと、好きじゃない?」
「それはない!」
「恩返しとか何とか、そんなのどうでもいいの! 私、一人の女として魅力がない?」
「馬鹿なことを言うな!」
今度はオレから口付けた。二人はもつれ合うようにして、ベッドルームに向かう。この三年間、ずっと妙齢の女性が側にいた、男として欲情しないはずもない。だけど、それは、それだけは、ダメだと思っていた。
彼女の男女しての好意、二十年前の恩返しは、あくまで見せかけ、弁護士として犯罪者を更生させるという、社会的使命から出た善意だと信じてきた。いや、違う、そういって自分を騙していたのだと思う。
「明日、籍を入れに行きましょうよ」
「そうだな……」
彼女は人差し指でオレの唇を押さえた。
「いい、こんなオレでいいのか? は、今後、禁句とします」
「分かったよ」
「ねぇ、もうすぐ日が昇る時間じゃない? 明日は有給をとったの、夜明けの海、見たいな」
「御心のままに、姫様」
夜明け前、海に続く片側四車線道路をDUCATIモンスター950は、軽快なエグゾーストノートを響かせ疾走している。ドゥカティは他の大型バイクに比して高めのエンジン音がする、そうそう、この音! そして、この振動、やっぱりバイクはいい。
埠頭近くの産業道路に差し掛かかると、微かに潮の香が漂ってきた。夜明け前のこの時間、行き交う車はごくわずかだ。何気なく青信号の交差点に入るオレのバイク。
今、思えば、この時のオレは何かいつもと違っていた。喧嘩がやたら強いオレの反射神経は、神からの贈り物だろう、人の領域を超えていた。
当然それはバイクの運転にも通じている。そう、オレのドライビングテクニックは、神っている、はず、はずなのだ。
左から、蛇行しながら猛スピードで走ってくるトレーラーが見えた。ヤバイ、居眠り運転じゃないかな? 赤信号を無視して、交差点に突っ込んでくる。左に避けようと車体を傾けた、その瞬間!
どうして?? オレのバイクは転倒した。こんなスリップ、あり得ない。一瞬、路面に油のような滑る光が見えた。闇に溶け込むような黒、夜の道路で視認するのは難しい色合いだ、しかも、なぜ、測ったような位置に散布されていた?
向日葵がタンデムに慣れておらず、オレの素早い体重移動に付いてこれなかった、それもあるかもしれない。だが、普段のオレならその程度のことで、転倒までしてしまうはずがない。
この時のオレたちは、多分、神に、天界に、呼ばれてしまったのだろう。
トレーラーに向かい、吸い込まれるがごとく道路を滑るオレたち、大きな車輪が目前に迫る。こんなクズ、ああ、これ、禁句だったっけ? オレが死ぬのはいい。むしろ、お似合いの死に様だろう。
だが、だけど、オレの姫君、天使様、そうだ、数時間前からは我が妻でもある! 向日葵を巻き込むなんて、どうしても、どうあっても、納得できない!
クソクソクソクソォオオオ!!!
死なせたくない!! 死にたくない! 絶対! 絶対に!!!!!!
オレの意識はそこで途絶えた。




