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小説家になろう

作者: サエキ タケヒコ


            1


「誰も見たことが無い新しい才能を期待するなんて言っておいて、売れ筋のテンプレを外れたら黙殺される。どこの出版社もそうだ。いったいどっちなんだ」


 私は怒り混じりに言った。


「まあ、そうなの」


 裕子はのんびりした口調で答えた。


 こいつはいつもそうだ。他人事という顔をして、私の話を受け流してしまう。だが、そんな裕子に私は腹を立てたりはしない。私の話を飽きもせずに聞いてくれるのは裕子しかいないからだ。


「この席は暑いですね」


 裕子はテラス席で日傘をさして、アイスティーを飲んでいた。確かに日差しは厳しかった。


「今は8月だ。夏真っ盛りだから暑いのは仕方ないだろう」


「そうですけど、この海に面したテラス席は、この季節は暑いですよ」


「まあそうだな」


「どうして、お台場で、しかもこの店なんですか」


「実は、お台場でデートがしてみたくてな」


「まあ」


 裕子が驚いた表情をして頬を赤らめた。おっとりとして、リアクションに乏しい裕子にしては珍しい。


「私とデートをしたかったの?」


 裕子とは学生時代からの付き合いだ。私のこれまでの人生で唯一付き合った女性で、今も裕子以外に女はいない。だが、ここ数年は会ってもセックスをしていなかった。


「いや、違う。次の作品でお台場でデートするシーンを書こうと思っていて、これは取材だ」


「そうだったの……」


 裕子は失望した表情を見せた。


 こんなことを面と向かって言われたら、普通の女性なら怒って、席を立って帰ってしまうだろう。だが、裕子は少し残念そうにしても、そのあと私がどんな小説を書こうとしてるのかという話を何時間でも聞いてくれる。それが裕子のいいところであり、私が今も付き合っている理由だ。


 私の人生では小説を書き、作家になることが最優先順位だ。


 後のことはすべてどうでもいい。

 

 作家になるための一番の妨げは女だ。


 まず彼女ができると時間が取られる。例えば小説の執筆に集中して数日連絡を返さなければ怒り狂い、私はあなたの何なのと迫ってくるだろう。


 究極の妨げは結婚だ。


 結婚して子供が生まれたらもう書くことはできない。まず、安定した稼ぎを得なければならないからフルタイムで正社員で働かなければならない。家に帰ったら女房子供が待っている。子育てに時間が取られる。たまの休日は、家族でどこかに行かなければならない。小説を書く時間どころか、本を読む時間すら取れない。


 だから私は極力、結婚に至るような関係を避けてきたのだ。


 そして小説を書くために、塾の国語の講師のバイトを続けている。塾の講師は一日に数時間だけ働けばいい。小説を書くには理想的な環境だった。


「でも、慎ちゃん、すごいよね。学生時代からずっと夢を諦めないで書き続けているんだから」


 裕子がグラスに残ったアイスレモンティをストローですすりながら言った。


「まあな」


 学生時代……。



 あの頃は良かった。


 私は大学生の時はSF研究会というサークルに入っていた。そして、学生を対象としたファンタジー小説のコンクールで奨励賞を受賞した。さらには大手出版社の商業誌の新人賞の一次選考をいくつか突破していた。

 そんな私はサークルの中ではまさにヒーローだった。


 サークルのメンバーの半分は読み専だった。


 書いている者も、自分の作品を完結させることができず、冒頭を何度も書き直し、ついには途中で筆が止まってしまい未完で終わってしまうレベルだった。


 そんな中で、私は、作品を完成させて、文学賞に応募して、一定の実績を上げていた。


「慎ちゃんは、SF研のみんなの憧れだったよね」


 裕子がいたずらっぽく笑った。


「そんなことないさ」


 私は照れた。


 裕子はSF研の一年後輩だ。私が奨励賞を取った時に、ちょうどサークルに入ってきた。私の受賞のお祝いの飲み会と裕子の歓迎会は合同で行われた。


 サークルの代表のバイト先でサービスしてくれるということで、大学の隣の駅にある居酒屋で開かれた。隣駅は私が借りているアパートがある駅で、私の家からその店は近かった。


 私と裕子は宴会の主役ということで、テーブルの中心に並んで座らされた。結婚式の二次会みたいな感じだった。


 裕子は私にどうやったら小説で賞を取れるのかと訊いた。私は得意になり、裕子に延々と語った。


 そのままの流れで二次会に行った。女子の半数は帰ったが、裕子は今日のお祝いの主役ということで残った。二次会でも隣に座り、私の話を聞いていた。


 お開きになり解散した後、私は改札の前の時刻表を見て佇んでいる裕子を見つけた。


「どうしたの」


「実は終電を逃しちゃったんです」


「家はどこ」


「横浜です」


「実家?」


 裕子は首を振った。


「どうしよう。お金は持っていないし……」


「なら、始発まで俺の部屋で飲み直そうよ」


「えっ、いいんですか」


「実は俺の部屋はここから歩いて5分のところにある。遠慮はいらないから」


「じゃあ、お言葉に甘えて、始発までおじゃまします」


 だが、彼女は始発電車で帰ることはなかった。


 私と裕子はその晩、男女の関係になり、翌日、私達が目を覚ましたのはお昼すぎだった。


            2


「今度はどんな小説を書いているの」


「それが……」


 そこがまさに問題なのだ。


 20年間投稿し続けたが、新人賞を受賞して商業誌でデビューをすることはできなかった。


 最近は出版不況や人口減少から、雑誌も次々と廃刊になり、町の本屋すら姿を消している。小説家の活躍の舞台そのものが消えかかっているのだ。


 そんな中、ある人から「これからはウェブ小説や電子書籍の時代だ」と言われた。


 小説投稿サイトに投稿してコミカライズや書籍化されて、さらにアニメ化や映画化されるというのが作家としての成功のパターンで、紙ベースの雑誌が公募している新人賞を受賞して本屋に単行本が平積みされるという今までのパターンはもう終わったのだという。


 確かにそのことについては納得する面が多い。


 そこで試しに小説投稿サイトで人気が出て書籍化された本を読んでみた。


 正直言ってあまりの小説としてのレベルの低さにおどろいた。


 自分が高校生の時に書いていたというレベルだ。


 いや、それ以下だ。こんなもので100万部くらいは売れ、ヒットすると1000万部を超えるものもあるという。今の時代で1000万部だ。印税だけで10億円はくだらない。小説投稿サイトを馬鹿にしていたが、そこなら簡単にデビューでき、大金を稼ぐことができると思った。


 もう、直木賞にも芥川賞にもこだわらず、老後に備えて、ラノベで稼ぎまくろうと思った。



「異世界ものを書いている」


「異世界もの?」


「うん、まあトラックにはねられて死んだと思ったら、ドラクエやファイナル・ファンタジーなどのゲームの世界のような西洋中世的世界に転移して、そこで魔王を倒したり、ハーレム状態になるお話さ」


「それって指輪物語みたいなファンタジーってこと」


「まあそうだね」


「慎ちゃんが奨励賞取ったのもファンタジーだったよね。じゃあ、原点に戻ったってことね」


「うん、そうかもしれない」


 だが、私は泣きそうな状態だった。あまりに悲惨すぎて何でも話せる裕子にすら話せない内容だ。


 私は意気揚々と小説投稿サイトに登録した。


 売れ筋は異世界ものだけだというので、いくつかのランキング上位の作品を参考にして、異世界ものの自信作を投稿した。


 まず、投稿サイトの作品は情景描写が無く、語彙も貧しかった。


 これでは作品の厚みが出ないし、読者に情景が伝わらないので、しっかりと風景や情景を書き、同じような表現は重ねて使わず、豊富な語彙で表現をした。


 さらに、ライトノベルは漫画のようなものだというので、漫画と言えば少年ジャンプでおなじみの構造を用いた。


 すなわちライバルとの切磋琢磨だ。


 良きライバルがいて、何度も挫折のどん底から這い上がる。


 そこがいいのだ。


 巨人の星やあしたのジョーを見ても分かるとおりだ。


 すごいライバルに叩きのめされて主人公が挫折するシーンをふんだんに書いた。


 さらに、まえがきで、自己紹介をして、作品の世界観なども説明しておいた。


 最後に題名だ。


 題名は大事だ。


 他の作品を見るとド素人だけあってぐだぐだと長い説明文のような題名をつけていた。


 文學界新人賞に応募したら題名だけで一瞬で選考落ちするような題名だ。


 私は「帰らざる街」という題にした。


 異世界転移ものだから、元の日本の街に帰れないし、主人公も最後は異世界で暮らすことを選択するから、まさに適切な題だ。


 余韻もあり、なによりも簡潔でいい題名だと思った。

 


 まさに完璧な作品だと思った。



 これなら日間ランキングのトップ10にすぐ入るだろうと思った。


 過去の自分の実績からすれば、こんな素人集団の未熟な作品群の中ではちょろいものだという自負があった。


 しかし、結果は散々だった。


 そもそもPVがつかない。


 ブックマークや評価などゼロだ。


 総合評価ポイントゼロなので、ランキングどころか、論外の作品になってしまった。


 私の作品を誰も評価してくれない。


 それどころか誰も読んですらくれないのだ。


 私は気が狂いそうになった。





「どうしたの?」


 裕子の声で我に返った。


「ああ、それで異世界ものを書こうと思ったんだけど、異世界に行くのはもうワンパターンでありきたりだから、異世界から来た異世界人がお台場でデートするのはどうかなと思って」


「すごい、慎ちゃんって、本当に発想が豊かなのね」


「それほどでもないさ」


「でも、慎ちゃん、さっきおでこがしましまだったよ」


「しましま?」


「ええ、皺が寄っていて、しましま。あんまり考え過ぎないほうがいいわよ」


 そう言って裕子が笑った。


 裕子を見た。


 笑う裕子の目尻にも皺が寄っていた。小鳥の足跡のような皺が目立った。


 裕子と付き合い始めたのは、まだ裕子が十代の時からだった。あれから20年以上が経過していた。その間、ずっと裕子は私と付き合っていた。もし、裕子が結婚を切り出したらすぐに別れるつもりだった。20年間、私が自分が話をしたい時だけ呼び出して何時間も自分の作品の話をし、自分がしたい時だけ、自分の性欲を裕子で解消していた。高いレストランで記念日のお祝いをしたり、旅行に二人で行ったりとかしたことは無かった。



 それでも裕子は私についてきてくれた。


 いや、裕子がいなかったら私はこの20年間、とっくにメンタルが壊れていたかもしれない。彼女という聞き役が、励ましてくれる人がいるから頑張れたのだ。


 なのに、私は裕子に何をしてあげたのだろう。


 何も無い。


 悪い言い方をすれば、ただ利用してきただけだ。


「そろそろ行きます?」


 黙っている私を見て裕子が言った。


「ああ」


 裕子がレジに行った。


 学生時代は私が裕子の分を出していた。


 だが社会人になって何年目からなのかは覚えていないが裕子の方が私の年収を上回った。


 以来、裕子がいつも払ってくれていた。


「ベストセラーを書いて、印税が入ったら、何か美味しいものをご馳走してね」


 帰りがけにいつもそんな言葉をかけてくれた。


(裕子……)


 遅ればせながら今気が付いた。私にとって大切なものは小説ではなかった。裕子だ。そして裕子はこんな私に20年以上も尽くしてくれていたのだ。


(そうだ。裕子と結婚しよう。仕事も安定した職場に転職しよう。これからは裕子を幸せにして喜ばせることを最優先にしよう)


 もし、私が「結婚しよう」と言ったら、裕子はどんな反応をするだろうかと思った。ここまで私に付き合い、尽くしてくれたということは当然、裕子も私と結婚したいと思っていたはずだ。だが小説家になるまでは結婚しないという私の気持ちを知っていたから待っていてくれているのだ。



 店を出ると空が曇ってきた。


 いきなり豪雨が降りそうな気配だった。


 夏の天気は変わり易い。


 レインボーブリッジを横に見ながら、駅に向かって歩いた。


「ところで、裕子」


「何、慎ちゃん」


「結婚のことだけど」


 裕子の表情が変わった。


 顔色が白くなった。


 これはやはり触れてはいけない話題なのだ。


 裕子にとっては苦しく重い話題なのだ。


 だが、今日の私は違う。


 裕子のその苦しみを解放するつもりだ。


 フライング気味かもしれないがここでプロポーズをしてもいい。



「誰から聞いたの?」


「えっ」


「SF研の仲間?」


「いや、何のことだ」


「私の結婚」


「えっ、結婚をしていたのか」


「知らなかったの?」


「ああ」


「じゃあ、さっきは何を言おうとしていたの」


「いや、それはいいんだ。それよりいつ結婚した」


「3年前よ」


 それでかと私は思った。3年前から体の関係は無くなっていた。私が求めても、裕子がさらりとかわすようになり、私も無理に口説いてまでしたいと思わず、自然にそういう関係が無くなっていったのだ。


「どうして?」


「それを私に訊くの?」


「ごめん」


「謝らなくてもいいのよ」


「でも、どうして黙っていた」


「話したらもう会ってもらえなくなると思ったからよ」


「……」


「私はずっと慎ちゃんが小説のことを話すのを聞いているのが好きだったから」


「そうだったのか」


 雨が降り出した。


「大変、傘を持っていないの」


 私達は駅舎に駆け込んだ。


「慎ちゃんは、乗らないの」


「いや、もう少しお台場で次の小説の取材をしてゆくよ」


「今度書く異世界もの頑張ってね」


「ああ」


 私は改札で裕子を見送った。


             3


 雨が止むまでゆりかもめの駅舎内にいた。


 雲が切れて、日差しが戻ってきた。


 私はお台場の浜の方に歩いて行った。


 私は馬鹿だった。


 大切なものを失ってしまった。


 それに、小説投稿サイトを舐めていた。


 こんな中途半端な自分が、新しいメディアで活躍するなどはなから無理だったのだ。


 私は鞄から、いつも持ち歩いている愛用の執筆のためのノートパソコンを取り出した。


 このパソコンの中には私の書き溜めた小説のデーターが入っている。


 いつでもどこでも閃いたら小説を書くことができるようにこのノートパソコンを携帯していた。


 私は浜辺にいった。


 波が浜に打ち寄せていた。


 私は海の中にノートパソコンを投げ入れた。


 飛沫を上げて私の作品が入っているノートパソコンは海に沈んだ。


 空を見上げた。


 虹が出ていた。


 その美しさに私は慟哭した。





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