嫌な予感
まるで新しいダンジョンだった。
天井が崩落して塞がった通路。床が抜けて下層へと繋がる大穴。
最早以前攻略したダンジョンとは、ほど遠い。
『古代の神殿』は全く新しいダンジョンと化していた。
そんなダンジョンへ、以前の記憶だけを頼りに臨むと、どうなるか。
答えは明白と言えるだろう。
「これがローグライクゲームってか? ……ちょっと違うか。まあそれはともかく、完全に迷った! 」
信じられないかもしれないが、これでも始めは順調に進んでいたのだ。
そもそも俺は、記憶力が良い方で、このダンジョンのマップだって完璧に記憶していた。
だから、多少道が塞がっていようが、別ルートを試すことで進むことが出来た。
それでも抜け落ちた床や、崩落した天井から、ダンジョンの階層を上下していたのがダメだった。
どうやらこのダンジョンは、上下層の繋がりが複雑に入り組んでいるらしい。
上層の穴から下層に降りたとしても、下層のどの位置に降りるかは、降りてみるまで分からないということだ。
それに気が付いた時には、既にこの迷路に囚われた後だった。
「大体中層あたりに居ることだけでも、わかっているだけで今はありがたい」
このダンジョンは、山脈内に埋まるように神殿が作られたか、もしくは古代に作られた神殿が、長い年月を経て山脈の一部となったのか、とにかく山脈の中に存在する。
そして、頂上は少し前に俺がいた『瓦礫の大聖堂』であり、麓がこのダンジョンの入り口である。
つまり、このダンジョンを抜けるには、下層へと降りる必要があるわけだ。
そして、たとえ迷子であろうとも、下へと降りることが出来ればいつかは脱出できるということでもある。
なるほどそう考えれば、状況は然程深刻ではないと言えよう。
だが、俺には少しだけ気になることがあった。
「……また血痕だけか。魔物なんて一体も見かけないのにどうなってんだ? 」
理解し難い光景が何度も続き、顔をしかめる。
魔物どころか生物の気配を少しも感じないにも関わらず、進めば進むほど出てくるのは血塗られた光景だけ。
それに加え、その血痕自体も真新しいものに見える。乾き切れていない所を見るに、つい数時間ほど前ここで虐殺が行われたかのようである。
もし本当ならば、並々ならぬことがこのダンジョンで起きていることになる。
「何があってもおかしくないってことか。気を引き締めないとな。――よし! 」
自ら頬を叩き気合を入れ直す。
ゲームとは言え『黒の魔女』まで討伐したのだ、大抵のことなら独りでも何とか出来るだろう。
そう自分を鼓舞するが、俺の胸から嫌な予感が消えることはなかった。
それから数層下へと降りたが、景色が変わることはなかった。
風化した壁に、真新しい血痕。そして、魔物の居る気配だけは全くない。
なので、俺は今まで通り慎重に、階層を攻略していく。とはいっても、魔物とエンカウントがないので、ただただ下に進むだけなのだが。
そろそろダンジョン全体の三分の二ほどは、降下したのではなかろうか。
難易度的にも易しくなる頃合いである。勿論、魔物が出るならの話であるが。
「それにしても、獣系の魔物だけじゃなく、霊体系の魔物まで出ないとは。こうなると、突然変異した強個体がダンジョン内の魔物を全て食い尽くした、とかではなさそうだよなあ。マジでどうなってるんだ? 」
これまで通過してきた階層には、レイスやポルターガイストなどの霊体を持った魔物も存在していたはずなのだが、それすらも現れることはなかった。
獣系の魔物ならば、空腹に耐え切れず他の魔物を襲うことがあるだろう。だが、その場合でも、腹の足しにならない霊体系の魔物を襲うことはない。
霊体系の魔物すら出ないということは、別の可能性を考えなければいけないだろう。
そして、この階層に降りてから気が付いたことがある。
明らかに血痕が新しいのだ。
この場所に付着してから数十分程しか経っていないのだろうか、まだ一切凝固していないのである。
つまり、それが意味するのは明白で。
「……この近くに、この惨状の作り手がいるということか。出来れば出会いたくはないよなあ……。油断だけはしないようにしよう」
俺はさらに気を引き締める。
だが、そんなささやかな願いとは裏腹に、ここに来て初めてある音が響いていた。
――――カキン、ドガン
固いもの同士がぶつかり合うような、そんな音。
それは、ゲームならば日常的に響いていた音で。
つまり、ここまで聞くことのなかった戦闘音だった。
「誰かがこの先で戦っている……? 」
可能性が一番高いのは、何者かによる虐殺が現在進行形で行われている場合である。
それならば、今のうちに下層に降りておくのが吉であろう。
変に絡まれ手に負えない生物であった場合のリスクが大きすぎるのだ。
だがもし、襲われているのが人間ならば。
そのような思考が、纏わりついて離れない。響く音と逆に向かう足は、雁字搦めで動けなかった。
俺はそいつを見捨てて、自分だけ脱出することが出来るのか。
問いかけが頭の中を駆け巡る度、俺を音の方向へと足を進ませるのだった。
「――行かないと! ……じゃなきゃ絶対、後悔するから」
俺は、既に走り出していた。