ようこそ世界へ
とにかく速く、とにかく早く。
出口へ向けて、ただひたすらに走り抜ける。
崩れ落ちる天井の瓦礫を最小限の動きだけで回避する。瓦礫で塞がった通路を詠唱魔術で破壊する。完全暗記したマップを頼りに、崩壊する迷路から最短ルートを導き出す。
思考を最大限に加速させることで、俺はその全てを刹那に判断する。
それらはほぼ無意識に抽出され、選択され、判断される。もはや走ることさえ頭の中には無く、無意識化の行動だった。
俺が意識することは、ただ一つで。
「アイナを助ける! 絶対に死なせはしない! 」
息が切れる。だからどうした、走り続けろ。
鼓動がうるさい。まるでカウントダウンみたいだ。
体力が尽きる。でも、気力は尽きていない。
それならまだ走れる。
今更になって気づいたことがある。
俺はずっと、独りでは何もできないことが、独りでは何処にも行けないことが、なにより独りでは何もしようとしない自分自身が、どうしようもなく嫌いだった。
だからこそ、あのゲームに出会い、アイナに出会い、冒険を繰り広げたことが嬉しかった。物質的な束縛も心理的な拘束もない。あの世界は自由だった。
でも、それは間違いだった。
独りでは何もできないことが嫌なわけでも、独りでは何処にも行けないことが嫌なわけでもない。
本当は孤独になるのが怖かったんだ。
どうしようもなく誰かに関わってもらいたかったのだ。
だというのに気づかないふりをした。
そもそも独りでは出来ることに限界があるというのに、嫌悪という感情で包み込んで、それを見ないようにした。
一人でも生きられるように。独りでも大丈夫になるように。
今だからわかることがある。
俺はアイナを連れ出しては、いろんな冒険をした。でも、本当に連れ出されていたのは、俺の方だったのだろう。
俺を孤独という殻から連れ出して、他者と関わることの真の意味を教えてくれたのはアイナなのだ。
美しい景色を見つけては微かに笑う、美味しいものを食べて嬉しそうにする、歌を聞いて穏やかな顔をする、そんなアイナの感情全てが好きだった。
その全てが俺の救いになっていたのだ。
だから、今度は俺の番。
もう独りになりたくない、そんな自分本位な考え方かもしれない。
それでも。
自分のために傷ついた少女に、罪悪感を感じているだけかもしれない。
それでも。
俺の感情が、どれだけ偽善で塗り固められたものだとしても。
「アイナを救いたいというこの気持ちだけは――――本物だ! 」
俺はそれだけを胸に抱いて走り続けた。
光が見える。
それはこの迷路にないはずの光。
外界の明かり。つまりは、出口である。
脳内マップで言えば、もうそろそろ出口が見えるのはわかっていたが、それでも目で見て確認できるというのは嬉しいことだ。
シオンもこれには息をのんだ。
「…………良かった。これで助けられる! 」
安堵。
もうすぐのところにゴールがある、もうすぐで終わる。
シオンはそうして安堵した。安堵してしまった。
まだ、ゴールしたわけではないというのに。
「しまった! 」
気づいたときには遅かった。
天蓋の大規模な崩落。あの部屋から始まった崩壊は、ついにシオンに追いてしまった。
回避しようがない数多の瓦礫は、シオンに襲い掛かろうとしている。
もはや一つひとつ破壊する暇もない。
シオンは致命的に詰んでいた。
それでも死神は――――――シオンの味方だった。
「止まらない! そのまま走って! 」
それは花びらの舞うように。優雅に、華麗に、心地よく。
そんな灰色の死神がシオンの真上に跳躍した後、足音も立てずに着地する。
上空に位置していた瓦礫は、いつの間にか綺麗に粉々になっていた。
シオンはその声を信じて、足を止めずに走り続ける。
そして、遂に仄暗い迷路から脱出したのだった。
振り返ると、先程までシオンが走っていた場所は、瓦礫と土砂で埋め尽くされていた。
「良かった……。あと少しで生き埋めになるところだった」
シオンは緊張が途切れて倒れそうになるが、意識をしっかり保つ。ここで倒れるわけにはいかないのだ。神殿からの脱出という目標を達成したが、まだやらなければならないことがある。
シオンはアイナを抱えながら、周りを確認する。
すると、会話が聞こえてきた。
「アレン、早くこっちに来る! 」
「待ってくれ! 君はいつも唐突だ。少しは説明というものを…………」
少し遅れてやってきた男は此方に気づく。
そして、この場の誰よりも大慌てした様子で。
「大変じゃないか! 僕にその子を見せてくれるかい? 」
シオンはその男にアイナを引き渡すと、男は治療を開始した。
その様子を傍で見守る。
「…………これは酷い。外側も酷いが、特に中身の損傷が酷すぎる。死んでいないのは奇跡だ」
その言葉に不安になったシオンは思わず口を開いていた。
「アイナは……助かりますか?」
「大丈夫、安心して。必ず助けるから」
男は魔法陣を幾つも出現させ、ひとつずつ丁寧に発動させていく。
すると、目に見える傷が少しずつ治癒していった。
外見上確認できる傷が全て塞がるが、それでも新しい魔法陣を起動させては消していく。
そして、遂にその手が止まる。
「…………ここまで回復すれば、取り敢えずは大丈夫だろう。持ち物が良いのか、生命力は尋常じゃないくらい高いからね。気になることはあるけど、当面の間、死の危険はないはずだ」
男が治療の終了を宣言する。
持ち物というのは聖剣のことだろうか。確かにそれは、アイナの生命維持装置の役割を果たしていたものだ。どうやら、それのおかげで一命をとりとめたらしい。
「――――それは良かった。本当にありがとうございます! ええと……」
そうして、シオンは感謝の言葉を述べる。
しかし、そこで相手の名前を知らないことに思い当たる。
それに男も気づいたようだった。
「ああ、自己紹介がまだだったね。僕の名前はアレン。アレン・スピネライトだ。よろしくね」
そして、その視線はもう一人の女へと向けられる。
「そして、彼女はルナだ。仲良くしてやってくれ」
ルナと紹介された女は、シオンと目が合うと小さな声でよろしく、と呟いた。
「アレンさん、ルナさん、本当にありがとうございました」
そうして、再度感謝を伝えると、シオンは何とか保っていた意識を、遂に手放したのだった。
地面に倒れるシオンの身体を、アレンが受け止める。
その身体をゆっくりと少女の隣に並べて、声をかける。
「……お疲れ様、よく生きてここまで辿り着いたね。君達は充分頑張ったとも。今はゆっくりと休むといい」
ふと見ると、昇りだした太陽が空に綺麗な東雲を描く。
そして、思い出したように振り返って。
「――――――ようこそ、この世界へ」