07
あっという間に静けさを取り戻した宰相の執務室。
気配を殺していた宰相が、父上たちが出ていくとおもむろに近づいてきた。
「リック」
父上の真似をして宰相が俺を愛称で呼ぶ。
気持ち悪くてつい睨んでしまうと、「……フェリクス」と言い直された。
「……なんです?」
「王妃が認められたということは、ヤンセン男爵令嬢は第二王女で間違いなかった。明後日から迎えに行ってくれ」
「急ですね」
「片田舎で野放しにしておけないからな。今回は、とりあえず旅行の態を取ってもらう」
まだ王女の存在を公にできないので、内密に迎えに行けということだろう。
それは、ヤンセン男爵令嬢が本当の王女だと仮定してお連れするための計画書を練っていたから予想通りと言えばそうなのだが、相変わらず人使いが荒い。
「旅行には、フェリクスとイヴァンと夫人の三人で行ってもらう」
「夫人?」
イヴァンは独身だ。貴族らしい令嬢が苦手だから。
寄宿学校時代からの友人だから、間違いない。
ということは、侍女かメイドとして出仕している婦人か。
誰かの妻なら何夫人か言ってもらわねば誰のことかわからない――と考えていると、耳を疑うことを言われた。
「フェリクスの細君。ハーディング侯爵夫人だ」
「は?」
俺は最近の疲労のせいで、自分の耳がおかしくなったのだと思った。
◇
フェリクス様からお義父様が拘束されていると聞かされてから十日あまり。
急転直下とはまさに。
お義父様の嫌疑が晴れて、本邸に帰ったと城にいるフェリクス様から連絡があった。
お義父様が無事に帰れたとの知らせに、『前当主が失踪した』と聞かされていた使用人たちも皆、安堵している様子だった。
その夜、ようやく早く帰ることができたフェリクス様と、久しぶりに同じタイミングでベッドに入った。
お義父様が失踪したことになっていたので、話したくても側に使用人がいる間は詳しい話ができなかった。
早速口を開く。
「フェリクス様がいろいろ調べていたのが役に立ったのですね」
「それもあるけど。別の、強力な証言が得られたんだ。それで、私的な行使ではなく密命だったとわかって、釈放された」
「そうなんですか。それなら完璧に疑いが晴れたのですね。良かったです」
私が安堵して息を吐くと、フェリクス様の手が頬を撫でる。
「……心配かけたね」
「いえ。結局今回も私は役に立つことができずに終わりました」
一番心労が堪っているはずのフェリクス様を少しでも手伝いたかったし、何か役に立ちたいと思ったけど、何もせずに邪魔にならないことしかできなかった。
何度か進捗状況を確認したけど、「進んでいない……」と申し訳なさそうに言うフェリクス様に、あまり聞くと追い詰めてしまう気がした。
その結果、いつも通りに報告があるまでただ待つしかできなかった。
役に立つことができない自分が不甲斐ない。
「そんなことはない。セレナがいてくれたから、頑張れた。セレナを路頭に迷わすわけにはいかないからね」
体に回された腕に力がこもり、縋るように抱き込まれる。
「本当に良かったよ……」
思わず漏れたかすれ声が耳に届く。
その切実そうな、疲れ果てたような声に、フェリクス様の背を撫でると、深く安堵の息を漏らした。
「お疲れ様でした。それと、大変な状況だったのに母の件ではご迷惑をおかけしました……」
「全然。でも、俺も謝らないと」
「え?」
「セレナが悩んでいることはわかっていたのに、寄り添ってあげられる余裕がなかったから」
「そんなの、いいんです。余裕がなくて当たり前ですし、母が余計なことをしなければ」
「いや、お義母上が何か思うところがあって行動していることはわかっていたし、セレナの涙を見て放っておくんじゃなかったと後悔していたんだ」
「あのときはフェリクス様に知られたくないと思っていたので、むしろ放っておかれてよかったです」
「そっか……。結果的によかったなら、いいんだけど……」
話しているとフェリクス様の瞬きがゆっくりになってきた。
話す早さもゆっくりになってきて、かなり眠そうに見える。
「寝ましょうか。本当にお疲れさまでした」
緩んでいた腕に力を込めて、もう一度ぎゅっと抱きしめる。
呼応するようにフェリクス様の腕も動くが、いつものような力強さはない。
「ん……セレナ……ずっと、俺のそばに…………」
背中を撫で続けていると、うとうとし始めたフェリクス様は、途切れ途切れに呟いたと思ったら、あっという間に寝てしまった。
安らかではあるものの、疲労の浮かぶ寝顔。
いつかもっとフェリクス様を助けられるようになりたいと思った――――




