06
苦悶の表情をしている宰相をじっと見つめた王妃は、わざとらしく大きく息を吐いた。
それをきっかけに宰相が口を開く。
「……ベルトランの息子であるフェリクスの調べによると、第二王女が生きていると投書を投げ入れたのは、妃殿下の側仕えの縁者だということもわかっています」
「そう。そうなの。ふふっ。幼いころは茶会に付いてきてもオドオドと頼りない子供に見えたけど。さすがはハーディング侯爵家の当主。優秀なのね。……きっと、息子の成長を喜んでいるわね」
そう言って天を仰ぐ王妃。
しばらく笑顔で天井を見上げていたが、「それとも、愛する夫を悪者にするなんて! と怒っているかしら」と呟いて、顔を戻した。
そのときには笑顔は消えていて、諦めたように遠い目をしていた。
「恩人である彼を悪者にするつもりはなかったの。それは信じてほしいわ」
「しかし、どうして……」
「だって、あの子もわたくしの子供ですもの。母親が我が子を守るのは当然でしょう?だから、命じたのです」
その声は何も後悔をしていない。
むしろ、凜としていた。
――腹の中の子はどちらも貴方の子供だと何度訴えても、先王を恐れる夫の意見は変わらなかった。
王家のしきたりや情けない夫に失望した王妃は、我が子を守るのは自分しかいないと考えるようになる。
伝承によると、生まれたうちの片割れはその日のうちに処刑人によって――今だと法務部の役人が何人も立ち会って命を奪うことになっていた。
何人もの人がいる前で、どうして我が子を守れというのか……と絶望しかけていたある日、当時のハーディング侯爵夫人とお茶会をした。
学生時代からの友人といつものように楽しく話をしているとき、ふと、友人の夫の得意な魔術を思い出す。
魔術の名門一族の当主にして、記憶の改ざん魔術の開発者の子孫であり、天才と呼ばれる魔術師団長。
そんな男なら、最高難度の高等魔術でも、一度で大勢の人間の記憶を改ざんすることも可能ではないのか。
居ても立っても居られなかった。
すぐにベルトランを呼び出し、記憶の改ざん魔術について聞いた。
初め、どうしてそんなことを聞くのかと訝しげにしていたが、歴史の古い家柄の彼は王家への忠誠心が高かった。
些細なことでも、聞いたことは全て答えてくれた。
思いつく限りの質問をし終わるころには、ベルトランに手伝わせることを決めていた。
『今聞いたことは忘れるように。人に言ってはなりません。貴方の力が必要になったときには、頼みましたよ』
『……拝承しました』
生まれてすぐに、男児と女児のうち、誰も疑問に思うことのない様子で女児だけが別室へと連れて行かれる。
『待って……。その子は、その子もわたくしの大切な子よ……!』
役人は一瞬立ち止まったが、振り切るように足を進めた。
とても歩き回れる状態ではなかったが、我が子を思う気持ちだけで奮い立たせて、生まれたばかりの我が子を追いかけた。
そして、ベルトランを呼び出した。
「定期的に娘の動向を報告させに行っていたのも、報告させた者が帰ってきたらその都度記憶を改ざんさせていたことも、もう知っているのでしょう?」
王妃が信頼している侍女の手によって、街中に捨てられた王女は、直後に通りがかったヤンセン男爵に拾われた。
子供のいない夫婦は、その赤子をそのまま養子として迎えた。
そして、ヤンセン男爵が城勤めを辞めて領地に戻ったのと同じころから、側仕えの者に定期的に遠い地まで様子を見に行かせていた。
「どうしてもわからないことが一つあります」
「…………」
「それほどまでして守りたかったはずなのに、どうして今になって?」
「娘はね、結婚する予定だったの。花嫁姿を見たいけど、さすがにそれは我慢しないといけないと思っていたのよ。だけど、結婚はなくなってしまったの」
確かに、ヤンセン男爵令嬢はあの辺では大きな商会の息子を婿にする予定だったが、結婚式直前に破談になったという報告書を、この騒動が起こる以前に見たな……。と宰相は思う。
「娘の元婚約者はね、娘が親友だと思っていた女に乗り換えたのよ。信じられないでしょう。あんな田舎でそんなことが起こったら……。わたくしの生家ものどかな田舎だったからわかるわ。娘はこれからずっと肩身の狭い窮屈な思いをしながら生きていかなければならないのかと思ったら、不憫で。本当は相手の男を懲らしめたいけれど、わたくしにできることといったら……」
王妃という立場は大きな権力を持っていると思われがちだが、我が国ではそれほど力がない。
身の回りのことに不自由はないが、人々が想像するような思うままの生活はできない。
自分のできること――それが無記名の投書で、今まで秘密にしてきたことを明るみに出してでも、手を差し伸べてあげたかった。
そう言いたいのだろうか……そう思いながら、宰相はそっと部屋を出た。
「でも、あの子を王家に戻したいわけじゃないの。幸せになってほしいだけだったの。母親が子供の幸せを願うのは当たり前じゃない」
王妃は誰に向かって言うでもなく、誰もいなくなった部屋で独りごちた。
事の顛末を報告された国王は王妃に謝罪し、二十年の溝を埋めるべく家族サービスに乗り出す。
しかし、そんなもので埋まるわけもなかった。
◇
宰相から連絡を受け、執務室に行くと父上がいた。
あの後、王女の側近など深く関与していた数名の記憶を父上が戻し、当時の状況が完全に明らかになったらしい。
「リック! ありがとう」
「……無事、解放されましたか」
父上が、両手を広げて寄ってくるので手を翳して制すると、残念そうに眉を下げ、ゆっくりと手を下ろしながら「苦労かけたね」と言われた。
「早く帰って使用人たちを安心させてあげてください。失踪したと思われていますから」
「そうか、皆にも――」
父上が何か話し始めたとき、ノックもなしにドアが開いた。
そして、魔術師のローブをはためかせながら、俺の横を駆け抜けていく者が。
「父上!良かった!」
ヘラルドだ。
父上に抱きつき、泣きそうな顔で解放されたことを喜んでいる。
我が弟ながら、大の大人がおっさんに抱き付き喜びを顕にできるとは、恐れ入る。
生まれ変わっても俺には真似できそうにないが、父上も嬉しそうに抱き合っているから、親としてはやはりヘラルドのような子供のほうがかわいいのだろうなと思う。
その後、「今日はもう早退することにしたので一緒に帰りましょう!」と言うヘラルドと父上は帰っていった。




