05
ずっと、借金はお父様が悪い人に騙されたのだと思っていたけど、本当はお母様が勧めたのが原因だったなんて。
「どうして今まで黙っていたんですか?」
「だって、ずっとセレナにはうまい話には裏があるものだって言っておきながら、私がうまい話に騙されたとはしられたくなかったのだもの」
そんな子供のような理由で……。
「それで、どうしてお金の無心なんてしたんですか?」
「セレナ、カトリナはお金の無心がしたかった訳じゃないと思うよ」
お母様のことをまっすぐに見据えて聞くと、お父様が間に入ってきた。
「……お金を要求することをお金の無心をすると言いますが?」
「うん。でも、カトリナの目的は別のところにある。セレナを心配してのことだと思う。まぁ、間違えた方向へ突っ走ってしまったみたいだけどね」
お父様の言葉を受け、お母様をじーっと見ると、お母様は口を噤んで視線を彷徨わせた。
それでもなお、じっと見続けるとやけになったように早口でまくし立てるように話し出した。
「だって!最近急に侯爵様の隠し子の噂やセレナと離婚するんじゃないかって噂をよく聞くようになったのだもの!少し前までは仲睦まじいなんて噂を聞いていたし、ドレスの依頼も多かったのに、急に減ったし。心配するに決まっているでしょ!?隠し子がいたなら苦労するのは目に見えているし、離婚するなら子供のいないうちにしたほうが良いと思ったの!だから、厄介な親がいると思わせて。それでも離婚しないって言うなら、本当にセレナを大切にしてくれているのが確かめられたなら、それでいいと思って!」
「……私のためだったって言うの?」
「そうよ!だって、だって……。私がお父様に勧めなければ、セレナが借金と引き換えになることがなかったのだもの!私のせいで不幸になるなんて、そんなのだめよ!だから責任を感じて、私にできることならなんでもやろうって!」
「ところで、ドレスの依頼って何?」
先ほどのお母様の言い訳は、お父様の言う通りに全体的に勝手に解釈して突っ走っていて、迷惑だと思った。
だけど、言い訳の中に一つだけ意味のわからないことがあった。
お母様は「えっ?」と驚いたように言って、ちらりとフェリクス様を見る。
今、この流れでフェリクス様は関係ないのに。
「聞いているのは私なんですけど?」
それでもまだ答えずに、困ったようにフェリクス様をちらちらと見ているお母様にまた少しイライラしてきた。
私の視線が厳しくなり始めていることに気づいたのか、フェリクス様が髪を撫でて宥めてくる。
(またフェリクス様の前で感情的になってしまった……)
落ち着こうと意識してゆっくり呼吸をする。
髪を撫でられた後、手を握られ「ドレスの依頼っていうのはね――」とフェリクス様が話し出した。
「子爵夫人は子爵家から離れていた間、刺繍工房で働いていたんだ。セレナのドレスは知っての通り、母が懇意にしていたテーラーメイドに依頼しているけど、刺繍は下請けの刺繍工房が請け負っている。それは子爵夫人の働いていた刺繍工房なんだ」
娘である私が知らない情報をフェリクス様が知っていることについては、もう何も言うまい。
フェリクス様が発注してくれている私のドレスは、確かに繊細な刺繍が入っていたりレース編みが美しいドレスが多い。
まさか、お母様が働いている工房だったとは、なんて偶然なんだろう。
だから、ドレスの依頼について知っていたのか。
(それにしても、噂に踊らされて暴走するなんて……)
フェリクス様に限ってそんなことはないと思うけど、お母様の行動によって本当に関係にヒビが入ったらどうするのか。
「夫人。私に隠し子がいたという噂は完全な偽りです」
「でも……」
「私の心は幼いころから変わらずセレナだけです。それは死ぬまで……いや、死んでもなお」
「そ、それは深く愛されているようで」
「深いどころではありません。何度生まれ変わり、姿かたちが変わろうとも、永劫。私がセレナ以外に惹かれることは有り得ません。たとえ次に生まれたときにセレナと巡り会えなければ、その次こそは巡り会えるようにと願いながらその生は誰と交わることなく終えるだけです」
フェリクス様に怖いくらい真剣な眼差しで、私への重い愛がどれ程かを伝えられたお母様は、顔が引きつっている。
お兄様は、口は弧を描いているけど、瞳は空虚で遠くを見ている。
お父様は困ったように笑っている。
フェリクス様の愛の深さアピールによって、子爵家の応接室は微妙な空気になってしまった。
フェリクス様は私のほうへと振り向くと、いつものように甘く微笑む。
「ね、セレナ」
家族の前で同意を求められると、とても困る。
けれど、私の答えは求めていないのか頬を撫でて笑みを深めるフェリクス様。
急激に応接室の中に甘い空気が流れ始め、お母様は目を逸らし、お兄様は変わらずどこか遠くを見ていた。
そんなことに構わず、お父様は「よっこいしょ」とソファから立ち上がると、棚に飾られていた写画を手に取り、戻ってくる。
お父様が持ってきたのは、フェリクス様と私の結婚式の写画。
「いい結婚式だったよね」
「ええ。史上最高の結婚式だったと断言できます」
いきなり思い出話でもして雰囲気を変えるつもりなのか、のんびりと笑顔で話すお父様に、フェリクス様が強く同意する。
「セレナが結婚式のときに着ていたこのドレス。あの刺繍はカトリナが刺したんだよ」
「えっ……!」
お父様の言葉に絶句して視線だけお母様に向けると、お母様は居心地の悪そうな顔をしていた。
「カトリナは自分を責めていてね。格が合わない結婚は苦労するのが目に見えているから。私がセレナはフェリクス殿から大切にされていると手紙で伝えても、返事はずっと暗いままでね」
私が出した手紙には返事が来なかったのに、お父様とは連絡を取り合っていたなんて。
いろいろと知らないことばかりで驚きの連続に、なんだか疲れてきた。
「だけどある日、セレナの結婚式のドレスの刺繍を任せてもらえたと書かれていて。それからどんどんカトリナらしさが戻ってきた」
結婚式のときに着たドレスももちろんフェリクス様が発注してくれたのだけど、とても素敵だった。
(あのドレスの刺繍をお母様が……)
フェリクス様を見ると、優しく微笑んで小さく頷いた。
なんと言えばいいかわからなくて、ただ黙ってお母様を見ると目が合った。
「おまじないだとわかっていても、少しでも幸せになれるようにしたいじゃない!」
また私に怒られると思ったのか、お母様は言い訳するように言った。
この国では、花嫁のドレスに年上の女性が刺繍すると、その花嫁は幸せになれると言われている。
元々は、婚礼衣装は各家庭が自分たちで作っていた。その当時、母親が嫁ぐ娘の幸せを願ってひと針ひと針刺繍したのが始まりらしい。
時代の変化とともに、ドレスは購入するものに変わり、刺繍は必ずしも母親がいるとは限らないから、母親から年上の女性がするといいと変化した。
先ほどから拗ねたような不貞腐れているような態度なのに、言っていることは私を思ってのことばかりのお母様。
お母様がこんなに子供みたいな人だと思っていなかった。
自分が大人になったからそう感じるのか、今まで私には見せてこなかった一面なのか……。
「はぁ……」
あれもこれも私のためだったのだと思うと、疲れを感じてため息を吐いてしまった。
「ごめんなさい……」
お母様がやっと素直に謝った。




