04
フェリクス様の休みに、私たちは二人で子爵家を訪れた。
ちらりと付き従っているセリオのほうを見ると、小さな鞄を持っている。
『兄も援助は望んでいない』と言ったけど、フェリクス様は『念のためだから』と言って、結婚式費用を包んで持って来た。
金庫から取り出されたそれを見たときは、本気で止めた。
フェリクス様が手に取ったのは世間で最も流通していて、私がお母様に渡したようなコインではない。ピンと角の揃ったお札の束。
貴族の買い物や大商人が商談のときに使うくらいで、まだ一般にはそれほど普及していないお札。
街中の小さなお店では、お釣りが出せないからお札では買い物ができないほど、お札は一枚でも高額なのに。それが三束も金庫から取り出された。
フェリクス様と私の結婚式にかかった費用は、確か二束分だと聞いた。歴史ある名門侯爵家なだけあり、本当に豪勢な式だった。
お相手が伯爵令嬢ということを鑑みても、子爵家のお兄様の結婚式費用という名目ならば、一束で充分。お相手のモニカ様のご実家は歴史のあるお家だけど、ハーディング侯爵家よりは格下だから。
フェリクス様は『実際に出すかどうか、いくら出すかは、話して決めるから。それに、本当に必要だと思ったときに「手持ちがない」では格好がつかないからね』と言っていたけど……。
子爵家に行くと、今日はお父様もお兄様も家にいた。もちろん、お母様もいる。
一応先触れを出しておいたから、皆でフェリクス様を迎える準備をしていたらしい。
応接室の椅子にそれぞれが腰掛けると、お母様はすぐに口を開いた。
「侯爵様がこうして我が家を訪ねてくださるなんて、光栄ですわ」
お母様にとっては、子爵家でフェリクス様と会うのは初めてでも、フェリクス様が子爵家を訪れるのは初めてではない。
だから、お父様もお兄様も、お母様の言い方には少し微妙な顔をしていた。
しかし、お母様はそんなことを気にせず、いきなり本題に入った。
「それで、今日いらっしゃったということは、先日のお話を受けてくださるのかしら」
私はお母様の言う『先日のお話』が何のことかすぐにわかったけど、お父様はお母様の行動を知らなかったようで「ん?先日のおはなしってなんだい?」と呑気な様子だった。
「――だからね、何もたくさんとは言っていないのよ。有り余るほどの財産がおありでしょう?そこから、ほんの少しだけ。ね」
「だけだなんて!もういい加減にして!お父様もどうして黙っているの!」
あれからお母様はフェリクス様へお金の無心をし続け、私は堪らず立ち上がって声を荒らげてしまった。
お兄様は窘めるように「母様」と呼んだり「俺は望んでいないって言ったよね」と言ったりしていたけど、お父様は見ているだけで止めようとしなかった。
(まさか……お父様まで援助してもらう気でいるの?)
フェリクス様に、お父様が援助の申し出を断ったと聞いてお父様を尊敬し直したのに。
苛立ちと失望で、両親のことを心底嫌いになりそうだった。
「セレナ――」
「フェリクス様!帰りましょう!」
フェリクス様は、私の様子を心配したように声をかけてくれたけど、私は無視してフェリクス様に帰宅を促した。
だけど、フェリクス様は緩く首を振って、私の手を引っ張る。
小声で「大丈夫、落ち着いて。座ろうか」と言われて、声を荒らげてしまったことが少し恥ずかしくなった。
気まずい気持ちで座ると、別邸にいるときのように手を握り、逆の手で頭を撫でられ、微笑まれた。
私が落ち着きを取り戻したのを確認すると、フェリクス様はお母様のほうへと向き直る。
私たちの様子をじっと見ていたお母様は、急にフェリクス様が真剣な顔で向き直ったからか、一瞬身構えたようだった。
「ヘーゲル夫人。御要望のアレシュ殿の婚礼費用をお持ちしました」
フェリクス様の言葉を合図に、セリオが持っていた小さな鞄を開けたので、皆の視線が鞄に集中する。
お兄様が「さ、三……束!?」と言って絶句する。
「そ、そう。さすがね。でもそうよね。義理とはいえ愛する妻の家族が困っていたら助けるものよね!」
「ええ。ですから、お使いください」
セリオが私たちの前にあるテーブルの上に三束のお札をわかりやすく横に並べるようにして置いた。
全員の視線が束になっているお札へと釘付けになっている。
「どうぞ、足りなければおっしゃってください。子爵には断られてしまいましたが、元々援助を申し出ておりましたので」
「フェリクス様、これ以上は!そもそもこんなに……!」
私がセリオにお札を仕舞ってくれるように視線を送っても、セリオは気まずそうにそっと視線を逸らすだけだった。
「ま、まあ!本当に?そうよね。そうでなければ――」
お母様が驚きつつも、援助の話に食いついたそのとき、ようやくお父様が声を発した。
「いい加減にしなさい、おまえは」
いつものんびりとしたお父様とは思えない凛とした声で、お母様の動きがぴたりと止まった。
「昔から、人から援助されるのを嫌がっていたおまえが、『貧乏でも人のお金をあてにしないで生活することが私の矜恃』と言っていたおまえが、どうしてこんなことをするのかと不思議だったが。ようやくわかったよ」
そう。お母様がお金の無心に来たときに、何が一番ショックだったかというと、今お父様が言ったことだった。
『いい?セレナ。どんなに生活が苦しくても、人のお金を頼りにして生活してはいけないわよ』
『どうして?』
『無償で援助なんて、罠が潜んでいるわ。それに、そんなお金で綺麗なドレスを買っても、高級なお料理を食べても、きっと虚しくなるわ。それは私たちのお金ではないのだから』
『ふぅん……?』
『人のお金で良い生活ができたとしても、それは幻のようなもの。他人に縋って生きていくことを覚えてしまったら、いつかは必ず貴族としての矜持や尊厳が失われてしまうわ』
『きょうじやそんげん?』
『私たちは貴族なの。貴族というのは、施す側であって、施される側になってはいけないのよ』
私は当時、清貧について教えられているのだと思っていた。
だから、当たり前のようにお金の無心をしてくるお母様がショックだった。
「おまえのしていることは、ただセレナに嫌われるだけだよ。どうしてこんなことをしたのか、説明しないと」
お父様から諭され、お母様は子供のように口を尖らせた。
ほんの少し会わない間に、お母様は子供のようになっている気がする。
「……別に。もう嫌われているもの。いまさらよ」
「どうしてこんなことをしたのか、話せばわかってくれるよ」
「無理よ」
両親の会話を聞いていても、何を言いたいのかわからなかった。
そんなことより、お金の無心はもうしないようにお父様からも言ってほしいと思った。
「大丈夫、セレナならわかってくれる。だから、ちゃんと話を――」
「無理よ!だって、私があの鉱山の話に乗ろうって勧めなければ借金を作ることもなかったのよ!あなたは迷っていたのに、私が!恨んでいるに決まっているわ」
「……えっ?」
私が反応すると、お母様は慌てて口を押さえた。
いまさら慌てても、もう聞こえている。




