02
お母様にお金の無心に来られるのは二度とごめんだと思った私は、すぐに実家へ赴いた。
居間へと行くと、お母様がメイドにお茶を入れてもらっているところだった。
ベテランのメイドとお母様は楽しそうに話している。
実家では、もともとギリギリの数の使用人しかいなかったけど、お父様の借金発覚後は給金を支払えなくて、ほとんどの使用人に辞めてもらうしかなかった。
今お母様と話している古くから勤めてくれているベテランメイドのテルザさんは、『この年では住む場所もままなりません。給金はいりませんから住み込みで置いてください』と働き続けてくれていた。
お母様が出て行った後は、私のことを気遣ってくれたり、フェリクス様から借金完済を知らされたときには一緒に喜んでくれたりと、家族の一員のような存在だった。もちろん給金は支払っている。
「おや、お嬢様。おかえりなさいまし」
私が来たことに気づいたテルザさんは、しわしわの優しい笑顔で迎えてくれた。
「あら、セレナ。いらっしゃい」
「テルザさん。ただいま」
大人気ないと思いつつ、あからさまにお母様のことを無視すると、むっとした顔をされた。
「嫁いだ娘が生家に顔を出すのはあまり感心しないわね。侯爵様にはちゃんと許しを得て来ているのでしょうね?」
「今日は言わずに来ました」
「……何?侯爵様って、放任主義なの?もうそろそろ新婚とは言えなくなっているし、あまり勝手なことをしていたら気持ちが離れていってしまうかもしれないのに」
フェリクス様は放任とは真逆のタイプだと思う。
だけど、私が多少勝手に何かしても、そう簡単にフェリクス様の心が離れることはないと自信を持って言える。
フェリクス様にはお母様のことを言いたくないので、何も言わずに来た。
とはいえ、今日の私の行動はフェリクス様には筒抜けのはず。
昨日お母様が別邸を訪問した理由も知っているはずだけど、それでも私には何も言ってこない。
知らないふりをしてくれるようだし、今日もわざわざ事前に言わなくても察してくれると思う。
「お母様に話があって来たの」
「なぁに?改まって」
「……わからない?」
お母様は私の顔をじっと見た後、閃いたような表情になる。
「わかった!侯爵様に援助の話をしてくれたのね!なんだかんだ言っていたけど、やっぱりセレナは家族思いの優しい子。すぐにお話してくれるなんて」
「違う。フェリクス様は、夜遅くに帰ってきたから。そうでなくても話さないけど。ただでさえ最近遅い日が続いているから煩わせたくないの」
お母様は笑顔を引っ込め、真剣な声色を出した。
「もしかして、すれ違い生活になっているの?旦那様の帰りが遅いときはちゃんと起きて待っているものよ。朝は――」
「そんな話をしに来たんじゃない!だいたい、一度は見限って家を出ていったお母様に、良妻の心得を聞かされても響きません」
昨日からの怒りに任せて冷たく言い放てば、お母様は一瞬傷ついたような顔をして口を引き結ぶ。
顔を背けてしまったお母様に、少し言い過ぎたかと気まずい気持ちになる。
だけど、はっきり言っておかなければいけないことがある。
「今日は、侯爵家にお金を無心に来るのはもうやめてって、言いに来ました」
「無心だなんて――」
お母様が何か言いかけたとき、お兄様が居間に入ってきた。
「セレナ、来てたのか。おかえり」
「うん。ただいま。お兄様、今日はお休みだったのね」
「今日は結婚式の打ち合わせだったんだ」
私にはいつもの優しい笑顔を向けるお兄様。
以前、縁談の申し込みがきたモニカ様と交際を始めたお兄様。
婚約をしないまま交際だけするなんて曖昧な関係で大丈夫かと心配していたけど、結局すぐに婚約をして今は結婚式の準備で大忙しらしい。
私と結婚準備について少し話した後、お兄様はお母様に向き直った。
「母様、さっきの話は本当なの?侯爵家にお金の無心に行ったって」
「…………」
そうだろうと思っていたけど、お母様の行動をお兄様は把握していなかった。
きっとお父様も知らないのだろう。
無言のお母様を見て、呆れたような顔をするお兄様。
「どうしてそんなことを……。あの借金を肩代わりしてくれただけでも感謝すべきなのに。セレナに恥をかかせることになるだろ」
お母様はお兄様に叱られて、少し唇を尖らせながら言い返してきた。
「……借金はセレナとの結婚を引き換えにしたのでしょう?感謝はするけど、出したものが人かお金かの違いだけ。対等じゃないの」
「対等なんかじゃないよ。格からしても、どう考えても大きな差があるだろ」
「いいえ。我が家からはセレナというお金よりももっと価値のあるものを出すことになったのよ。そうよ、むしろ対等なんかじゃなかったわ」
先ほどの態度とは一転したお母様のはっきりとした物言いに、お兄様は口を噤んだ。
昨日から、娘にお金をせびりに来るなんて最悪な母親だと思っていたのに、急に娘を思う母親らしいことを言われると、何も言えなくなる。
――と思ったのも一瞬で、次の言葉を聞いてやっぱり最悪な母親だと感じた。
「だから、もっと援助してもらう権利はあると思うの」
これには普段滅多なことでは怒らないお兄様も顔を顰めた。
「そんな権利ないよ。お金の無心なんてやめてくれ。借金がなくなったおかげで前と変わらないくらいの生活はできているんだから。それで充分じゃないか」
「前と同じじゃだめよ。セレナは優雅に贅沢な暮らしをしているのに」
「セレナは侯爵家に嫁いだんだから、俺たちより良い生活をしているのは当たり前だろ。立場が違うんだ」
「それに、前と同じではアレシュの結婚式代を出すのも難しいじゃない」
これにはお兄様も一瞬黙った。
お兄様の婚約者であるモニカ様はアイゼン伯爵家のご令嬢。
アイゼン伯爵家はヘーゲル子爵家と比べようがない裕福な家で、家柄も良い。
そんな格上のお嬢様を貰い受けるのなら、普通はそれなりの規模の結婚式を盛大に行うことになる。
しかし、我が家にそんなお金はない。
「俺たちの結婚式のことはいいんだよ。彼女が、自分のやりたいように式をしたいから自分がお金を出すって言ってるんだから」
「情けないわね……。もう尻に敷かれているなんて。男なら、好きなようにさせてやるがお金も俺が出すくらいの気概を見せなさいよ」
「ないものは出せない。気概だけで大口を叩いても、できなければただの嘘つきだろ」
「だから、セレナに頼めばいいじゃないの。家族なんだから。あなたの妹なのよ」
「セレナに頼むってことは、フェリクス殿に頼むことになるんだよ?それがどういうことかわかっているの?」
「わかっているわよ。モニカさんとは間もなく家族になるとはいえ、まだ他人。だけど、侯爵様はもう親戚。あなたの義弟なのよ。私の義理の息子でもある。頼って何が悪いの?」
まったく悪びれず、話も通じないお母様の様子に、お兄様も頭を抱えた。
長年一緒に暮らしてきた親子なのに、どうしてこうも価値観が異なるのか……。
この年になって、母親の新しい一面を見るとは思わなかった。
そういえば、恋愛結婚を推奨していると言われているけど、アイゼン伯爵は財務の副大臣。
そんな方がどうしてうちほど貧乏な家との結婚を許したのかと不思議だったけど、初めてモニカ様に会ったときに教えてくれた。
『不正が一切なく、帳簿には正直さが表れている。足るを知っているのだろう。収入に対して夫人の買い物の頻度は気になるが、使える金額から大きく逸脱することはない。他人を当てにしない姿勢に好感が持てる』
と、アイゼン伯爵が言っていたそうだ。
財務に提出する帳簿から人柄や生活まで見られているとは思わなかったけど、見抜かれていると思った。
お父様は昔から、『身の丈にあった暮らしの中に幸せがある。欲を出してはいけない』と言っていた。
昔から商売が下手なのか、時々の当主が欲を出すごとにヘーゲル子爵家は貧しくなっていった。それは子爵家歴史録に記されている。
身の丈に合った暮らしをしようとしているだけなのに、失敗するのがヘーゲル子爵家なのだ。もちろん、お父様も例外に漏れず。




