17
久しぶりにフェリクス様と二人でベッドに入ってしばらくすると、微かな音や気配で私はうっすらと目を覚ました。
隣にフェリクス様の姿がなく、居室のほうから声が聞こえる。
ベッドから降りて居室を覗くと、フェリクス様がセリオや執事を呼んで話をしていた。メイドも何人か来ている。
「フェリクス様?」
「あ、起こしてしまったか」
「何かあったのですか?」
「ロイの気配が屋敷の中から消えたんだ」
「えっ!」
元々別邸にも最低限の結界は張られていたけど、ドゥシャンの事件以降、結界が強化された。
さらに、ロイが来てからは夜間に屋敷の中から外に出た人がいる場合も感知するようにしていたそうだ。
そして、眠っていたフェリクス様が結界の外に出たロイに気づいた。
フェリクス様が気づいてすぐに指示を出し、私も一緒にロイを探し始めたけど一向に見つからない。
まだ小さいのに、こんな夜中に屋敷の外に出るなんて。昼間のことが関係しているとしか考えられない。
(あのとき私が何か声を掛けてあげられていたら……)
そわそわと落ち着かない気持ちでいると、執事が報告しにきた。
「別邸周辺を探しましたが、見当たりませんでした」
「そう。いったいどこへ行ってしまったの……あれからもう一時間は探しているのに」
私が、後はどこを探したらいいのかと考えていると、何やら思案している様子だったフェリクス様が「……あ」と小さく呟いた。
「どうかしましたか?」
「気配を探っていたんだけど、見つけたよ。セレナおいで、こっち」
フェリクス様に手を引かれて連れてこられたのは、庭の奥のほうにある納屋の前だった。
「この中にいるはず。気配を感じたから」
半信半疑で納屋の中に入ってみると、奥のほうで身を縮めるロイを見つけた。
思わず「どうしてこんなことを?」と言いそうになったけど、言葉を飲み込む。
今日の様子を思うと、私が責めるようなことは言えないと思い、努めて明るく声を掛ける。
そぉっと振り返ってこちらの様子を窺ってくるロイに、「心配したんだから」と声を掛けると、堰を切ったように泣き出した――――
泣き疲れて眠ってしまったロイを挟んでフェリクス様と三人でベッドに横になる。
あんなにロイには『このベッドはセレナと俺のベッドだ』と言っていたけど、フェリクス様は泣き疲れて寝てしまったロイを抱き上げるとまっすぐ寝室に行き、ここへ寝かせた。
「それにしても、子供があんな所で隠れたまま暮らしていけるわけがないのに」
「聡くてもまだ子供ですし。ロイなりに一生懸命考えた結果ですから」
ロイを発見した後、フェリクス様は「どうしてこんなことをした?」といつもの調子で聞いてしまった。
すると、ロイは泣きながらも理由を話してくれた。
祖父からは父親だと言われたのにフェリクス様には『父親ではない』と言われたけど、私が庇ってくれたからそのまま屋敷に置いてもらえたから、少し安心していた。
それなのに、今日。
自分のせいで私が悪く言われていることを知った。
私のことを大切にしている様子のフェリクス様は、きっと怒る。
そうなったら自分は捨てられるのだろうと考えた。
もう捨てられるのは嫌だけど、怒られるのも嫌だ。
それならどこかに隠れてこっそり生きようと考えた――と、泣きじゃくりながら話した。
「だけど……今日、私がもっとちゃんとロイに寄り添ってあげられたら、何か声をかけていたら、ここまで傷つけずに済んだのに」
「セレナのせいじゃない。元凶は祖父のヘンウッド男爵だ」
ロイが泣きながら話してくれた中に、祖父から『これからは父親であるフェリクス殿の屋敷で暮らすんだ。いいか?良い子にして気に入られるのだぞ。そうしたらいずれテレーザともまた暮らせるようになる』と言われて置き去りにされたと言っていて、胸が締め付けられる思いがした。
自分の孫に、なんて残酷なことを言うんだろうか……と。
だけど、今日まで何度もロイの不安を感じてきた。ロイの不安をすくい取って寄り添ってあげられる機会はいくらでもあった。
それなのに私は、自分だけがフェリクス様から求められて大切にされているから大丈夫と安心して、自分のことばかりで、まるでロイの気持ちは考えられていなかった。
こんな小さな子供に、夜中に家出をさせてしまったのは、私にも原因があるのではないかと思ってしまう。
「セレナ。セレナのせいじゃないからね」
「……はい」
「きっともうすぐ終わる。今回は少し調べるのに時間が掛かってしまったけど、終わらせるから」
そう言うと、フェリクス様はあっという間に眠ってしまった。
今日は折角早めに帰宅して久々にゆっくり休めるはずだったのに、こんなことになってしまって。
私がもっと上手く立ち回れていたら……と思ってしまう。
◇
フェリクス様が『終わらせる』と言っていた通り、数日後には別邸にロイの祖父であるヘンウット男爵を呼んだ。
男爵はフェリクス様がロイを正式に実子として認めて受け入れることにしたと信じているのだろう。
足取りから意気揚々としているのが伝わってくる。
そして、自分の娘がフェリクス様と結婚できると思っているのか、私には横柄な態度だった。
「夫人」
「はい」
「この歴史あるハーディング侯爵家には跡取りが必要でしょう。孫が正式に実子と認められたら、侯爵家の跡取りとなる。私の娘が妻となればもっと子供を授かることができるでしょう。そうなれば侯爵家は安泰だ」
ヘンウット男爵はロイの認知だけでなく、その母親まで迎え入れろと言うのか。
この国は一夫一妻制。さらに、この国の貴族は実子の跡継ぎを重要視する傾向が強いので、子供を授からずに離縁したという話は珍しくない。
「夫人は子供ができないようですね」
「っ……」
私が最近少しだけ気にしだしていたことを突かれた。
フェリクス様と結婚して、あっという間に丸一年経った。
まだ二年目だし深刻に悩んでいるわけではなかったけど、ちらりと考えることもある。
それが初対面の赤の他人に指摘されるとは思わなかった。
毅然とした態度でいなければならないのに、俯き加減になってしまう。
「私の娘なら子供が産める。それは孫が証明していますよ」
私が俯くと一層居丈高に話す男爵。
フェリクス様が私の手をしっかりと握り、怒りに満ちた声を出す。
「妻を侮辱するな。子供ができないのではなく、できないようにしているのだ」
「なぜそのようなことを?貴族夫人の大切な仕事ですぞ。ハーディング侯爵家のような大貴族なら、なおさらでしょう。そんな嘘を吐いてまで、子供ができないことを隠さなくとも――」
「夫婦二人の時間を大切にしたいからに決まっているだろう。自分のものさしで人をはかるな」
ヘンウット男爵はフェリクス様の言葉を受けて、わけがわからないという表情をしていた。
程なくして、ロイの母親であるテレーザさんがマルセロに連れられて別邸にやってきた。
テレーザさん到着の知らせを受けて、ロイも応接室に呼ぶ。
テレーザさんが応接室に来るよりもロイのほうが先に応接室に来たのだけど、ロイは祖父がいることに気づくと私の影に隠れるような行動をした。
ロイは祖父に怯えているのだと理解した途端、怒りが込み上げてくる。
ロイが祖父を恐れる理由は、酷い扱いを受けたからに違いない。
私がロイを守るように抱き寄せたそのとき、一人の女性とマルセロが応接室に入ってきた。




