16
店員に見送られながら香油店の外に出たとき、斜向かいにあるカフェが目に入った。
香油店では大人しく良い子にしていたロイ。
おやつの時間だったのに中断して外出したから、ロイはおやつが途中だったはず。帰ったらきっともう片付けられているだろう。
「ねぇ、ロイ。カフェでケーキを食べて帰りましょうか?お店で良い子にしていたご褒美に」
「うん!」
「それじゃあ行きましょう」
ロイと手を繋いでカフェに入ると、ケーキのショーケースが目に入る。
フルーツのタルトが一推しの店らしく、華やかで目を引く。
ロイもすぐにショーケースに張り付いていた。
「美味しい?」
「うん!」
「よかった」
フルーツタルトをニコニコしながら頬張るロイを微笑ましく見ていると、貴族のご婦人方がカフェの中に入ってきた。
そして――――
「まあ!ご覧になって」
「……噂は本当だったのね」
「ええ。フェリクス様にそっくりじゃない」
「それにしても凄いわね。私だったら、他の女の子供をそんな簡単に受け入れることはできないわ」
一人が扇子を広げて内緒話をするかのように、もう一人の婦人に話している。
仕草は内緒話をするような形を取っているけど、その声は大きい。
「私も無理よ。だって、どこの女の子供かわからない者を家に入れるなんて。だけどほら、ご実家は没落貴族だったから、その辺の矜持が低いのではないかしら?きっと」
「ああ、そうね。でも、それであのフェリクス様と結婚できるのなら、素性の知れない隠し子くらい我慢できるかもしれないわ」
「嫌だわ。ふふふ。でも謎が解けたわね。子供を迎え入れることを視野に入れていたから、後々文句を言わせないためにあれほどの格下と結婚したのだわ」
「フェリクス様となら子供がいても結婚したいってご令嬢は他にもいたでしょうに。あそこまで……ねぇ?」
「やだわ、聞こえちゃうわよ」
どうして、こういう悪口というのはよく耳に届くのだろう。
淑女って、大きな声を出すのははしたないとされているのではなかった?
しかも、人がたくさんいるこんな場所で品がない。
不快に思っていると、先ほどまで嬉しそうにタルトを頬張っていたロイの手が止まっていることに気づいた。
私に聞こえていたくらいだから、ロイにも聞こえていて自分や私のことを話しているとわかったのかもしれない。
口の端についていたクリームを拭ってやると、ハッとしてロイが私のほうを見てきた。
「もうお腹いっぱいになってしまった?」
笑顔で問い掛けると、ロイは緩く首を振った。
「それじゃあ、残さず食べましょうね」
「うん……」
私に促されて、ロイはもそもそとタルトを口に運んだ。
カフェを出るとき、こんな子供に居心地の悪い思いをさせるなんて許せないと思った私は、まだ大きな声で噂話をしているご婦人方にあえてじろりと視線を送った。
私の視線を受けたご婦人方はわざとらしく咳払いをしてから視線を逸らす。
諍いに慣れていない私にしては、じろりと見るだけでも頑張ったほう。
婦人方の反応に、勝った気がして少しすっきりした。
しかし、ロイはあれからずっと大人しい。
なんと声を掛けたらいいのか迷った私は、馬車の中で隣に座るロイと黙って手を繋いだ。
すると、ロイが私の顔を見て口を開く。
「ロイがいるからわるぐちをいわれたの?」
「そんなことないわ」
「でも……」
「ロイのせいではないから大丈夫」
しょんぼりしているロイを抱きしめる。
いつもは腕を回して抱きしめ返してくれるけど、今回はただ身を任せているだけだった。
こういうとき、なんて言うのが正しいのだろう。
言い方次第では、私の言葉も悪口のようになってしまうし、子供の前で一方をあげるためにもう一方を下げる言い方は避けたい。
そして、私にはまだ事実がどこにあるのかわかっていないから、なんと言うべきか迷う。
結局、ロイに声を掛けてあげることができないまま、別邸に戻ってきた。
◇
「セレナ。ただいま」
「フェリクス様。おかえりなさい。今日は早かったんですね」
「うん。どうせもうしばらくかかるから、今日は切り上げてきた。ロイは?」
「もう寝ちゃいました」
私の言葉を受けて、フェリクス様はすぐに寝室を覗いた。
「あれ?いないよ。もしかして、自分の部屋で寝たの?」
「はい」
「そうか。やっと理解したか。ようやくセレナと二人で眠れる。ね?」
夫婦の寝室にロイがいないとわかると、フェリクス様はすぐに嬉しそうに私を抱き寄せた。
耳元で「ね?」と誘うように言われたが、今の私はフェリクス様に応える気分ではなかった。
「フェリクス様。実は……」
「ん?どうしたの?」
私の真剣な様子に、フェリクス様も聞く態勢になってくれたので昼間のことを話した。
そして、別邸に戻ってからもロイは元気のない様子で、夕食を食べた後は初めて自主的に自分の部屋に戻っていったことを話す。
「ロイは聡い子なので、私が悪く言われていることも、そうなったのは自分がきっかけであることもわかっているようでした……」
フェリクス様は静かに相槌を打ちながら聞いてくれた。




