13
ロイが来てからというもの、フェリクス様はいつになく忙しそうにしている。
マルセロやセリオが何かを報告しにくる頻度も高くなっている。
てっきり、春の休暇中に対応した領地の後処理などだと思い込んでいた。
だけど、今ごろ本気でロイが自分の子供なのかどうかを調べているのだとしたら……。
つい先ほどまでは、フェリクス様を信じる気持ちが強くて、ロイはフェリクス様の子供ではないと思っていたのに。
アルマから噂話を聞いて、急に不安になってきた。
「――それじゃあ、そろそろおいとましようかしら。急にお邪魔して悪かったわね」
「ううん。心配してくれてありがとう。会えて嬉しかった。またいつでも遊びに来てね」
「えぇ。また寄らせてもらうわ。……セレナ」
一歩踏み出したアルマが立ち止まり、振り返る。
そして、少し逡巡してから口を開いた。
「……もしもの話だけどね。セレナが、もしも居た堪れないと思ったら、いつでも私のところに来てちょうだい」
アルマの真剣な表情から、本当に私のことを心配してくれているのが伝わってくる。
「ありがとう、アルマ……」
心がざわめいて漠然と不安が増している。
だけど、ロイが本当にフェリクス様の子供だとしても私と結婚する前の話。
いまさら嫌だと言ったところでその事実が消えてなくなるわけではない。
簡単に折り合いを付けて受け入れることは難しいだろうけど、心積りはしておくべきか……。
「それにしても、来たときにも思ったけど、廊下に写画を飾ってあるって素敵ね」
「フェリクス様が画廊のようにしようって」
「いいわね。あら。この制服姿、懐かしい」
廊下に出たら、アルマが廊下の写画に目を留めた。
フェリクス様との写画はあれから少し増えた。
ちなみに、ここはお客様の目に触れる場所なので、私の引き伸ばされた大きな写画は撤去してもらった。
とはいえ、仕舞ってくれたわけではなく、フェリクス様の書斎に移されて、ここには通常サイズのほうが飾られている。
「実家から持ってきたのね」
「えっ?どうして?」
「え?少し色褪せているから。ずっと飾ってあったものを持ってきたのかと思って」
「あ、うん。そう……」
飾っていた写画なのは間違いない。
飾られていた場所が私の実家ではないけど。
(そうだ。この写画……)
アルマが言ったように、色褪せるほど長い年月飾られていた写画。
それはフェリクス様から想われてきた年月を証明している。
それに、日頃の言動もそうだし、部屋に鍵を掛けてまであんなに大きく引き伸ばした写画を飾るような人が、私以外と……とは少し考えにくい。
フェリクス様の魔力が解放されたことも、私への気持ちを証明してくれているではないか。
「あっ。これって、もしかして侯爵家の家族写画?」
他の写画も見ていたアルマが、一枚の写画に目を止めた。
若いころのお義父様とお義母様、そしてまだ幼さの残るフェリクス様と元気いっぱいの様子のヘラルド様が写った幸せそうな家族写画。
私が本邸から貰ってきた一枚。
「幸せそうで素敵な写画ね。フェリクス様のお母様って本当に美人だったのね。フェリクス様とそっくり」
アルマもあまりの美しさに感心したようにしげしげと眺めていた。
そして、幼いフェリクス様に目を向ける。
表情を硬くして見ているアルマが今、何を思っているかわかった私は口を開いた。
「やっぱり似ているように見えるわよね」
「……えぇ」
物言いたげに私の顔を見てくるアルマ。
「大丈夫。私はフェリクス様のことを信じているから」
一度芽生えた不安が完全に拭えたわけではない。
自分に言い聞かせるためにも、大丈夫と言った自覚はある。
私の目をじっと見てきたアルマは、わざとらしいくらいに息を吐いて笑った。
「元々、見た目よりも逞しい子だと思っていたけど、強いわね。セレナは」
「えっ?やだ、そんなふうに思われていたの?逞しいって」
「だって、案外へこたれないじゃない。おじ様の借金が発覚したときも、絶望するのではなくどうするべきかを真っ先に考えていたわよね」
「それは、だって。嘆いていてもお父様が作った借金が減るわけではないから。どうにかしなくちゃいけないじゃない」
時間が解決してくれることなら、私だって嘆いて憂いて鬱々と過ごしていたと思う。
だけどそうではないなら、早く解決方法を模索しなければいつまで経っても苦しい状況から抜け出せない。
悪ければ悪化することもある。
お金関係は特にそうだと貧乏子爵家で育った私はよく知っている。
「そういうところよ。でも、今回の場合は違うわね」
「ん?」
「どんと構えていられるくらい愛されている自信があるのね。だから信じると言い切れるのだわ」
(あぁ、そうか……)
ロイとフェリクス様は似ているのに、どこかピンと来ない理由がわかった気がした。
フェリクス様が愛しているのは私だけだという自信があるんだ。
フェリクス様がロイと接している様子を見て、『フェリクス様は子供にこんなふうに接するのか』と擬似親子体験かのように考える余裕があるのも、愛されている自信があるからなのだろう。