12
ロイと窓際で庭を見ていると、珍しく別邸のアプローチに侯爵家のものではない馬車が入ってくるのが見えた。
お客様が来る予定はなかったはずと思っていたら、私の学生時代からの親友であるアルマが訪ねてきたと執事に呼ばれた。
気の置けない友人のアルマとは、結婚前は先触れもなく屋敷を訪ね合うこともあったけど、突然の訪問は久しぶりだった。
「アルマ!いらっしゃい!あっ、レイヤちゃんも一緒なのね」
「セレナ、久しぶりね。えぇ、娘も連れてきちゃった」
「今日はどうしたの?嬉しいけど」
玄関先で久しぶりの再会を喜び合っていたが、アルマは少し気まずげな表情をした。
「少しね……。元気そうね」
「うん。とりあえず入って。今日はゆっくりしていけるの?」
「えぇ。乳母も連れてきているから」
アルマにはレイヤという娘が生まれたのだけど、出産後に貰った手紙には育児を頑張っているが予想以上に大変だと書かれていた。
急な訪問といい、はっきりしない態度といい、何かあったのだろうか。
応接室に案内しながらアルマのほうを見ると、アルマの視線は私を通り越して廊下の先を見ていた。
ロイが廊下の先でこちらを窺っていたのだ。
目が合った私が「ロイ」と声を掛けて手招きすると、少しもじもじしながらロイは私の下にやってくる。
「アルマ、この子はロイ。ちょっと事情があって預かっているの。ロイ、彼女は私のお友達なのよ」
「そう……」
ロイのことを紹介しても、いつになく口数が少ないアルマ。
なんだか深刻そうな様子のアルマが心配で、私はロイに部屋で待っているように言った。
ロイが私たちの前に現れて早五日。
初めは私やフェリクス様にべったりだったロイも、少し落ち着いてきたのか聞き分けてくれるようになってきた。
「アルマは元気にしていた?」
「ええ。私は元気よ。育児は大変だけど。夫や義母の言う通り、乳母を雇って正解だったわ」
「そう。それなら良かった。育児だって適度に息抜きしないとね」
「ねぇ。セレナ……」
「どうしたの?」
急にアルマの声色が真剣なものへと変わったので首を傾げてしまう。
レイヤちゃんや乳母も応接室へと案内しようと思ったら「ゆっくり話したいから二人には別の部屋を用意してもらえる?」と言われる。
(やっぱり何か悩みがあるのかしら?)と心配したら、逆に心配そうな眼差しを向けられた。
「私は元気だけど、セレナは?大丈夫?」
「大丈夫って?この通り元気だけど」
自分では覚えていないけど、前回の手紙に何か心配されるようなことを書いただろうか?と考えていると、アルマは言いづらそうに口を開いた。
「……まさかとは思っていたけど、さっきの子、本当なの?」
「ロイのこと?本当って?」
「その……、フェリクス様に隠し子がいたって……」
言いづらそうに躊躇いながらもアルマが言う。
その表情から私のことを心配しているのが伝わってくる。
「あぁ。その噂ね。アルマも聞いたのね。そうよね、私よりもアルマのほうがいつだって耳が早かったものね」
それにしても、まだ五日しか経っていないのに、もうそんなに噂が広まっているのか。貴族というのは本当に噂好きだなと思った。
「噂を耳にして、セレナは大丈夫か心配で……居ても立っても居られなくなって来てしまったの」
「そうだったの。ありがとう。この通り、私は大丈夫。ところで、アルマがそんなに心配するなんて、どんな噂なの?」
フェリクス様から、隠し子がいたと噂が流れてしまったことは聞いた。
だけど、フェリクス様からも実際に流れている噂の詳細は聞かされていなかった。聞いてもはぐらかされてしまって。
アルマがこんなに心配してくれるなんて、どんな内容なのか。
暇な貴族たちがきっと面白おかしく話をして、話を膨らませているのだろう。
「どんなって……」
「アルマが言いよどむなんて、そんなに酷い噂なの?」
「知らないならそれでいいのよ」
アルマは「やぶ蛇だったわ」と苦い顔をして呟いていたけど、気になった私は聞かせてほしいとお願いした。
だって、噂を聞いてすぐにアルマが来てくれるくらいの噂ということだし、どんな噂なのか気になってしまう。
下手に誰かから悪意を持って聞かされるよりも、心配してくれるアルマから聞きたいと思った。
「お節介だった」と逃れようとしたアルマにしつこく食い下がると、言葉を選びながら噂を教えてくれた。
まずは、フェリクス様に隠し子がいたというもの。
それから、ロイの母親のことも。
アルマの話によると、フェリクス様には、一度だけ噂になった令嬢がいた。フェリクス様が結婚前に女性と噂になったのは、この令嬢ただ一人だとか。
何年も前のことで世間的にも忘れられていた噂だったけど、子供の祖父を名乗る男性が噂になった令嬢の名前を出したら、フェリクス様も反応を示した。
それで、フェリクス様は身ごもった家格の低い彼女を捨てたのだろう。いやいや、唯一噂になった相手だし結婚する前に子供ができるくらいだから本当は添い遂げたかったはずだ。そもそも、彼女は妊娠に気づいて身分差から身を引いたのでは?と噂が一人歩きし出した。
彼女の美しき献身愛の噂から、フェリクス様は今になって子供がいたと知って、妻と離婚準備を進めているのではないか。離婚でき次第、元サヤに戻る予定らしい。と、言われ始めているそうだ。
詳細は教えてくれなかったけど、私を悪者にする噂もあるらしい。
アルマから話を聞いている間、私は針子として城勤めをしていたときのことを思い出していた。
フェリクス様ファンだった同僚のパメラは、フェリクス様の噂をいろいろ話して聞かせてくれた。
当時は住む世界が別の人だと思っていたのもあって、どんな噂があったかほとんど覚えていない。
だけど、その中の一つに、過去の女性関係の噂があった気がしなくもないと思った。
「…………」
「……セレナ、大丈夫?ごめんなさい、やっぱり話すのではなかったわ」
「ううん。教えてくれてありがとう。私は大丈夫。ねぇ、それにしてもレイヤちゃん、少し見ない間に大きくなったわね」
「ええ。本当にあっという間に大きくなるわ」
……フェリクス様と噂になった令嬢というのが、ロイの母親なのは間違いないだろう。
フェリクス様から、私だけとは言われたし、フェリクス様に限って……という思いもあるけれど、ほんの少し不安要素を増幅してしまう理由が思い当たる。
『俺の心はセレナだけ』
心はと強調して言うということは、体は別なのか。
私以外誰もいないという意味に捉えて安心していたけど……。
私は、フェリクス様から『調べたいことがある』と言われて以来、何も報告されていなかった。
調べたいこととは何なのか、進捗状況はどうなっているのか、凄く気にはなる。
だけど、フェリクス様は最近、ふとしたときに深刻そうな表情をしているので、私は聞くことができずにいた。