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 昼間、ヘンウット男爵に呼び止められているとき、周囲に貴族が多くいた。

 このことが噂になってセレナの耳に入れば、俺への不信感や疑惑が芽生えるだろう。

 それに、何よりもセレナを不安にさせてしまう。

 セレナの耳に入る前に、なんとしても決着をつけたいが『娘は健気にも貴方を庇って否定していたが』との発言が引っかかる……。


 ただ、今は社交シーズンではないし、この話がすぐにセレナの耳に入ることはないはずだ。

 今のセレナは外出する頻度がそれほど高くないし、交友関係も広くない。


 セレナは本来、自分の足で買い物に行くのが好きなことはわかっている。

 結婚してすぐのころはよく思い立って街歩きをしていた。

 だが、王宮の夜会で階段から落とされたとき、できるだけ外出は控えてほしいと伝えると、セレナは素直に従ってくれた。

 それ以来、その日の気分でふらりと外出することがなくなった。

 外出時に侍女だけでなく、護衛も連れて行くように伝えたせいもあるだろう。


 セレナは自分の行動によって、使用人に負担がかかることを避けようとする傾向がある。

 俺があのように言えば、セレナはトニアやマルセロに気を遣って、別邸の敷地からなるべく出ないようにするだろうとわかっていた。

 外出自体を禁止にしたわけではないし、好きなように行動させてあげたい気持ちもあるにはあるが……。

 セレナを守るためと言いながら、緩く外界と遮断できていることに、俺は仄暗い喜びを感じている――――


 だから、セレナが接触する人は旧知の仲ばかりで、悪意を持って余計な情報を教える者はいないだろう。

 だが、俺とテレーザ・ヘンウットの間に子供がいたという噂はすでに広がり始めている。

 今すぐということはなくても、いずれはセレナの耳に入るはずだ。

 どうするべきか考えながら別邸に帰宅した途端、マルセロに調べさせていた報告書が届けられた。

 対処すべきことが山積していることに頭痛がする――――



 ◇



 今日もロイが一緒に寝たいと言ったので、私も一緒に横になった。

 フェリクス様が帰ってくるまで起きて待っていると頑張っていたロイだったけど、トニアが用意してくれた絵本を読んであげると、あっという間に静かになった。

 

 規則正しい寝息は眠気を誘う。

 つい、うとうとしてしまったが、ふと居室のほうから物音が聞こえた気がして、ベッドを出た。

 居室に繋がるドアを開けてそっと覗くと、書類を手にフェリクス様はソファに腰掛けて、侍従のセリオから何かの報告を受けていた。

 セリオが出ていくと、フェリクス様がため息を漏らす。


 ドアを大きく開けると、うつむき加減になっていたフェリクス様が顔を上げた。

 目が合うとふわりと微笑んでくれる。

 手に持っていた書類は空間収納魔術を使ったのか、一瞬で消えてしまった。

(魔術を使うなんて珍しい。仕事を持ち帰ってきたとか?)


 フェリクス様はあっという間に私の前に来て、その腕の中に囲われてしまった。


「フェリクス様、おかえりなさい」

「ただいまセレナ。俺のセレナ……」


 私と目が合う直前、微かに眉間にしわが寄っていたし、冷たい目をしていた……。

 結婚前に何度か遠くから見かけていたときの印象のまま、フェリクス様はときどき冷たそうな近寄り難い雰囲気を出す。

 今朝、ロイのことを調べてみると言っていたから、何か悪いことでもあったのだろうか。

 何かわかったか聞くために待っていたけど、今見たフェリクス様の表情や雰囲気から、なんとなく聞きづらくなってしまった。


「遅かったですね」

「ちょっと本邸に寄ってたんだ」

「そうでしたか。……お疲れのようですね」


 見上げたフェリクス様の顔には、珍しく疲労が浮かんでいるように見えて、思わず頬に手を伸ばした。

 それに気づいたフェリクス様は、甘えるように私の手のひらに頬ずりしてくる。


「うん。ちょっとね……」


 フェリクス様は私の前では仕事の話はおろか、『疲れた』とさえほとんど言わないので、珍しいなと思った。


 フェリクス様を見上げてじっと見つめていると、頬ずりしていた私の手のひらに唇を押し当てて「セレナ、癒して」と囁いた。

 そして、腰に回されていた腕に力が入る。

 フェリクス様が甘えてくるのは珍しくないけど、いつもの甘え方とは違っている。

 抱き寄せる腕に逆らわず身を委ねると、今度はおでこ同士を擦り合わせてきた。

 至近距離で視線が交わり、キスの予感に瞳を閉じる。


 しかし、鼻を擦り合わせてくるだけで唇が重ならない。

 いつもなら、おでこを突き合せて目が合えばすぐに唇が重なるのに。


(ん?…………あれ?)

 薄目を開けて確認すると、じーっと見つめてくるフェリクス様と目が合った。


「なっ!?なんで、見て……!」

「……あ、うん。愛しくて」

「恥ずかしいからやめてください」


 どうして急にそんな意地悪をするのか。

 これでは私からキスをねだっているようだ。

 無性に恥ずかしくなって、フェリクス様の腕の中から逃げようと体をひねる。

 すぐに逃がさないとばかりに腕の力が強まった。


「セレナが可愛いからだよ」


 声が笑っている。からかっているのだ。

 だけど、フェリクス様の腕は抜け出せない力強さのまま。


「意味がわかりません」


 腕の中から逃げるのを諦めて体の力は抜いたが、からかわれたことに対抗してプイと顔を背けた。


「ごめんね」


 声が笑っているまま謝られ、むむぅと口を尖らせてしまう。

 機嫌を取るように頭を撫でられた後、優しく顔を上に向かされる。

 今度こそキスの予感に目を瞑ったが、キスはいつものような甘いものではなかった。


(えっ……ちょ……や……なに……?)


 次々と啄むような軽いキスを顔中に降らされ、戸惑った。

 思わず目を開けると、キスするたびにフェリクス様の表情がどんどん優しく甘くなっていく。

 先ほどまでは少し鋭い雰囲気が残っていたけど、すっかりいつも通りのフェリクス様だった。


「ふふふ……」


 じゃれるようなキスに私が笑い声を漏らすと、フェリクス様の笑みも深まる。


「眠れなかったの?起こしちゃった?」


 満足したらしいフェリクス様にソファに誘導される。


「いえ。ようやくロイが寝たので」

「ああ、なるほど。また一緒に寝たいと言ったのか」

「仕方ありません。心細いのだと思います」


 フェリクス様は「昨晩『今夜だけ』と言ったはずなのに」と呟いた。

 けれど、その顔は嫌そうな表情ではなく、仕方がないなと言いたげな優しい顔をしていた。


「昼間も私の側にずっといたがったし、フェリクス様はいつ帰ってくるのか、暗くなったのにどうして帰って来ないのかと何度も……。不安そうにしているのが可哀想で」

「そうか……。今日、ロイの祖父を名乗る男が俺のところに来た。ヘンウットという末端の男爵だ」


 まさか昨日の今日ですぐに相手のほうから接触してくるとは。


「えっと……じゃあ、ロイはもう家に帰ることができるのですか?」

「いや……」


 そう言うと、フェリクス様は黙った。

 視線を下げて何かを考えている様子だったので、次の言葉を待つ。


「……実は、周りに大勢人がいる場所で大きな声でロイのことを話されたんだ」

「それは……」

「そのせいで俺に隠し子がいたと、すでに噂になり始めている」


 ただでさえフェリクス様は何かと社交界で注目を浴びやすいのに、人前でそんな話をされたら、噂で持ちきりになるのは目に見えている。

 噂を大きくして逃げられないようにするのが目的なのだろうけど、そのやり方は気持ちのいいものではない。


「ロイの家が判明したから送り届けることはできるが、ロイを本邸の前に置き去りにしたのは祖父のようだ。……そこが気になっていて」

「それは確かに私も気になっていました」


 本邸の前に置き去りにされていたことや、騒ぎを大きくしようとするやり方に、ロイをただ家に帰すだけでいいのか考えてしまう。


「それと、『貴方はロイの父親なのだから、実子と認めて正式に迎え入れてください』と言われた」

「…………どうするんですか?」

「何度も言うけど、俺にはセレナだけだからね」

「はい」

「ロイの祖父についてはわかったけど、今日はいろいろあってちゃんと調べられていないんだ。もう少し調べたいこともある。時間がかかるかもしれないけど」


 あまりにも真剣な声色だったので静かに頷くと、フェリクス様はそれ以上何も言わなかった。

 


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