08
本邸で夕食を食べ、フェリクス様とロイと三人で別邸に戻ってきた。
夕食までに本来の訪問目的だった領主の仕事をしてくると言うフェリクス様にロイが離れようとせず、少し困っていた。
フェリクス様は冷たく「離れろ」と言っていたけど、ロイの立場からするとフェリクス様は父親なわけだし、今頼れるのは自分の父親だけだから、父親の側にいたいのだろう。真実はどうであれ。
ロイがしつこく食い下がるので、フェリクス様も「勝手にしろ」と諦めたようだった。
そして、三人で別邸に戻ってくると、別邸の使用人たちがザワついた。
声に出す者はいないけど、明らかにフェリクス様の顔とフェリクス様の足元に絡みつくロイの顔を視線が往復していたから、皆が『旦那様の子供!?』と思っただろう。
それでも誰も何も言わず、使用人たちは慌ただしくロイの部屋を用意してくれて、お風呂にも入れてくれた。
私とフェリクス様も湯浴みをして、夫婦の居室でようやく二人になれた。
部屋でほっと一息ついたらロイのことについて話そうと思っていた。
これは何かの間違いだと思っているし、フェリクス様も否定していたから、私は信じる気持ちのほうが強い。
だけど、ロイとフェリクス様の色合いがそっくりだから、ほんの少しだけ、もしも本当にロイがフェリクス様の子供だったら……と考えてしまう。
ロイの年齢からすると、当時フェリクス様は十九歳くらい――そういう相手がいたとしても不思議ではない。
(恋人……?一夜限りの相手もいたのかな……)
フェリクス様の言葉を素直に信じられるようになったのは、言葉だけではなく態度や私に触れる手、表情、声の温度も、その全てでフェリクス様から向けられる想いに嘘はないのだと思わせてくれていたから。
だから、ロイがフェリクス様を最初に『おとうさま』と言ったときに、人違いをしているのだと直感的に断じた。
ちゃんと姿を見て、似ていると思いつつもやっぱりフェリクス様の子供なわけがないと、ロイの言葉が信じられなかった。
だけど、お風呂に入ったりして一人の時間を過ごしていたら冷静になってきて、急にフェリクス様の過去の女性関係が気になり始めた。
私は結婚するまで色恋と縁遠かったというのもあって、心と体は別という可能性を考えたことがなかったというのもある。
直接聞くなら今しかないけど、なかなか聞にくい。
もしも、過去に恋人や一夜限りの相手でもいたなら、ロイがフェリクス様の子供の可能性は捨てきれなくなる。
フェリクス様は自分に子供がいると知らなかっただけ……という可能性もあり得るのではないか。
今のフェリクス様のことは信じているけど、結婚前のことだし……。
どう切り出そうか考えているうちに、ロイが私たちの部屋にやってきた。
ロイの面倒を見てくれていたメイドが一足遅れでやってきて「申し訳ございません。一瞬目を離した隙に……」と謝ってきたけれど、仕方がない。
近くの使っていない部屋のドアが開いていたから、ロイが片っ端から開けてフェリクス様を探したのがわかる。
「ロイ、おとうさまとねたい!」
いきなり知らない場所で一人で寝ろと言われても不安で仕方ないのだろう。
誰か安心できる人の側で――父親であるフェリクス様の側で寝たいと思うのは当然のことだと思う。
しかし、幼子の願いをフェリクス様はすげなく却下した。
「だめだ。貴族の子供なら親とは寝ない。今まではどうしていたんだ?」
「……ひとりでねてた」
ロイは我儘を言っている自覚があるのか、下を向いて答えた。
「なら、一人で寝るんだ。ここは俺とセレナの部屋だ」
「……おとうさまとねたい」
「我儘を言うな。そもそも、俺はお前の父ではない。早く部屋に戻れ」
「おとうさまだもん…………っ……ふえっ……ぅわぁん……」
冷たくフェリクス様に言われても一度は食い下がったロイだったが、どんどん溜まっていく涙がぽろりと決壊した瞬間、大きな声で泣き出してしまった。
頼れるのは父親だけなのに、その人から父親ではないと面と向かって否定されたのだからショックだろうし、混乱して泣いてしまう気持ちはわかる気がする。
「フェリクス様……もう少し優しく言ってあげてください。それに、今夜くらいはいいではありませんか。心細いんですよ、きっと」
「…………」
フェリクス様が何も言わないので肯定と受け止めよう。
「ロイ。一緒に寝ましょうね」
「……っ……いいの?」
私が一緒に寝ようと言うと、ロイは健気にもフェリクス様の様子を窺っていた。
私がフェリクス様をじっと見つめていると、フェリクス様もじっと視線を合わせてから諦めたように息を吐く。
「今夜だけだ」
「ふふっ。さぁ、遅いからもう寝ましょうね。ロイ、ベッドはこっちの部屋よ」
フェリクス様と話をしようかと思っていたけど、今夜は無理そうだ。
さすがに子供の前でする話ではないし。
寝室のベッドにロイと一緒に横になり、布団を掛けてあげていると、追いかけてベッドに入ってきたフェリクス様にコロリと向かい合うように向きを変えられた。
急に向きを変えられたことにびっくりして目をパチパチさせていると、フェリクス様が不満げに言う。
「セレナはこっち。ロイがいても寝るのは俺とだよ」
なんだか子供が二人に増えた気がした。
こんなときにもいつも通りのフェリクス様で呆れてしまうが、どこかほっとした気持ちもあった。
こんな状況でもフェリクス様の中では私が一番なのだと思えるから。
フェリクス様が私を抱き寄せて寝るために腰に手を回そうとしたところで、私とフェリクス様の体の間ににゅっと足が現れた。ロイの足だ。
そして、ぐいぐいと私たちの間に体をねじ込んでくる。
「なっ……なんだ、お前。邪魔だ」
「ロイもおとうさまとねたいっ」
「俺はセレナと寝たいんだ。退け」
「やだっ」
「……なら、そこにいろ。俺が移動する」
そう言って、フェリクス様は逆側に移動してまた私を向き合うようにコロリと転がした。
フェリクス様は「これでよし」と小さく呟いて、すぐに私をギュッと抱き寄せる。
今度は間に入られないようになのか隙間なくきつく抱きしめられた。
随分と大人気ないなと思いつつ、フェリクス様の行動が今は私の心を穏やかにしてくれる。
ベッドの上で立ち上がったロイは、今度は私たちの間に入ることができないと判断したようで、フェリクス様の背中側に移動して行った。
ぎゅっと抱きしめられている私からは見えないけど、フェリクス様が「そんなにくっつくな」と言ったから、ロイはフェリクス様の背中にぴったりくっついているのだろう。
「おとうさま。ロイのほうもみて」
「…………」
「おとうさま」
「…………」
「こっちむいてよぉ……っ……っ……」
フェリクス様が無視しているとロイの声がまた涙声になり、ぐずり始めてしまった。
時間的に眠さもあってぐずりやすくなっているのかもしれない。
「……フェリクス様」
私が声を掛けると、フェリクス様は無言で小さく首を横に振る。
「フェリクス様。ロイのほうを向いてあげてください」
「はぁ……わかった」
渋々といった様子で腕の力を緩めたフェリクス様はロイのほうを向いた。
フェリクス様の腕の中から解放された私は、ベッド上を少し移動する。
今は、私がベッドのど真ん中にいて、そこからフェリクス様とロイがいる状態。
大きなベッドとはいえ、ロイはかなり端っこにいるはずだから、このまま寝たらきっと落ちてしまうだろう。
私が端のほうにずれたことを感じたフェリクス様は、ロイに「こっちにこい」と言って私とフェリクス様の間にロイを寝かせた。
そして、まだぐずぐずしているロイを抱きしめて背中をトントンしてあげていた。思ったよりも優しい手つきで。
そうしているうちに、ロイはあっという間に眠ってしまった。
二人で眠るロイを見ていると、フェリクス様が「どうしてこんなことに……」と疲れた顔をしてぼやく。
(本当にどうしてこんなことになったのか……)
そう思いつつも、私は、私たちの間に子供ができたらもしかしたらこんな感じなのかな――と少し想像してしまった。
結婚して二年目でその兆候はまだないけど。