07
サロンへと移動した我々は、男の子からいろいろ話を聞くことにした。
「お名前は?」
「…………」
私がソファの前で床に膝を突き、目線を合わせ、努めて優しく男の子に名前を聞くが、男の子はプイと顔を背けて答えてくれない。
さっきお義父様にははっきり答えていたけど、人見知りをしているのだろうか。
男の子はずっとフェリクス様にくっついて離れようとしない。
まるで親の影に隠れるシャイな子供のようで、二人は本当に親子のように見える。フェリクス様は迷惑そうな顔をしているけど。
「坊や、自分の名前は言えるかい?」
「ロイ」
お義父様がソファに腰掛けたまま普通に名前を聞くと、男の子はすぐに答えた。
(えっ、もしかして……私、嫌われている?)
自分では子供に嫌われるタイプではないと思っていたので、結構ショックだ。
しかも、フェリクス様の前でこんなに露骨に避けられるなんて……。
私が内心ショックを受けていることに気づいていないのか、フェリクス様は膝を突いたままの私を立ち上がらせて自分の隣に座らせた。
当たり前のように私の手を握ってから、逆側にくっついている男の子に話し掛ける。
「どこから来たんだ?」
「ばしゃにのってきた」
「どこから来たのか、と聞いているんだ」
「ばしゃで……」
「馬車に乗って来たのね。馬車に乗る前はどこにいたかわかる?」
「…………」
フェリクス様が大人に話すのと変わらない話し方なので、私が身を乗り出して優しく聞いてみたけど、やっぱり私が聞くとフェリクス様に隠れるようにして私のことは無視。
(どうしてなの……?)
子供に嫌われるって、案外心をえぐられる。
「セレナちゃんは子供に好かれるタイプかと思っていたけど、難しいねぇ」
お義父様にも指摘されて、泣きそうな気分だ。
「セレナ、大丈夫。俺はセレナのことが大好きだよ」
「……ありがとうございます」
私には甘い声を出して優しく微笑んでくれるフェリクス様。
でも、予想外についたこの傷はそれでは埋まりそうにない。
「それにしても困ったねぇ。名前だけではどこの子供かわからないな。服装を見る限り平民ではなさそうだけど。かといって、リックが本当に父親だとは思えないしねぇ」
「当たり前です」
お義父様は子供の父親がフェリクス様ではないと信じているようだ。
突然のことでまだ事の重大さがわかっていないけど、フェリクス様の態度を見る限り、違うという自信がありそう。
私も到底信じられないし、間違いであってほしいと思う。
「おとうさまでまちがいないよ!」
この子はフェリクス様の子供ではないという雰囲気で皆納得しているのを察知したのか、ロイは大きな声で主張する。
「どうしてそう思うんだい?」
「だって、あそこでまってたら、おとうさまがむかえにきてくれるっていってた。ほんとうにきてくれたもん!」
ロイの発言を聞いたフェリクス様は眉根を寄せた。
「誰がそんなことを言ったんだ?」
「おじいさま。それに、おかあさまがいってたもん。おとうさまはすっごくかっこうよくって、せもたかくって、すてきだって。かもくで、あたまがよくって、みんなからそんけーされてるって。それに、まじゅちゅもつかえるっていってた!」
ロイは父親の自慢をするかのように誇らしげに語ってくれた。
「魔術……やはり父上の子では?」
「私ではないよ。絶対。今の話ならリックも該当するだろ」
「それこそ、俺ではありません」
再びフェリクス様とお義父様でなすりつけ合いをしていると、ロイはフェリクス様が父親で間違いないと何度目かの主張をする。
「うそじゃないよ!おとうさまとはわけあってはなれてくらさなきゃいけないって、おかあさまいってたけど……。あっ。おしろですごいおしごとしてるって」
そんなはずないと思うのに、聞けば聞くほどフェリクス様かお義父様のどちらかが父親のように聞こえてくる。
二人は有り得ないと言うけれど、ヘラルド様の子供という可能性も捨てきれない……。
「あっ。おじいさまがおとうさまのなまえはフェリクスっていってたよ!ぼくとおなじいろをしてるって!だからまちがいないよ!」
本当にハーディング侯爵家の誰かの子供なのだろうかと思い始めたとき、フェリクス様の名前が出される。
(名前まで一致してるなんて……)
ロイの口から父親の名前が出た瞬間、フェリクス様は心底鬱陶しそうな顔をした。
「はぁ。くだらない。ここで話を聞いていても無駄です。今からでも騎士団へ届けましょう」
フェリクス様は「立て。騎士団へ行く」と言ってロイを立たせた。
「やっ……やだ!やだっ!ぼくすてられるの?もうやだよぉ……ぅ……うわあぁぁん……っ……」
抵抗するように手をばたつかせながら、すぐに泣き崩れてしまった。
こんな小さな子供の口から、自分が捨てられたと理解している言葉を聞くことになるとは……。
あんな場所に一人でいたということは、そういうことなのだろうと思っていたけど、自分が捨てられたのかもしれないとロイは理解しているのだ。
あの薄暗い中、人が来るのを待っている間は相当に心細かったのだろうと思うと胸が苦しくなる。
「フェリクス様……」
「いや、だめだ。立て」
つい、同情してもう少し優しくしてはとフェリクス様を見るが、フェリクス様はしゃがみ込むロイの腕を持って立たせようとする。
「やっ!やあぁ!やだぁ……!」
「フェリクス様。この子の親が見つかるまで預かってはどうですか?こんなに泣いて、可哀想です……さすがに」
泣き叫ぶようにするロイがあまりに痛ましく、私はフェリクス様を止めた。
ロイが父親の名前はフェリクスだと言ったところで、そんなものはなんとでも言える。
むしろ、誰がなんのためにこんな子供にそんなことを吹き込んだのか……こうなったら、侯爵家としてロイを送り込んできた相手を探すのだろうし、それなら預かってもいいはず。
私の提案に、あれほど私のことを嫌っていたはずのロイが味方を得たように私に縋ってきた。
泣き叫びすぎて、ヒックヒックとしゃくりあげてしまっている。
この子がどこの誰なのかわからないけど、こんな小さな体で一生懸命抵抗する姿は手を差し伸べずにいられない。
ロイを抱きしめてフェリクス様を見上げると、難しい顔をしたフェリクス様と目が合う。
私にはあまり見せない顔をしていた。
「フェリクス様……」
「子供といえども素性のわからない人間を側に置いておくのは危険が伴う。下手に関わらないほうがいい」
「でも、こんなに泣いていて、この子自身が何かするとは思えませんし……騎士団に連れて行くのは今すぐじゃなくても」
フェリクス様の言うことは理解できる。
だけど、この子は恐らく利用されただけで、きっと何か思惑のある大人がいるに決まっている。
ロイの話の中に出てきた、『お祖父様』がきっと何か企んでいるのだろう。
そうでなければ、薄暗くなり始めた時間にぽつんとこんなに小さな子を置き去りにするわけがない。
素性の知れない者を懐に入れるのは危険が伴うとわかっているけど、目の前の子供がしゃくりあげるくらい泣いていたら、優しくしてあげたくなる。
今、手を差し伸べたところで何も解決しないこともわかっている。
それでもこの子の様子を見ていると、たらい回しのように騎士団に連れて行くのは無慈悲に感じてしまう。
私から目を逸らしたフェリクス様は、険しい表情でロイを見下ろして何かを考えているようだった。
すると、私たちの様子に見かねたお義父様が、間に入ってくれた。
「確かにセレナちゃんの言う通り、今すぐに騎士団に連れて行かなくてもいいだろう。この子もまだ混乱しているのだろうし、少し落ち着いてからでも遅くはない。ロイ君、ちょっと手を出してごらん」
お義父様はロイの手を握って何かを感じ取るように、じっとロイを凝視する。
「――――うん。魔力はほぼないし、魔道具も隠し持っていなさそうだ。直接危害を加えてくることはないだろう。今日のところは別邸に連れて行きなさい」
「しかし――」
「……リック。それにね、後ろにいる大人の思惑によっては、騎士団に連れて行かないほうがこちらとしても動きやすい場合もある。そうだろ?」
私やロイには聞かせたくないと思ったのか、お義父様は声を抑えて言った。
敵ならば敢えて手元に置いておくほうが何かと都合がいい――ということ。
お義父様に諭されたフェリクス様は、渋々預かることを了承した。