06
薄暗くなるまでデートを楽しんだ帰り、私たちは本邸へ向かっていた。
フェリクス様が当主としての仕事をするために。
本当なら昨夜、城の帰りに当主の仕事を片付けようと考えていたらしいのだけど、城を出た時間が遅く、当主としての仕事ができなかったらしい。
デートの終わりに申し訳なさそうに言われ、そのまま本邸に向かうことにした。
貴族街の中でも広い敷地を有する本邸。
本邸を囲う長く高い塀沿いに馬車を走らせていると、馬車が急停止した。まだ門の手前なのに。
反動で体が前に飛び出しそうになるが、すぐにフェリクス様の腕が私を守ろうと伸びてきた。
完全に馬車が止まると私の無事を確認してから腕の力を緩める。
「どうしたんだ?」
「申し訳ございません。道に小さな子供がしゃがみ込んでいまして……」
御者台についている小窓から先を見てみると、確かに小さな子供の影が確認できる。
しかし、近くに大人がいる気配はない。
本邸があるのは、貴族街の中でも歴史のある高位貴族が屋敷を構えている地域。
この付近の屋敷に住む子供だとしたら、必ず乳母や使用人が付き添っているはず。
そもそも、こんな時間にこんな場所で付き添いもなく子供が一人だけでいることがあり得ない。
だけど、どう見ても子供は一人でいた。
「迷子でしょうか?」
「どうかな」
フェリクス様も馬車の中から他に誰かいないか確認していた。
「私、ちょっと声を掛けに行ってみます」
「待ってセレナ。子供だからって油断したらだめだ」
すぐに馬車を降りようと、ドアノブに手を掛けた私の手を掴んでフェリクス様が止める。
真剣な表情で行くなと言われた。
「でも、あんなに小さな子供ですし」
「俺が行くからセレナは馬車の中で待っていて」
しゃがみこんでいる子供は見たところまだ四、五歳くらいの男の子に見える。
あんなに小さな子供が何かをするはずなんてないだろう。
本当にフェリクス様は過保護というか、用心深いなぁと思いながら、私は呑気に小窓から様子を見ていた。
小さな子供は声を掛けられて顔を上げると、フェリクス様をじぃっと見つめているようだった。
そして――――
「おとうさま!」
子供らしい声が周囲に響いて、馬車の中まで聞こえてきた。
(今……フェリクス様を見て、お父様と言わなかった?私の聞き間違い?あ。薄暗いし、子供だし、見間違えて人違いをしたのかも)
もう一度馬車の小窓から見てみるが、フェリクス様の足にしがみついている小さな男の子と、自分の足にしがみつく小さな男の子を見下ろすフェリクス様が見える。
男の子はしっかりとフェリクス様の顔を見上げ、もう一度言った。
「おとうさま!あいたかった!」
……聞き間違いではなさそうだ。
私の頭に(隠し子……貴族によくある話……)と思い浮かんだものの、一瞬でフェリクス様に限って有り得ないとも思った。
「人違いだ。放すんだ」
フェリクス様の私以外の誰に対しても同じ平坦な物言いを子供にもしているのが聞こえてきて、馬車の中で悠長に待っている場合ではないと思った。
『放せ』ではなく『放すんだ』と言っているから、多少柔らかく言っているつもりかもしれないけど、子供は怯えてしまうだろう。
予想通り、男の子はおずおずと手を放して後ろに下がった。
「フェリクス様」
私が馬車を降りて声を掛けると、フェリクス様が振り返る。
そこでようやく男の子の顔をちゃんと見ることができた。
「セレナ、危ないから馬車から降りたら――」
「え。フェリクス様に似てる…………?」
男の子の髪も瞳の色もフェリクス様と同じ色合いだった。
薄暗い外で見ているから似て見えるだけだろうか……。
違うといえば、フェリクス様は癖のない髪をしているのに対し、この子供の髪はふわふわとした癖毛というくらい。
顔はそっくりというほどではないけど、写画で見た子供のころのフェリクス様をもっと幼くしたら、こんな感じになりそうという可愛らしい顔立ちをしている。
私が「似ている」と漏らすと、「えっ、待って。違うよ?」とフェリクス様は焦った声を出して取り縋ってきた。
この男の子が誰で、どこから来たのかわからなかったけど、外はもう暗くなっている。
近くに大人は見当たらないし、ひとまず一緒に本邸の中に入ることになった。
本邸の中に入ると、ちょうど廊下を歩いていたらしくお義父さまが直々に出迎えてくれた。
いつも通り柔和な笑顔で出迎えてくれたけど、フェリクス様の足に縋り付く子供に気づくと目を見張る。
「おや?私の孫かな?」
「違いますよ」
「冗談だよ。でも、リックとどことなく似ているね。どこの子だい?」
お義父様は屈んで子供と目線を合わせ、顔をじっくりと見ている。
「さあ?屋敷の門の近くに一人でいたんです。もう暗いし、セレナが一時的にも保護したほうがいいと言うから仕方なく」
フェリクス様の声には、保護は本意ではないと表れていた。
「なるほどね。坊や、どこから来たんだい?」
「……おとうさまにあいにきたの。あそこにいたらあえるって」
男の子はお義父様がじっと見てくるのでフェリクス様の後ろに隠れるようにしつつも、聞かれたことにはちゃんと答えていた。
「お父様に会いに?……この人に?」
「うん」
お義父様がフェリクス様を指さして確認すると、はっきりと頷いた。
男の子の明確な肯定に、立ち上がって今度はフェリクス様をまじまじと見るお義父様。
「やっぱりリックの子供なのかい?色合いがそっくりだし」
「違いますよ。色合いと言うのなら、父上だって同じではありませんか。父上、心当たりはないのですか?怒りませんから正直に言ってください」
フェリクス様が胡乱な目でお義父様を見る。
確かに、お義父様とフェリクス様は、髪と瞳が同じ色をしている。
もしもお義父様の子供だとしたら、お義母様が亡くなる前の話になってしまうが……。
「何を言うか!私は結婚してから妻一筋だよ!?」
「俺だってセレナだけです。結婚するずっと前から」
語気を強め『結婚するずっと前から』を強調するフェリクス様。
二人が言い合っている間、色合いが似ているという理由なら、この家族にはもう一人いるんだけど……と私は考えていた。
「ヘラルド様……?」
ヘラルド様の髪の色はお義母様似だけど、瞳の色はお義父様とフェリクス様と同じ、アイスブルーの瞳を持っている。
髪の色を母親から引き継いでいたなら、ヘラルド様が子供の父親の可能性もあるのでは?
考えていたことが口をついて出てしまったら、言い合っていた二人が一斉に私のほうを向く。
「セレナちゃん、それはないな」
「ヘラルドはない」
二人とも即座に否定してくる。
当然だ。息子や弟を疑われて嫌に決まっている。
「あ、すみません。そうですよね。疑うなんて」
「違うんだよ、セレナ。ヘラルドは……」
「うん。あの子は、女の子に興味がないんだ」
「えっ?あっ!……そうなんですか」
思わぬところで義弟の好みを知ることになるとは思わなかった。
それ自体は個人の自由だと思うけど、思わず、ヘラルド様に恋心を寄せているブランカさんの顔を思い浮かべてしまった。
ヘラルド様情報で何かわかれば報告すると話したけど、さすがにこれは言えない……。
「セレナ。違う、そういう意味じゃない」
「あの子は昔から異性よりも魔術への興味が強くてね。親の私でさえセレナちゃんが今思ったことを考えたことがあるくらいだ。興味を持ち始めたのは最近。リック大好きっ子だったから、リックがセレナちゃんと結婚することを知って、二人の様子を見て、ようやく……ってくらいなんだよ。だから、仮に我が家の誰かの子だとしても、ヘラルドは一番有り得ないんだよ」
そういう意味か……と思っていると、「そもそも、我が家の誰かということ自体、有り得ない話だ」とフェリクス様が吐き捨てるように言った。