02
トニアにはっきりとした説明もしないまま、私はフェリクス様の部屋の前で仁王立ち状態になって、部屋からメイドが出てくるのを待ち構えていた。
トニアは最初こそ不思議そうにしていたけど、今は黙って一緒にドアの前で待機してくれている。
――――…………カチャ……
「きゃっ!お、お、奥様!?」
しばらく待っていると、静かにドアが開いて掃除用具を持ったメイドが出てきた。
フェリクス様の部屋から出てきたのは、この本邸のメイド長。
ドアの目の前に私がいると思っていなかったメイド長は小さく声を出し、驚いた顔をして私を見る。
だけど、私は驚いて閉め忘れたドアの向こうに釘付けになっていた。
斜め後ろに立つトニアが「まあ……」と声を漏らしたので、トニアはフェリクス様の部屋の中を見たことはなかったのだろう。
「あ!お、奥様!これはっ……!」
私の視線の先に気づいたメイド長は、私の視線を遮ろうと私の前に立ちはだかり、何事かを言い募っていた。
「これがフェリクス様の部屋に鍵が掛かっている理由?」
「………………………………はぃ……」
私がメイド長の言い訳を無視して聞くと、メイド長はしばらく視線を彷徨わせた。
しかし、私と目が合うとがくりと項垂れ、葛藤するような沈黙の後、消え入りそうな声で返事をする。
きっとフェリクス様から部屋の中を見られないようにと厳命されていたのだろう。特に私には。
だって、フェリクス様の部屋の中には私の写画が三枚、壁に飾られていたのだ。それも壁紙かと見紛うほどのサイズで。
写画とは、今から十五年ほど前にこの国で発明された魔道具を使って、対象の人の姿をそのまま写し出した紙のことをいう。さらに、写している間の動きも一〇秒程度写し取ることができて、描かれている魔術の印字部分に触れると写している間の動いている姿まで見ることができる画期的な紙。
姿絵よりも精巧で、人をそのまま写し取ることができるその紙は、貴族の間で流行り、定着した。
フェリクス様の部屋には私のそれがあった。
先ほどメイド長が部屋に入る瞬間、微かに見えた気がしたけど、気のせいではなかった……。
王立学校に入学する記念で写したものと、成人して社交界デビューの記念で写したもの。これらは元から私が一人で写っている。
それと、写画が開発されたときに家族で記念として撮りに行ったときの、本来は家族も写っていたはずの一枚。
写画を撮るには専用の魔道具が必要で、その魔道具がとても大きく、扱いも難しいため、魔道具とはいえ一般には普及していない。
誰でも写画を撮るときには写画屋へ行く必要があるし、何よりもその写した紙がそれなりにいい値段がするので、貧乏子爵家の娘だった私の昔の写画はこの三枚しかない。
それがどうしてここにあるのか……。
◇
フェリクス様の部屋にある私の写画は、実家にあるはずのものよりもずいぶんと大きなサイズに引き伸ばされ、立派な額縁に入れられて壁に掛けられている。
三枚並べると壁の一面を覆い隠しそうなほどの大きさ。
今よりも若くて大きな自分を見ていると、入口のほうからバサッと書類を落としたような音がした。
入口を見てみると、フェリクス様が書類を落としたまま立ちすくんでいた。
「…………セレナ……なんで…………」
フェリクス様の声はとても小さくて消え入りそうだったけど、焦燥感に駆られているのが伝わってきた。
私が部屋に勝手に入ったことよりも、きっと秘密を知られてしまったという焦りだろう。
「フェリクス様、ごめんなさい」
「なっ、なにが?何に対して謝っているの!?俺は別れないよ!」
「勝手に部屋に入って、ごめんなさい」
「え?あ。あ、うん。………………どうして、ここに?」
わかりやすく取り乱していたフェリクス様だったけど、私の言葉に一瞬面食らったようだった。
混乱していたフェリクス様は、私の顔を見て少し冷静さを取り戻した。
「偶然、メイド長が掃除するために部屋に入る瞬間に中が見えて。あっ。彼女は何も悪くありませんから、絶対に罰しないでくださいね」
あの瞬間、私は窓の外の景色に気を取られて、敷き詰められた絨毯にヒールを引っ掛けてしまった。
転ばなかったけどバランスを崩したことで、普通に歩いているだけでは見えない角度から部屋の中が見えたのだ。
「ところで、フェリクス様。これ、どうして?」
「…………」
「…………」
黙るフェリクス様。
私も無言で、まだ少女だった私を指差し続けた。
そのまま、じっとフェリクス様を見つめ続けていると、フェリクス様は明後日の方向を見ながらごにょごにょと答えた。
「そ、それは……その……写画屋から買った……」
「どうやって?」
「……裏から……金を積んで……」
やはりそうか。
もしかしたら、結婚後にフェリクス様から頼まれてお父様かお兄様が渡した可能性も考えたけど、あの二人はそもそもどこに仕舞ってあるのかさえわかってなさそうだ。
それに、写画の色褪せ具合から、最近新しく飾ったようには見えない。
となると、入手経路は写画屋しかない。
写画屋では、普通は自分や家族が写されたものしか買わない。……はず。
だけど、希望したら後からでも同じ写画を欲しい枚数だけ買うことはできる。
ということは、他人だろうと後から欲しいと言えば入手することも不可能ではない。
しかし、本人の知らないところで買う人はいないだろう。
そもそも他人がお金を積んだからといって、真っ当な店なら売らないのではないか。
渡す写画屋は信用できないし、本人の了承もなしに買うほうもどうかと思う。
お金を積んで――という言い方をしたということは、悪いことだと自覚しているのだろう。
実際、フェリクス様は先ほどからしどろもどろで視線も泳ぎまくっている。
心なしか顔色も悪い。
(こんなにわかりやすく動揺しているフェリクス様を見たのは初めてかも)
「フェリクス様」
「ごめん!どうしても、セレナの姿を見たかったんだ。会いに行こうとしたけど会えないし、遠くから見るにも限界があったし、我慢できなくて。無理に姿を見に行こうとするより迷惑も掛けないかと思って。最初に二枚手に入れたら、セレナのあまりの可愛さにもっと好きになったし、もう一枚も欲しいと思って……本当にごめん!なんでもするから許してほしい!」
私がわざと少し低い声を出すと、フェリクス様は泣きそうな顔で謝ってきた。
怒濤のように言い訳が早口で紡がれていく。
その様子に、先ほどまでは少しくらい叱るべきか……と考えていたけど、消えてしまった。
そして、私の中に残った気持ちは――――
「……ずるいです」
「――――え?」
「だって、フェリクス様は私の昔の写画を持っているのに、私はフェリクス様の子供のころの写画を一枚も持っていないんですよ」
「…………そうだね……?」
「私もフェリクス様の子供のころの写画が欲しいです」
「セレナ?……嫌じゃないの?」
普通ならここは恐怖を覚えて気持ち悪がるところだろう。
愛する人が実はこんなことをしていたと後から知ったら、百年の恋も冷めかねない。
だけど、結婚してから私は、フェリクス様の思考にずいぶんと洗脳されてきたらしい。
自分でも不思議だけど、フェリクス様に対して気持ち悪いという感情は湧き上がってこなかった。
これが別の人なら恐怖に慄き、気持ち悪くて寒気や吐き気がするはずだけど。
どうしてここに私の写画が?なぜ?とは思ったけど、それも一瞬のことだった。
これはフェリクス様が愛でるためにあるのだろうとすぐに理解したし、少し恥ずかしいけどずっと愛でられていたことがくすぐったく感じた。
そして、私もフェリクス様の写画が見たい。私もフェリクス様の昔の姿を愛でたいと思ってしまった。
少し困惑気味のフェリクス様の表情を見ていると、可笑しくなってくる。
こんなことをしておきながら、ちゃんとこれが気持ち悪がられ、嫌われかねない行為だと理解しているらしい。
だからこそ、部屋に鍵を掛けていたのだろうけど。
本邸に住んでいないとはいえ、結婚していつ私に見つかるかわからないのだから、外して隠しておけばいいものを。
「ふふっ……はい。フェリクス様なら嫌ではありません。ずっと見られていたのだと思うと恥ずかしいですけど」
「っ!セレナ!」
抱きついてきたフェリクス様を受け止めて、私もフェリクス様の写画を部屋に飾りたいと言うと、フェリクス様は引いた。
「えっ、俺の写画を?どこに?」
「いつも見られる場所がいいので、夫婦の居室とか」
明らかに嫌そうな表情をしている。
自分は隠れて飾っていたのに。
しかも、壁にある大きなサイズの他に、まったく同じ通常サイズの写画が小さな額縁に入れられて机の上にも飾られていた。
私の写画は三種六枚も飾っておいて、なぜそんなに嫌そうな顔をするのか。
「えっ……ずっと見えるところに自分の写画を?」
「だめですか?」
「セレナと一緒のならまだいいけど、俺だけが写っているのを飾るの?」
「はい。フェリクス様はこんな大きな私の写画を部屋に飾っているのに、だめなんですか?」
「うっ。……わかった」
その後、本邸にある一室に案内されると、そこにはたくさんの家族写画が飾られていた。
侯爵家と貧乏子爵家との違いを、こんなところでも感じることになるとは――――
メイド長が出してくれたフェリクス様の写画は大量にあった。
フェリクス様のお母様が肖像画を描かせたり、写画を撮ったりするのが好きだったらしく、記念日以外でも定期的に撮っていたらしい。
フェリクス様は、子供のころからすでに美しかった。
だけど子供のころのフェリクス様は今以上に表情が乏しく、以前お義父様から聞いた話や総会での親戚の態度が思い出された。
写画で見ることができるたった一〇秒程度の動きを見てもわかるくらいで、少し胸が痛んだ。
「んー……迷うけど、これにします。このフェリクス様が一番可愛い。この途中ではにかんだ笑顔が可愛い」
こうして、私のお気に入りの一枚を選んだ。
「ねぇ、セレナ。昔の写画を飾るのもいいんだけど、今度また夫婦の写画を撮りに行こうか」
「あ、そうですね」
私たちは結婚式の衣装姿で記念として写画を一枚撮った。
その記念の写画は、別邸に飾られている。もちろん、なかなかのサイズで……。
だけど、フェリクス様の子供のころの写画のように、なんでもない日の写画があってもいいだろう。
毎年撮って飾るのもいいかもしれない。
それらを飾っていって、家族が増えていく様子や年老いていく様子が見て取れるように。
そして、この年にはこんなことがあったねと、二人で話をしよう。
「これからはたくさん撮って飾りたいです」
「そうだ、専用の写画室を作らせようか。技術士も雇って。そうしたら、いつでも好きなときに撮れるし、いくらでも愛しいセレナを記録できる」
「えっ」
「良い案だろ?」
写画一枚でさえそれなりの値段なのに、写画室を作って技術士を雇うって……。いくら掛かるのか想像すらつかない。
専用の部屋を持っているなんて、成金貴族からでさえ聞いたことがない。
名案だと自信ありげにこちらを見てくるフェリクス様。
本当に作りそうで怖い。絶対に阻止しなければ。
「……写画屋へ行くのもデートみたいで楽しいですよ」
「確かに。そうだな。何度でもデートしたいし、迷うな。でも、屋敷にあってもデートで外に撮りに行ってもいいよね」
「……デートに誘う口実になるので、屋敷に写画室はいらないかなって思います」
「!もしかして、セレナからデートに誘ってくれるの?楽しみだ。俺からも『写画屋へ行こう』って誘っていい?」
「はい。嬉しいです。だから、写画は写画屋で撮りましょう?」
なんとか写画室を作ることを阻止できた。
この後、仕事に戻ったフェリクス様は翌日の朝方まで仕事をし、少しだけ仮眠を取った後、私を写画屋へ誘った。
そして、休暇後に二人で別邸へと戻ると、撮ったばかりの写画と共に本邸のフェリクス様の部屋にあった私の大きな写画が、別邸の廊下にすでに飾られていた。
結婚式のときに撮ったものもここに移されていた。
そのため、本邸から持ち帰ったフェリクス様の写画もこの廊下に飾ってもらった。
「この廊下に写画を飾っていって画廊のようにしようと思うんだ」
「素敵です」
「気に入ってくれた?」
「はい。良い案だと思います」
二人で廊下の写画を見ているとフェリクス様が『この廊下いっぱいにセレナの写画で埋め尽くしたい』と、ぼそっと言っていたのは空耳だと思いたい。