俺だけに見せてくれる姿
電子書籍3巻配信記念。
フェリクス視点で、第一章と第二章の間くらいの時期のお話です。
セレナが別邸に戻ってきてくれて少し経ったある朝、セレナ宛に学生時代の友人から結婚式の招待状が届いた。
俺の執務室へ執事が手紙類を届けに来た際、全てを渡してくるのではなく必ず何通か残されている。
執事の手元に視線をやると、執事は「こちらは処分しておきます」と言って、何通あるかわかるように広げて見せる。
以前から交流がないのに誘いの手紙を送ってくる者は多い。
それが結婚後、今まで以上に夜会や茶会の招待状が増えた。俺宛はもちろん、セレナ宛も。
今まで一切交流がなかった相手からの誘いの手紙は、ハーディング侯爵家として無視できない相手以外は処分するように指示している。
長く勤めている執事なので、その判断を信頼しているため、いちいち俺が内容を確認する必要はない。また来ていたことの報告のために、一応手に持っているのだ。
ハーディング侯爵家として無視できないような相手は、大抵我が家と交流があるため今のところ対処に困る手紙が届いたことはないし、それなりの相手であるから来たとしてもセレナ宛ではなく俺宛に送ってくるはずだ。
それ以外なら執事がうまい断り文句で返事を出している。
処分すると言ったのとは別に、執事は一通の手紙を掲げた。判断に迷う手紙ということだろう。
「それは?」
「奥様宛に結婚式の招待状です」
「どこの家だ?」
手を出せば、薄いピンク色の女性らしく華やかな封筒が渡される。
「どちらも善良な男爵家同士。奥様と新婦は学生時代に同じクラスであったことも確認が取れております。以前の調査では特に問題がないと確認済です。が、現状については確認しにいかせました」
「そうか。確認が取れるまでセレナには渡すな。それと招待客の調査も必要だ」
「かしこまりました」
それから数日後には両家や招待客の調査報告が届いた。
セレナに招待状を渡すように執事に指示を出す――――
「フェリクス様、おかえりなさいませ」
「ただいま、セレナ」
迎えに出てきたセレナを抱き寄せる。
結婚してすぐは身を固くしていたセレナが、今は素直に体を預けてくれることに喜びを感じる。
着替えをしてからセレナと夕食を食べ始めると、セレナが何か言いたげにチラチラとこちらを見てくることに気づいた。
「ん?どうしたの?」
何を言おうとしているか予想できたが、知らないふりをして聞く。
これから言う要望を通したいという気持ちからか、セレナが少し上目遣いに見つめてくるから。
知らないふりをし続けるのが辛くなるほどの可愛さだ。
「実は今日、学生時代の友人から結婚式の招待状が届いたんです」
「そうなんだ」
「それで、ですね」
「うん」
「行きたいのですが、いいでしょうか?あっ、私一人ではなくてアルマとかも招待されているみたいで」
「うん。いいよ。結婚してからほとんど友達にも会えていないだろうし、たまには楽しんでおいで」
セレナはそれまでの窺うような上目遣いから、ぱあぁと明るい笑顔になった。
鷹揚に包容力があるように見せて、その実、セレナ宛の手紙はすべて差出人をチェックして大丈夫と判断された物だけを渡しているとは、絶対に知られないようにしなければ……。
◇
「これは、ハーディング侯爵様!ようこそおいでくださいました!ご案内いたします」
セレナを迎えに来て王都の高台にある教会の前に馬車を停めると、新郎の家の執事がにこにこしながら駆け寄ってきた。
そろそろ披露宴も終わる時間だと思ってセレナを迎えに来たが、まだ多くの馬車が暇そうに待機していた。
迎えに来るのが早すぎたか……と、しばらく教会の外で待とうか考えていると、目敏い執事が「どうぞどうぞ」と中へ案内しようとするのだから仕方がない。
執事に案内されて披露宴が行われているという庭へ行くと、まだまだ終わりそうにない雰囲気が伝わってくる。
セレナがまだ楽しんでいるのだとしたら、邪魔してしまうかもしれないとわかっているが、この家の執事が強引なくらいに案内してくるのを言い訳に、披露宴会場まで来てしまった。
「今主人を呼んでまいりますので――」
「いや、妻を迎えに来ただけだ。邪魔をしては悪いから、これ以上は結構」
今日の主役である新郎新婦は先ほどすれ違った際に軽く挨拶をしたし、わざわざ両家の当主までそれぞれが挨拶にくるとなると面倒だ。
かなり格下の家だから、こちらから挨拶をしなくても問題にはならない。相手は是非とも挨拶したいと思っているだろうが。
庭にいた婦人方が目敏く俺に気づき、色めき立ったのが伝わってきた。
少しでも早くこの場を去るために、セレナを探さなければ。
「そうでございますか……。では、ハーディング侯爵夫人の所へ――」
「後は大丈夫だ。妻は自分で探す」
「承知いたしました。ごゆっくりどうぞ」
残念そうにしながらも執事が下がったのを確認し、すぐに庭に視線を巡らす。
今頃執事は当主を急いで探しに行っているのだろうし、のんびりしているとつかまりそうだ。
早くセレナとこの場を離れたい。
セレナと結婚してから、俺は一瞬でセレナを見つけられる特殊能力を手に入れた気がする。
周りにどんなに人がいても、セレナだけに焦点が合う気がするのだ。
今回も端のほうに置かれた椅子に座っているセレナをすぐに見つけた。
やはりセレナだけが鮮明に目に映る。
セレナが椅子に座り、セレナの親友であるアルマ・スペルティ男爵夫人が隣に立っていた。
セレナはニコニコと楽しそうな表情で彼女を見上げ、話をしている。
俺に見せてくれる表情とはまた違う、遠慮のない仕草や楽しげな表情。
俺にも向けてほしいと思いながらも、親友だからこそ見せる表情なのだろう……と自分に言い聞かせる。
それにしても、妊婦であるはずの親友を立たせてセレナが椅子に座っていることに違和感を覚える。
セレナであれば、自分は立って彼女を座らせるはずだ。
セレナの下に足を進めていると、セレナの親友や友人がその場を離れていく。
すると、すぐに近くにいた男がセレナの座る椅子の前にしゃがんだのが目に映る。
片膝をついたまま男が何やらセレナに話しかけている様子。
セレナはキョトンと男を見て話を聞いているようだ。
男の表情を見るに、何を言われているか一目瞭然。
(トニアにあまり粧しすぎるなと言っておけば良かったな……)
今日のドレスは目立ちすぎないよう清楚なものを俺が選んだが、化粧や髪型で充分華やかな仕上がりになっていた。
低位貴族ばかりのこの会場内では、控えめなのに目を引く美しさがある。
その上、親友らに向ける心からの笑顔。
足を速めると、跪いていた男が中腰になりセレナの肩に手を伸ばした。
「妻に触るな」
男の手首を強く掴んで止めれば、男は不快そうに眉間に皺を寄せ見上げてきた。
そして、俺と視線が合うと目を見開く。
「え……」
「彼女は私の妻だ」
「え?妻?って、え!」
そう言って、男は俺のことをぼぅっと見上げてくるセレナを見てからまた俺へと視線を戻した。
「し、知らなかったんです。どうかご容赦を!」
男爵家同士の結婚披露宴で、招待客は善良な子爵家や男爵家ばかり。
とくに悪事に手を染めているような輩は招待されていないと確認できたので、セレナには参列を許したが、こういう男はどこにでもいるものだな。
早めに迎えに来て正解だった。
この男は確か、どこかの男爵家の三男。新郎の友人だろう。
そんな男が、名門と言われる侯爵家当主の妻に声を掛けようとしていたというのは大問題だ。
俺が手を離すと、男は足をもつれさせながら逃げていった。
(セレナはこれまで言い寄られたことないと言っていたが、やっぱり自覚がないだけだな……)
俺が誰と結婚したか知っている者は多いが、セレナの顔を見ても俺のものだとは気づけないやつも多いのだろう。
俺たちも早く結婚式を挙げたい。
(日程を早めるか……。いや、しかし、それでは準備期間が足りない。セレナのドレスも間に合わないしな)
小さく息を吐き、セレナへと視線を移す。
セレナは不思議そうに俺のことを見上げていた。
「セレナ、迎えに来た。もう帰ろう」
「あれぇ?フェリクス様がいる?」
「セレナ?もしかして、酔ってる?」
「ううん……酔ってない」
完全に酔っている。
ただでさえ異常に可愛いセレナがここまで隙が多くなれば、男が寄ってきても不思議ではない。
内心ため息を吐きながら一瞬で酔い以外の異常がないか検分した後、顔に視線を戻す。
目が合った瞬間、セレナがへにゃりと笑った。
釣られて緩んだ顔になってしまう。
他の男の目に触れるかもしれないこんな場所で、セレナの隙の多い顔を見せたくない。
自分が可愛いことに自覚のないセレナだから仕方がないが、これはさすがに少し注意したほうがいいか……。
(空間収納の魔術を応用して人を閉じ込める魔術を生み出せないだろうか。一時的でも仕舞っておけたら他のやつに見られなくて済むのに)
ほんの少しだけ本気でバカなことを考えていると、後ろから慌てた声が聞こえてきた。
「あっ!ハーディング侯爵様?セレナちょっと酔っちゃったみたいで!すみません……」
振り返ると、スペルティ男爵夫人が一人でグラスを片手に立っていた。
どうやら他の友人を見送るついでに水を取りに側を離れたようだ。
「世話をかけた。楽しんでいたところ申し訳ないが、妻は連れて帰る」
「はい。そのほうが良さそうですね。私もそろそろ帰ろうと思います」
「スペルティ男爵夫人も迷惑でなければ送らせてくれ。君は体調に問題はないか?」
「それじゃあ、お言葉に甘えて。お気遣いありがとうございます」
こうしてセレナの親友の屋敷経由で俺たちは別邸に帰ってきた。
「セレナ。着いたよ」
「うん」
「危ないから俺が部屋まで連れて行ってあげる。掴まって」
足下がおぼつかないほど酔っているわけではなかったが、ここぞとばかりに甘やかす。
馬車の中で膝に座らせていたセレナを横抱きに抱え上げる。
通常時のセレナなら、「何するんですか!?」や「下ろしてください!自分で歩けます!」と焦った声を出すはずだ。
そもそも、馬車の中で膝の上に大人しく収まっている時点で、いつもと違うのは明白。
今のセレナは抱き上げても抵抗しない。
それどころか俺の首に腕を回し、こてんと頭を肩に預けてきた。
今後はここまで酔わないように注意しなければと思っていたが、俺の前に限り許そう。
むしろ、酔わせたい。
早速、飲み口の軽い酒や酒の進む肴をリストアップし、取り寄せるように指示することを頭の中で計算する。
私室のソファにセレナを下ろして俺も隣に座ろうと思ったが、首に回した手をセレナが離してくれなかった。
その上、セレナはふにゃりとソファの上に上半身を倒してしまう。
前屈みになっていた俺の首を引っ張るものだから、そのまま俺までソファにダイブする形になる。
「ぉわっ!?セレナ、手を離して?」
「やっ」
緩く首を振ったセレナの腕の力が強まる。
セレナから俺を抱き寄せてくれたのだ。
「……嫌なの?」
「うん」
「どうして嫌なの?」
「落ち着くから。ふふっ。ふふふっ」
俺の耳元でクスクスと楽しそうに笑うセレナ。
酔っ払ってここまで無防備に甘えてくるセレナを見るのは初めてだった。
帰ったらすぐに寝かせようと思っていたが、もう少しこの時間を楽しみたい。
が、セレナを潰さないようにと咄嗟にとった無理な体勢で身体を支え続けるのがそろそろ辛い。
「セレナ。座り直したいから一度だけ手を離してくれない?その後またくっついていいから」
一度素直に手を離してくれたが、お互いに座り直したらすぐに俺の腕に腕を絡めてくる。
隣を見れば、上目遣いで見上げてきてまたクスクスと笑う。
(セレナは無防備になると、こんな甘え方をするのか……可愛すぎるな)
アルマ・スペルティ男爵夫人の話によると、久しぶりに学生時代の友人が集まっていて、気兼ねしない友人同士盛り上がり、お酒が進みすぎていたらしい。
話しているうちにどんどん酔いが回った様子だったという。
それほど楽しめたのは良かった。
だが、少し危機管理能力が足りていないところが心配だ。
(今後、酒が出るような場は俺も同伴が絶対条件だな)
前を向いて今後の対策を考えていると、名前を呼ばれた。
「フェリクス様?」
「ん?」
「ふふっ」
「何?」
「呼んでみただけぇ」
(それにしても、酔っ払って敬語ではなくなったセレナの破壊力たるや……)
それから、ふにゃふにゃの甘えん坊セレナをしばらく楽しんだ。
俺も少し酒を飲もうと、従者に酒の準備をさせるために指示を出している一瞬でセレナが眠ってしまったのは惜しかった。
翌日、起きたセレナは自分が昨夜どういう状態だったか記憶になかった。
ふにゃふにゃに甘えていて可愛かったと言ったら、セレナのことだからきっと「もうあまりお酒を飲まないようにします!」と言い出しかねない。
酒を飲んで敬語でなくなったセレナは捨てがたい。
「――すみません。記憶がないなんて。そんなにお酒に弱いことはなかったはずなのに……」
「もしかしたら、安物の酒が混ざっていたのかもしれない。安物は少量でも酔いやすいと聞いたことがある」
「そうなんですか?」
市井では、平民が手っ取り早く酔うために安物のワインに酒精の強い安価な酒を混ぜて飲むこともあると聞いたことがある。
さすがに貴族でそんなことをしている者はいないと思うが。
「真実はわからないけどね」
「そうですよね。フェリクス様は安物なんて口にしたことないでしょうし」
「きっとたまたまだよ。外でお酒を飲むときには気を付けたらいい。うちでは気にしなくて大丈夫だ」
「でも、やっぱりしばらくは――」
「セレナと酒を飲む時間は俺の癒しの時間の一つ。これからも付き合ってほしい」
「……わかりました。私もフェリクス様とお酒を飲む時間は好きですから」
「セレナ!俺もセレナと酒を飲む時間が好きだよ。セレナと過ごすどんな時間も大切に思える」
あの日の夜のことは絶対に言わないと決めた。
あれから時折セレナを酔わせて、俺だけに見せてくれる姿を目に焼き付けている――――