【番外編】鍵のかかった部屋(後編)
「…………」
「…………」
トニアにはっきりとした説明もしないまま、私はフェリクス様の部屋の前で仁王立ちになって部屋からメイドが出てくるのを待ち構えている。
――――…………カチャ……
「きゃ!?お、お、奥様!?」
しばらく待っていると、静かにドアが開いて掃除用具を持ったメイドが出てきた。
出てきたのは、この本邸のメイド長だった。
ドアの目の前に私がいると思っていなかったメイド長は小さく声を出し、驚いた顔をして私を見る。
だけど、私は驚いて閉め忘れたドアの向こうに釘付けになっていた。
「あ!!お、奥様!これはっ……!」
私の視線の先に気づいたメイド長は私の視線を遮ろうと私の前に立ちはだかり、何事かを言い募っていた。
「……これが、部屋に鍵をかけている理由?」
「………………………………はい……」
メイド長はがくりと項垂れて、消え入りそうな声で返事をする。
きっとフェリクス様から部屋の中を見られないようにと厳命されていたのだろう。
特に私には。
だって、フェリクス様の部屋の中には私の写画が三枚、壁に飾られていたのだ。
写画とは、今から十五年ほど前に発明された魔道具で対象の人の姿と写している間の動きをそのまま写し出した紙を指すのだけど、フェリクス様の部屋には私のそれがあった。
王立学園に入学する記念で写したものと、成人して社交界デビューの記念で写したもの、それと写画が開発されたときに家族で記念として撮りに行ったときのもの。
写画を撮るには専用の魔道具が必要で、その魔道具がとても大きく扱いも難しいため、一般には普及していない。
そのため、誰でも写画屋へ行く必要があるし、何よりもそれなりにいい値段がするので、私の昔の写画はこの三枚しかない。
それがどうしてここにあるのか……。
◇
実家にあるはずのものよりもずいぶんと大きなサイズに引き伸ばされ、立派な額縁に入れられて壁に掛けられている自分を見ていると、入口のほうからバサッと書類を落としたような音がした。
入口を見てみると、フェリクス様が書類を落としたまま立ちすくんでいた。
「…………セレナ……なんで…………」
フェリクス様の声はとても小さくて消え入りそうだったけど、焦燥感に駆られているのが伝わってきた。
「フェリクス様、ごめんなさい」
「なっ、なにが?何に対して謝っているの!?俺は別れないよ!」
「勝手に部屋に入って、ごめんなさい」
「え?あ。あ、うん。………………どうして、ここに?」
「偶然、メイド長が掃除するために部屋に入る瞬間に中が見えて。あっ、彼女は何も悪くありませんから絶対に罰するのはやめてくださいね」
「そうなんだ……」
「フェリクス様。これ、どうして?」
私がまだ少女だった私を指差しながら質問すると、フェリクス様は明後日の方向を見ながらごにょごにょと答えた。
「そ、それは……その……写画屋から買った……」
「どうやって?」
「……裏から……金を積んで……」
写画屋では、普通は自分が写されたものしか買わない。はず。
だけど、希望したら同じ写画を欲しい枚数だけ買うことはできる。
ということは、後から欲しいと言って入手することも可能なのだろう。
しかし、本人ないし家族でもない人物がお金を積んだからといって、真っ当な店なら売らないのではないか。
渡す写画屋は信用できないし、本人の了承もなしに買うほうもどうかと思う。
お金を積んで――ということは、悪いことだと自覚しているのだろうし。
実際、フェリクス様は先ほどからしどろもどろで視線も泳ぎまくっている。
顔色も悪い。
(こんなにわかりやすく動揺しているフェリクス様を見たのは初めてかも)
「フェリクス様」
「ごめん!どうしても、セレナの姿を見たかったんだ……会えないし遠くから見るにも限界があったし……」
私がわざと少し低い声を出すと、フェリクス様は泣きそうな顔で謝ってきた。
「……ずるいです」
「――え?」
「だって、フェリクス様は私の昔の写画を持っているのに、私は一枚も持っていないんですよ」
「……そうだね……?」
「私もフェリクス様の子供のころの写画が欲しいです」
「セレナ?……嫌じゃないの?」
普通ならここは恐怖を覚えて気持ち悪がるところだろう。
愛する人が実はこんなことをしていたと後から知ったら、百年の恋も冷めてしまいかねない。
だけど、私はフェリクス様にずいぶんと洗脳されていたらしい。
自分でも不思議だけど、フェリクス様に対して気持ち悪いという感情は湧き上がってこなかったのだ。
これが別の人なら恐怖におののき、気持ち悪くて寒気や吐き気がするはずだけど。
どうしてここに私の写画が?何故?とは思ったけど、それも一瞬のことだった。
フェリクス様が愛でるためにあるのだろうとすぐに理解したし、少し恥ずかしいけどずっと愛でられていたことがくすぐったく感じた。
そして、私もフェリクス様の写画が見たい。私もフェリクス様の昔の姿を愛でたいと思ってしまった。
少し困惑気味のフェリクス様の表情を見ていると、可笑しくなってきた。
こんなことをしておきながら、ちゃんとこれが悪いことだとは理解しているらしい。
だからこそ、部屋に鍵をかけていたのだろうけど。
「ふふっ……はい。フェリクス様なら嫌ではありません。ずっと見られていたのだと思うと恥ずかしいですけど」
「セレナ!」
抱きついてきたフェリクス様を受け止めて、私もフェリクス様の写画を部屋に飾りたいと言うと、フェリクス様は少し引いた。
嫌そうな表情をしている。
自分は隠れて飾っていたのに。
しかも、壁にある大きなサイズの他に、まったく同じ写画が小さな額縁に入れられて机の上にも飾られていた。
私のは三種六枚も飾っておいて、なぜそんな嫌そうな顔をするのか。
「えっ、俺の写画を?どこに?」
「いつも見られる場所がいいので、夫婦の居室とか」
「えっ……ずっと見えるところに自分の写画を?」
「だめですか?」
「セレナと一緒ならいいけど、俺だけが写っているのを飾るの?」
「フェリクス様はこんな大きな私の写画を部屋に飾っていたのに、だめなんですか?」
「うっ。……わかった」
その後、メイド長が出してくれたフェリクス様の写画は大量にあった。
私は貧乏だったから三枚しかないけど、フェリクス様はお母様が絵師に肖像画を描かせたり、写画を撮るのが好きだったらしく、記念日以外でも撮っていたらしい。
侯爵家と貧乏子爵家との違いをこんなところでも感じることになるとは――――
二人でフェリクス様の昔の写画を見て、私のお気に入りを選んだ。
昔のフェリクス様は、子供の頃からすでに美しかった。
だけど子供の頃のフェリクス様は表情が乏しく、以前お義父さまから聞いた話や総会の親戚の態度が思い出された。
写画で見ることができるたった10秒程度の動きを見てもわかるくらいで、少し胸が痛んだ。
「ん〜……迷うけど、これにします。このフェリクス様が一番可愛い。この途中ではにかんだ笑顔が可愛い」
「ねぇ、セレナ。昔の写画を飾るのも良いんだけど、今度また夫婦の写画を撮りに行こうか」
「あ、そうですね」
結婚式の衣装姿で撮った記念の写画は、別邸に飾られている。
もちろん、なかなかのサイズで……。
だけど、フェリクス様の子供の頃の写画のように、何でもない日の写画があってもいいだろう。
毎年撮って飾るのもいいかもしれない。
それらを飾っていって、家族が増えていく様子や年老いていく様子が見て取れるように。
そして、この年にはこんなことがあったねと、二人で話をしよう。
「これからはたくさん撮って飾りたいです」
「そうだ、専用の写画室を作らせようか。技術士も雇って。そうしたら、いつでも好きなときに撮れるし、いくらでも愛しいセレナを記録できる。良い案だろ?」
写画一枚でさえそれなりの値段なのに、写画室を作って技術士を雇うって、一体いくら掛かるの!?
専用の部屋を持っているなんて、聞いたことがないんだけど。
「……写画屋へ行くのもデートみたいで楽しいですよ」
「確かに。そうだな。何度でもデートしたいし、迷うな。でも、屋敷にあっても外に行ってもいいよね」
「……デートに誘う口実になるので、屋敷に写画室はいらないかなって思います」
「! もしかして、セレナからデートに誘ってくれるの?楽しみだ。俺からも『写画屋へ行こう』って誘っていい?」
「はい。嬉しいです。だから、写画は写画屋で撮りましょう?」
この後仕事に戻ったフェリクス様は翌日の朝方まで仕事をし、少しだけ仮眠を取った後、私を写画屋へ誘った。
そして、休暇後に別邸へと戻ると、撮ったばかりの写画と共に本邸のフェリクス様の部屋にあった私の大きな写画が別邸の廊下に飾られていた。
二人で廊下の写画を見ているとフェリクス様が『この廊下いっぱいセレナの写画で埋め尽くしたい』と、ぼそっと言っていたのは空耳だと思いたい。
鍵の掛かっているフェリクスの部屋の中にある物と言ったら、これしかないだろうというくらい何の意外性もない展開になってしまいました……。
書籍化記念の番外編までお読みいただき、ありがとうございます。