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「やあ、こんにちは」
「まあ、いらっしゃいませ」
「おっと。挨拶でもキスは駄目だったね。またフェリクスに怒られる所だった」
「ふふっ。今日はどうされたのですか?」
「セレナさんに用事があってね」
「私にですか?」
「大切な話なんだ。人払いをしてくれないか?」
「それはごめんなさい……フェリクス様から家の中でも1人になるなと言われていて」
「驚いた。家の中でまでって、フェリクスはそんなに狭量なのか?それ程心配ということなのだろうけど、使用人がずっと一緒なんて息が詰まるだろう?少しくらい良いじゃないか」
「ごめんなさい。約束したので……」
マルセロとトニアを下げた所で、ドゥシャン様と2人きりなんてそれこそ気が休まらない。
夜会で同じ魔術師団に所属しているブランカさんからドゥシャン様の事は聞いてるし。
その派手な身なりと雰囲気に違わず女性遊びが派手だと。
『既婚のご夫人から未婚の御令嬢まで、女性のタイプも様々で守備範囲が広くて手も早いから、親戚といえどドゥシャンに気を許したら駄目よ!?本当に慎ましやかな令嬢もあっという間なんだから。あれはある意味凄い才能だわ。仕事はできるのにもったいない。くれぐれも気をつけてね!』
この国1番、いや世界各国でも上位に入るだろう美麗な夫から自他共に認めるほど溺愛されて愛しているのに、魔が刺しても他の男に靡くなんてあり得ない。
あり得ないけど、どんな火種になるか分からないものには近づかないに越した事はない。
そもそもフェリクス様との約束がなくても2人きりになんてなりたくない相手だ。
「そう……どうしても?少しくらい良いじゃないか」
「ごめんなさい」
「参ったな。こんなに頑なな人だとは思わなかった。しょうがない。ちょっと、君」
ドアの近くに控えていたトニアを手招きする。
トニアが2歩3歩とドゥシャン様に近づいた所で、ドゥシャン様の手の平から強い光が放たれた。
(!?)
衝撃波がトニアのお腹に当たり、壁に激突して床に崩れ落ちる。
トニアの元へすぐに駆け寄ると、トニアと私の前にマルセロが立ちはだかった。
「うっ……」
「トニア!?なっ!?なんで?何をするのですか!?」
「大人しく従ってくれれば僕だってこんな手荒な真似はしなかったよ」
突然の暴力に軽薄な笑みを浮かべたドゥシャンに背筋が寒くなる。
「何を……」
「その侍女は君の妻だったよね?自分の妻と主人の妻、天秤にかけたらどうするかな?面白い実験だと思わない?」
薄く笑いながらドゥシャンが再び手を翳す。
ゆらゆらと動かして、私とトニアどちらにしようか迷っているような動きだ。マルセロを挑発しているのだろう。
トニアを庇うように隠したいが、横になって倒れているトニアを私の背に隠しきれない。
ドゥシャンがゆらゆら動かしていた手をピタリと私の中心に来るように止めると、すぐにマルセロの背に視界が遮られた。
その途端風圧を感じ、強い光で目を開けていられなかった。
「ふぅん。セレナさんに保護魔法をかけたまま今のを弾くか。なかなかやるね。でも、自分の妻も守らないとね?」
ドゥシャンののんびりとした声が聞こえたと思うと、トニアの足に光の玉が当たった。
「トニア!」
「ぐっ……」
「マルセロ!?」
一瞬で3度の閃光を感じた。
庇いきれていなかったトニアの足が狙われたと思ったら、動揺した隙を突かれたのかマルセロが膝をついて倒れた。
マルセロの背中で視界を遮られていたから、今の一瞬で何が起こったのかよくわからない。
だけど、彼の狙いは私なのだろう。
「もうやめて!望みはなに!?」
「それはまだ秘密。簡単に教えたらつまらないでしょう?」
にやりと嫌らしく口を歪め、睥睨してくる。
その時、応接室のドアが勢いよく開いた。
顔を出したのはカルラだった。
外出用ワンピースのままだから、外から戻ったばかりなのだろう。
「何事ですか!?凄い音が……!?」
「あれ?他の使用人は眠らせたのになぁ。君、外出してた?」
「え?」
「まあ、いいや。丁度いいところに来てくれた」
再びドゥシャンの口が歪むと、何かを呟きながら指先をちょいちょいと動かす仕草をした。
「え?えっ?えっ?な、なに?」
「カルラ?」
「身体がっ……いや!奥様……!」
何が起きたのかと、カルラの戸惑いは何なのかと思っていると、カルラの手が私の左手の薬指に掛かった。
カルラの怯えて縋るような瞳に戸惑いながらも、結婚指輪を取ろうとしていることに気付いて抵抗したが、カルラの力とは思えないほどに驚くほど強い力だった。
カルラの動きから目的を察したマルセロがカルラを止めようとすると、マルセロやトニアの足へと攻撃される。
カルラと揉みあいになったが、泣きながら謝るカルラに結婚指輪を抜き取られてしまった。
気が付けばマルセロも倒れていて意識がないようだった。
「さぁ!楽しいふたりの時間の始まりだよ」
爽やかに聞こえるほど楽しそうな声が降ってきて、見上げると不敵に口を歪ませたドゥシャンが私を見下ろしていた。
◇
俺が急ぎ別邸に戻ってみると、いつもは必ず出迎えに出てくる執事の姿がない。
玄関前にハーディング家の物ではない簡素な馬車が1台停まっているだけ。
別邸の中に入ると、使用人の姿は無かった。
嫌な予感に心臓が嫌な音を立て、体温が奪われる感覚がする。
慎重に歩を進め、ドアが開きっぱなしになっている応接室の中を見て目を疑った。
「殿下!?」
「おお。帰ってきたか。遅いぞ。何をしていた?夫人とはすっかり話し込んでしまった」
「セレナ、無事か!?」
「それではまるで私が夫人に何かしたみたいではないか」
「殿下に助けていただきました。私は大丈夫なんですが、皆が私のせいで……」
瞳に涙を溜めるセレナを抱き寄せ、背中を撫でる。
護衛に付けているマルセロの姿が見えないし、使用人はどうしたのだ?
状況が飲み込めない困惑で視線を揺らすと殿下と目があう。
答え合わせだとでも言うように、殿下がチラッと部屋の隅を見た。
屈強そうな男が、横たわる男になにやら長い杖を突き立て立っている。
「私がこの屋敷に着いた途端、その男が女性を肩に担いで玄関から出てきたのだ。ぎゃーぎゃーと騒いでいたから痴話喧嘩かとも思ったが、男が女性の顔を張ったので、止めに入った。そうしたら、フェリクスの奥方だと言うではないか。その男は私の護衛に成敗してもらったよ」
「殴られたのか!?セレナ、よく見せて」
「治したのでもう大丈夫です」
「奥方は癒しの力があるのだな。赤く腫れ上がったままだとフェリクスが卒倒するかもしれんぞと私が忠告したのだ」
「本当に?本当にもう大丈夫なの?痛くない?口の中は?どっちの頬を殴られたの?」
「左ですけど、本当にもう大丈夫です」
「うん……確かに見た目には分からない。怖かったね……そばを離れてごめん」
「おい。先ほどからさりげなく私の事を無視していないか?」
「許せない……万死に値する」
ゆらりと立ち上がり、意識を失って倒れているドゥシャンに近づく――――