01
「あれ?セレナじゃないか。あぁ、そうか。新婚旅行から帰ってきたんだね」
「それ、どうしたんですか?」
今日は新婚旅行のお土産を渡すため、実家を訪れていた。
格式高い実家でもないから先触れなんて出さずに、いつもふらっと帰っている。
執事にお父様の居場所を聞くと書斎にいると言うので、書斎に行ってみたらお兄様もいて、2人でたくさんの書類を机やテーブルの上に広げてなにやら頭を悩ませていた。
「いやぁ、参ったよ。フェリクス殿とセレナの結婚式が終わってから急にアレシュへの縁談申込の書状が届きだしたんだ」
フェリクス様と私の結婚式後急にという事は、今まで様子見をしていた貴族が私達が結婚式を挙げたことで、漸くこれは正式な結婚だと確信したという意味だろう。
私も最初、格差のありすぎるこの結婚には裏があるのではと思っていたから、他の貴族の気持ちは理解できる。
だけど、こういう目に見える形であらわれると複雑な気分だ。
「お兄様に縁談の申し込みが来るようになったのは良いけれど、結婚式後に急に届きだしたなんて、ハーディング侯爵家と縁を持ちたいという魂胆が見え見えね」
「だから僕も父上も困っているんだ」
「今まで全く来なかったからありがたい話だけど、侯爵家との何かしらを期待されているかと思うとねぇ」
お父様もお兄様も私が格上の相手に嫁いだからといって、娘の婚家が裕福で力を持っていても頼ったりあわよくばとは考えない人だ。そもそもあわよくばと考える人ならこんな貧乏暮らしに甘んじていない。
だからその点は安心だけど、お父様なんて騙されて借金した過去もあるから気を付けないと。
「我が家にこんなに申し込みが届くなんてことはもう無いだろうから、アレシュの結婚はこの機会に纏めたいけど、侯爵家との繋がりを期待してる家は選べないし。どうしたものかねぇ……」
「侯爵家とは関係が薄い事を匂わせてみてはどうですか?侯爵家目当ての家なら向こうから申し込みの取消しを行ってくると思います」
「良い案だけど、どうやって匂わせたら良いんだい?」
「うーん。それは具体的に良い案が浮かんでいるわけではないので、私も考えてみます。あ、今日はお土産を持って参りました」
「そうか、ありがとう。書斎はこの通りだし、リビングへ移動しようか」
対策は思いつくけど、具体案は全く思いつかない。
できるだけ誰も傷つかない方法で対応できないものか。
そもそも篩にかけたら誰も残らなくなってしまう可能性もあるけど。
そうなったら傷付くのはお兄様くらいだし、侯爵家目当ての家と結婚するより余程良い。
フェリクス様に相談してみたら良い案を下さるかしら?
◇
「―――と言う訳なんです。お兄様が結婚した人がもしもハーディング侯爵家目当てだったら、フェリクス様にも迷惑がかかってしまう可能性があります。何か良い方法はないかと」
「そうなっても対応できるから問題はないけど。でも、そういう時は噂を利用するのが良いだろうね。貴族は噂好きだから、飛びついてくると思うよ」
「やっぱり噂が良いですよね。でも、どんな噂が良いのか思いつかなくて」
「そうだなぁ……俺がヘーゲル家に恩顧を期待しないように直々に伝えた。その証拠に、俺はヘーゲル家に行ったことがない。とか」
「そんな嘘が流れたら、フェリクス様が悪者になってしまいます」
「良いんだよ。これくらいの噂ならすぐに覆せるし」
「でも……」
フェリクス様やハーディング侯爵家に迷惑が掛からないようにと篩に掛けたいのに、篩にかけるための噂でフェリクス様が悪者になってしまっては意味がない。
「じゃあこういうのはどう?俺が甘いのはセレナにだけ。セレナが俺以外を見ないように、ヘーゲル家さえも疎遠にさせようとしている程らしい。これならヘーゲル家に近づいても旨みがないのが分かりやすいよ。そんな状態なら俺を怒らせそうだからセレナにも容易に近付けないと分かるし、一石二鳥じゃないかな?」
「うーん……」
さっきの案よりは悪者度は低いけど、それでも結局フェリクス様の印象が悪くなる事に変わりがないのでは。結局迷惑をかけてしまうなら噂を利用する案は愚策だったのだろうか。
「俺が甘いのはセレナにだけなのは本当のことだ。今はヘーゲル家とセレナを疎遠にしようとはしていないけど、もしもセレナが頻繁に実家に帰ってばかりなら疎遠にさせてしまったかもしれない。俺だけを見て欲しいからね。だからあながち嘘でもない」
時々サラッと言われるこの重すぎる愛の表現に、どう反応して良いかいつも困る。
私が少し困惑したような顔をすると、フェリクス様も少し眉を下げる。
時に「離してあげられなくてごめんね」と抱きしめながら謝られたり、時に「もっと俺の事だけ考えて欲しい」と押し倒されたり、時に「嫌いになっちゃった!?」と縋ってくる。
今更離されても困るし、結構フェリクス様の事を考えているし、嫌いになんてならない。
なる訳がない。
ただ反応に困るだけで。
私が反応しないから、今はぎゅうぎゅうに抱きしめられている。
「そうだ。間もなく城で夜会があるだろう。ヘーゲル子爵も参加してもらえると噂に信憑性が出せる良い機会なのだが」
「縁談の申込みが来た家の人たちと一気に会えるチャンスだからと今年は兄が参加すると言っていました」
「じゃあ参加してもらって。それで夜会では挨拶をしにきてもらって、でも俺はセレナを引き離すようにして冷たく遇らうようにするから。もしも夜会に必要なものがあれば、相談に乗るし。一応セレナから手紙で伝えて。暫くは俺からヘーゲル家には関わらないようにするから。セレナも、実家だけじゃなく友人の家に行くのも今は控えてここにいてね」
「分かりました。ありがとうございます」
いつの間にか、先程の案で決定してしまった。
―――噂を流す為だと嘯いてセレナを別邸に閉じ込められる事にフェリクスは仄暗い愉悦を覚えている事をセレナは気が付かなかった。
「セレナのドレスはもう注文してあるから楽しみにしていて」
「ありがとうございます。楽しみです」
夜会用のドレスなど独身の時はほとんど持っていなかった。
実家に置いてあるドレスでは侯爵夫人が着るに相応しくなく、ハーディングの家に恥をかかせてしまう。
結婚してから初めての夜会だし、侯爵夫人として相応しいドレス選びに自信がなかったから、フェリクス様が用意してくれるなら有難い。
「俺の色を纏ったセレナを早く見たいな」
(私の衣装部屋は既に水色とシルバーやライトグレーの色で占められていると思うんだけどな)
◇
騒めきの中にひそひそと囁く声がそこかしこから聞こえる。
今日は、年に一度の城での夜会の日だ。
フェリクス様と夫婦になって初めて夜会に出席するが、セレナにとっては王城での夜会そのものが初めてだった。
フェリクス様と結婚する前は、参加するのは子爵である父か父と母だけで、私は大規模な夜会には参加したことがなかった。
予想はしていたけど、王城に着いたときから周りの視線がうるさい。
そんなうるさい視線を物ともせず、フェリクス様は近すぎる位に寄り添ってエスコートしていた。
元々私も王城で針子として勤めていた時期がある。
針子を辞める間際、フェリクス様がこれ見よがしに周りに見せびらかすように寄り添って歩いていたため、王城勤めの一部の人間にとっては今更な光景であるが、初めて見るご令嬢やご婦人方は一斉にひそひそ囁き始めた。
「フェリクス様」
「ん?なぁに、セレナ」
「あの、もう少しだけ離れて……」
「なんで?嫌?」
「嫌というか、その……あっ、少し歩きにくいので」
「そうか。転んだりしたら大変だから少しだけ離れよう。でも、もしもセレナが転んでも抱きとめて助けるから安心して」
「はい。ありがとうございます……あの、なにか?」
指一本分だけ離れてからじっと私を見ていたフェリクス様だったけど、私の問い掛けに答える瞬間、とろりと蕩けそうな甘い視線と笑みを浮かべた。
それを見た女性陣の騒めきが大きくなる。
「照れてるセレナも可愛くて愛おしいなと思って」
「そ、そうですか」
フェリクス様の甘い囁きもこの甘い笑みもすっかり慣れたものだ。
そのはずだったのに、豪華なシャンデリアが煌めいて、フェリクス様を一層輝かせて見せる。
その上、初めての王城での夜会での緊張感と、周囲の人からも注目されているのが分かるから、余計にドギマギしてしまう。
本日から第三章スタートしました。
第三章完結まで毎日更新予定です。