06
馬車に揺れられて向かっているのは、レドライクに入港した時の港町ではなく、そこから少し西南に行った場所にある海沿いの街。
この新婚旅行の本来の目的地。
リゾート地化していて、長期滞在に向いている宿や観光スポットが多い。
因みに、王城の騎士2人は書簡が無事にレドライクへ渡った事を見届けたので、途中までは一緒に移動するけど途中で別れて彼らはそのまま帰還する予定になっている。
馬車に乗る前、カルラはアルナンド様に話しかけられて何事かを約束していた。
「セレナ、やっぱり元気ない?酔った?一度停めようか?」
「いえ大丈夫です。あの、レドライクの王都を離れて良かったのですか?」
「うん。用は済んだし、問題ないよ。どうして?」
「ビルヒニア様とのことは……」
「断ったよ。申し込まれてもないのに断るのはどうかと思ったけど、何かを期待しているようだったから」
「でも、朝から呼び出されたのはその話では?」
「まさか。書簡の返事を持って行って欲しいと言われたんだ。朝早かったのは昨日、明日の朝発つ予定だと話していたから急いで呼びに来ただけ。返事ならこっちの国の使者がちゃんと届けてくれればいいのに。王太子殿下が来られて、ついでだから情報交換したいって言われて、返事を待つ間に話してたのが少し長くなってしまっただけだよ」
「国際問題にはなりませんか?」
「国際問題?書簡の返事をついでに持って帰ってなんていい加減だなぁと思うけど、新婚旅行ついでに持って行けって言ううちの宰相も案外適当だからお互い様だし……何が国際問題になるの?もしかして、あの女に断ったら国際問題になると脅された?」
私は静かに頷いた。
すると、ぼそりと「あの女……」とフェリクス様が呟く。
不安げにフェリクス様を見ていると、目が合った。
目が合うとフェリクス様はとろりと甘やかに笑う。
「嬉しいな。セレナがこんなに心配してくれるなんて。そんなに俺と別れるのが嫌だって思ってくれてるってことだよね?セレナの愛を実感できてすごく嬉しいよ」
別れるのももちろん嫌だ。
絶対に別れたくない。
だけど急に先が見えなくなった将来や国際問題など、いろんな事が混ざり合って総合的に不安を感じている。
「あんな女でも一応は王族だ。しかし、アルフェニアとレドライクの国力はほぼ同等。戦乱の時代やアルフェニアがレドライクに言いなりになるしかない程国力に差があるならまだしも、今の時代に他国の一貴族の、しかも既婚者なんてそうそう王族の嫁ぎ先候補になるはずがないよ。だから大丈夫。セレナは何も心配はいらない」
フェリクス様が微塵も不安視していなく、力強く否定してくれるので、どんどん大きく広がる不安の染みは少し拭えた。
不安な気持ちが完全になくなったわけではないけど、折角の新婚旅行なんだ。これから5日間はこの海沿いの街で過ごす予定だし気持ちを切り替えて楽しみたい。
◇
「おかえりなさいませ!お父様!」
「おぉ。ははは!ジニーはいつまでも甘えん坊だな」
ビルヒニアは帰ってきた父に抱きついた。こうすると子供の頃から父が喜ぶ事を知っているから。
昨日、父にフェリクスと結婚したいとお願いはしてある。
父ならどうにかしてくれると思ったが、当人からあんな風に断られるとは思ってもみなかった。だから、父へ念を押さなければならない。
父親がこうして腕を絡ませて甘えると弱いのだと言うことは全て計算済みである。子供の頃から何度も使って来た手だ。
「お父様。わたくしのお願いはどうなりましたか?陛下にお話してくださいました?」
「アルフェニアのあの使者か……確かに優秀らしいし、可愛いジニーの頼みだ。叶えてやりたいがなぁ。お前が好いた相手なら認めてもやりたい」
「では、お話してくださったのね!?陛下はなんて仰っていましたか?」
「いや……しかし、彼は既婚者だそうだ。アルフェニアは一夫多妻の国ではないしな。――私はな、ジニー。お前が可愛い。だからこそ、幸せな結婚をして欲しいのだ」
「フェリクス様とならわたくし、幸せな結婚ができますわ!お願いです、お父様!そうだわ、なんなら婿に取ればいいのです」
「彼はアルフェニアの筆頭侯爵だから婿は無理だろう。それに、こればかりは許すわけにはいかないよ、ジニー。お父様が彼よりも良い男を見つけてやる。だから、あの男は諦めてくれないか?」
「……そうですか。残念です」
「分かってくれるか?ジニーなら分かってくれると思っていたよ」
「その代わりにお願いがございます」
ビルヒニアに大層甘いこの父が、娘の願いを断るときは本当に無理な時だ。
こうなったら自分の力で幸せをつかみ取るしかない。
◇
波の音で目が覚めた。
音に誘われて窓まで行って外を見ようと思ったけど、いつものようにフェリクス様に抱き込まれ、腕が私のお腹にまわっていて振りほどけなかった。
「セレナ、起きたの?」
振り返ってみると、アイスブルーの瞳と視線がぶつかった。「おはよう」と言ってこめかみにキスをされる。
目の開き具合や話し方からして今起きた感じではないけど、いつから起きていたのだろう。
フェリクス様の寝起きはふにゃっとしていて少し幼い感じになるのが可愛いのだけど、今は通常時に近い。
「まだ起きるには早いよ」
「でも、もう明るくなっています」
「まだこうしていよう?」
おでこをすりすりとしてフェリクス様が甘えてくる。
お腹に回された腕もさっきより力が入って、あやしく動き出す。
甘えてくるフェリクス様はとても可愛いくて愛らしいけど、未だに朝の甘い時間に慣れない。
夜なら暗いからまだしも、朝に強い私にとって朝は寝起きからすぐに理性も完全に起きているから羞恥が凄い。
「せっかく海沿いにいるので、朝の浜辺を歩いてみたいです」
「どうしても?俺はまだこうしていたいな。だめ?」
「手を繋いで歩きませんか?昨日宿のメイドさんが、朝に手を繋いでこの浜を歩いた恋人は離れる事がないと言い伝えられていると言っていたんです。私たちはもう夫婦ですけど」
「すぐに支度しよう」
早朝の浜辺をフェリクス様と手を繋いで歩く。あまり手を繋いで歩く事はないから新鮮な感じがする。
ザザーンと波の音と、サクサクザクザクというような砂浜を歩く足音だけが耳に届く。南の方に位置するこの街に着いたときは暑いと思ったけど、早朝の浜辺は爽やかだった。
早朝だからか周囲には他に人がいなく、二人だけの世界だ。
「海の色が綺麗ですね」
「あぁ。本当に綺麗な海だ―――ん?」
「フェリクス様の瞳も綺麗な海みたいな水色です」
私がフェリクス様の瞳を覗き込んだから、一瞬キョトンとしたけど、直後に瞳が優しく細められてとろりと甘い視線が向けられる。
フェリクス様の手がそっと耳の辺りに添えられて、私は吸い寄せられるように見つめていた瞳を閉じた。
「はぁ……」
朝から甘い甘いキスに翻弄されて、フェリクス様の胸にしなだれかかるような姿勢になってしまう。
思わずといった態で「かわい」と呟き、満足そうに笑んで抱き寄せるフェリクス様はとても幸せそうだ。
新婚旅行とはいえ、とても幸せな瞬間だった。
ふと、先日のビルヒニア様の事を思い出して怖くなってしまうけど、フェリクス様が大丈夫だと言ったしその言葉を信じようと思う。
朝食を食べた後は、また浜辺に出たり、宿の庭や宿の周囲を散策したり、昼寝をしたりして贅沢に1日を過ごした。
「トニアたちは今日は何をして過ごしたの?」
「私たちは、浜辺で過ごしたり市を見てきました。木彫り細工の製品がこの辺の名産らしく、市は見ているだけでも面白かったですよ」
「そう。お土産に良さそうね」
「小物も色々あったのでお土産を買うのにも良いと思います」
今日はフェリクス様が宿とその周辺だけでゆっくり過ごしたいと言ったので、日中はトニアとマルセロに自由時間を与えて、好きに過ごしてもらった。
就寝の準備を手伝ってくれているときに、どう過ごしていたのか聞いてみると、市がよかったと情報が聞けた。
トニアの話を聞いていると気になる物が色々売っているようだったので、ここに滞在中に一度は行ってみたい。
ハーディング侯爵家の皆や、パメラ、アルマ、イヴァン様へのお土産も買えるだろうか。