04
「はぁ。やっと着いた……!――ん?足元が揺れなくなったのに、まだ揺れているような感覚。なんで?なんだか気持ち悪いかも……」
「セレナ、大丈夫?まずはどこか店に入って一旦休もう」
船旅の3日間、私は船酔いと回復を何度も繰り返した。
寝て起きると少し回復するけど、食事をすると具合が悪くなる。
具合が悪くなりたくなくて食事をしないと、それはそれでだめらしく、空腹すぎるとまた具合が悪くなるという悪循環。
食べても駄目、食べなくても駄目。
私の唯一の改善方法が睡眠だったので、この3日間は殆ど寝ていてフェリクス様を放置してしまった。
帰りもこれが待っているかと思うと、今から憂鬱だ。
レドライクに酔い止めが売っていたら必ず買おう。
港の近くにあったカフェに入って、フェリクス様がハーブティーを注文してくれた。
ミントのハーブティーで、すっきり感がある。ゆっくり飲んでいるとふわふわする気持ちの悪さが落ち着いてきた気がする。
「ふぅ。随分良くなりました。ご心配をおかけしました」
「良かった。この後は馬車に乗っての移動だけど、大丈夫?無理しないで今日はこの街で宿を取ろうか?」
「いえ、馬車では酔ったことがないので多分大丈夫だと思います」
「そう?具合が悪くなったらすぐに言うんだよ」
その後、馬車でレドライクの王都へ向かった。王都は港町の隣に位置しているので、馬車で3時間かからずに着く事ができる。
馬車に乗っている間、30分に一回はフェリクス様に「セレナ、大丈夫?具合悪くなってない?」と聞かれた。
心配してくれるのはありがたいけど、そのたびに「肩にもたれかかっても良いんだよ」とか「膝枕しようか」と言われるので、毎度断るのが申し訳なく感じる位だった。
これまで馬車で酔ったことがなかったし、もたれかかったり膝枕してもらった方が今は酔いそうな気がしたから固辞した。
レドライクの王都に入るとすぐに宿へと向かった。
貴族向けの宿らしく立派な外観。中も高級感があるけど、開放的で自国ではあまり見ない雰囲気だった。
今日と明日はこの宿に泊まることになる。
明日はフェリクス様が国王陛下からの書簡をレドライクの王城へと届けるお役目があるから。
事前に書簡を届ける使者が来ることはレドライク側にも認識されているけど、着いたその足で王城へは行けない。
今日着いたので明日伺う旨の先触れを出して、明日まで待たなければならない。 対応する人の都合が悪ければ、もっと待つ可能性もある。
宿に荷物を置いた後、今日はレドライクの王都観光をすることになった。
またマルセロとトニア夫妻には自由時間を与えたが、今回は他国ということで念のためカルラとセリオ、騎士のアルナンド様は一緒に行動する。
騎士が、もう他国だからフェリクス様と完全な別行動はできないと譲らなかったのだ。もう一人の騎士、ファーガソン様は王城への先触れを出しに行った。
レドライクの王都は海からも近いため、レストランでは魚料理が多かったし、魚を売っている露店もよく見かけた。
街を歩いていると魚をすり身にして串に刺して揚げたものを売る露店がところどころにあって、良い匂いを漂わせている。
レストランの魚料理も新鮮で美味しかったけど、ああいう庶民的な料理も美味しそう。
明日、フェリクス様のお仕事中に外に出かけられそうなら食べてみたい。
王都観光中、またもフェリクス様は私に色々な物を買いたがった。
既にブレスレットを買ってくれたのに。
宝石やアクセサリーを始め、バッグにぬいぐるみに手鏡、リボン、ハンカチ、動物の形をした木彫りの置物、香水の瓶など。少しでも良さそうな物があったら「セレナに似合うと思う。プレゼントしよう」と言うので油断ならない。
本屋に入った時にもこの国にいた英雄の伝記を手に取ったら「それが気になるのか?買おう」と迷いなく言われた。
この本屋までの間、何度フェリクス様の「買おう」「贈らせてくれ」を聞いただろう。 同じだけ「お気持ちだけで」「もういただきましたから」と言った。
今や侯爵夫人だから、どんどん買ってもらっても良いのかもしれないけど、欲しいと思う物が少ないのも事実。
それに、フェリクス様はこれまでも仕事で家を空ける事があると、その都度行った先で買ったお土産を買って帰ってきてくれる。
それはもちろん嬉しいけど、未だに貧乏子爵家の金銭感覚が染み付いているので、お返しできていないのに貰いっぱなしなのが申し訳なく思う気持ちの方が先に来てしまう。
ただ、私が断るとフェリクス様が少し寂しそうな表情をされる。だからレドライクでは何かひとつ位なら買ってもらっても良いかと思っていた。
本ならアクセサリー等に比べると高価ではないし、フェリクス様がこの旅行中に使者の仕事をしているときの暇つぶしにも良さそうだから本を買ってもらう事にしよう。
「じゃあお願いします」
「あぁ!もちろん!これだけで良いのか?」
「はい、それだけで充分です」
嬉しそうだ。
犬だったらお尻どころか足がぶれる程にしっぽを振っているのではないだろうか。
本屋から出て歩き出してすぐ、近くで女性の悲鳴と「泥棒!」という声が聞こえた。
声のした方に振り返ると、犯人らしき男が私たちのいる方向に向かって走って来るのが見えた。
すぐにフェリクス様に引き寄せられる。
私を抱き寄せたままフェリクス様が何かを呟いて手を前に翳したと思ったら、その男は何もない所で突然何かに躓いたように派手に転んだ。
(!?)
フェリクス様の腕の中で何が起きたのかと驚き戸惑っているうちに、素早くアルナンド様が犯人を拘束していた。
アルナンド様が犯人を拘束し終わったころ、使用人風のドレスを着た女性がこちらに走って来た。
「あぁ!助かりました!」
お嬢様と宝飾店で買い物を終えて、侍女の方が荷物を持ってお店を出たところ、買ったばかりの荷物をひったくられたらしい。
「あ、血が。大丈夫ですか?」
ひったくりにあった時に転んでしまったらしく、侍女の手の外側に擦り傷があった。
侍女が「これ位問題ありません。それよりも何とお礼を申し上げたらよいのか」という事を言っていると、ゆったりと1人の女性が現れた。
可憐という言葉がしっくりくる風貌で、身なりからも堂々とした態度からも明らかにかなりの高位貴族だということが分かる。
「あなた、荷物は無事でしたの?」
「お嬢様。はい。こちらの方々が犯人を捕まえてくださいました」
侍女がそう言うと、その女性は初めて私たちの方に目を向けた。順番にすうっと視線が移って行って、そして、フェリクス様のところで視線がピタリと止まり固定された。
「まぁ。それはわたくしの侍女が手数をかけましたわ」
「いえ。我々は何も。捕まえたのは彼ですから」
フェリクス様は、犯人を取り押さえたままのアルナンド様を示した。
ご令嬢はちらとアルナンド様に視線を移したが、すぐにフェリクス様へと視線を戻す。
そして、それはもう花が咲いたように愛らしい笑顔をフェリクス様に向けて言った。
「ぜひ、お礼がしたいわ」
「礼には及びません。官吏が来ました」
「そんなこと仰らないでくださいませ。屋敷へぜひ招待したいわ」
「必要ありません。では」
アルナンド様が犯人を官吏に引き渡した途端、フェリクス様は私の腰を抱いて踵を返す。
まるで取り付く島もないという態度に加え、何時ぞやを思い出させる冷たい声色だったが、フェリクス様は本当にモテるのだと改めて実感した。
自国では立場も手伝って、適齢期の貴族令嬢の嫁ぎ先として1番人気だったのは分かっているけど、立場やどんな相手か分からない状態でもあんな風に誘われるとは。
これだけ美麗な男性はそうそういない。
国によって美的感覚は少し違うというけれど、きっとフェリクス様はどの国でも美しいと認められるだろう。
「嫌な思いをしなかった?」
「え?いえ、全く」
「……全く?」
「はい。改めて感心しましたけど」
「何を?」
「フェリクス様は外国に来てもモテるのだなぁと」
「それで?」
「それで??」
「自分の夫が知らない女に言い寄られて、嫌だとか妬くとかは?」
あ。そういうこと……。
ここで「あの程度では嫉妬しません」と言いたいけど、言うときっと拗ねる。
でも、私には上手い返しが思いつかなくて、「ん?」とへらりと笑って誤魔化してみたけどだめだった。
「妬かないのか。そうかそうか」
「だって」
「夫が他の女に言い寄られても何も思わないなんて。やっぱり俺たちの愛は天と地ほどに差があるんだね。切ないな」
なんて大げさな……。
「違います。あの女性に対して私の焼き餅が熱せられない程の態度でしたし、フェリクス様は私の事を愛してくださっていると信じているからです。違うのですか?」
「当たり前じゃないか。セレナ以外の女なんていらないよ。俺はセレナのものだしセレナは俺のもの。絶対に離さないからね」
◇
次の日、予定通りフェリクス様はレドライクの王城へ使者として出向いた。
「もしかしたら昼餐に招待されるかもしれないけど、午後には帰って来られるはず。もし早めに戻って来られたら、王都のはずれにある湖を見に行ってみよう。夕方は夕日の色が水面に映って幻想的らしいよ」
そう言っていたのに、お昼過ぎに現れたのはフェリクス様ではなく、何故か昨日のご令嬢だった。 律義にお礼に来たのだろうか?
そもそもあの時は名前も告げていないのにどうしてここにいると分かったのだろう。
まだフェリクス様も騎士らも王城から帰っていないのにと思っていたら、私に話があるという。