メイドは見た
私が勤めているのは由緒正しい侯爵家。
もうそろそろ子供でいられなくなって仕事を探しているときに、高位貴族の屋敷でメイドを募集している事を知った。経験がないとだめかと思ったけど、特に応募条件はないようだった。
幸い裕福な商家で育ったため、最低限のマナーは身についているつもりだから、だめ元で応募してみたら採用された。
初めて長男のフェリクス様を見た時は、あまりにも綺麗な方で驚いた。綺麗すぎるしあまり口数も多くないので、何を考えているか分かりにくく、近寄りがたさがあるけれど。
次男のヘラルド様も綺麗な顔立ちで兄弟似ているけど、ヘラルド様のほうが男らしい顔つきで、笑顔も見せてくれるのでフェリクス様よりはとっつきやすそうな印象があった。
私の主になった侯爵様は、侯爵家当主で魔術師団長も務める凄い方なのに、物腰が柔らかく使用人にも気さくな方だった。だから、侯爵様ご本人も二人のご子息も使用人に対して変に横柄だったり無理難題を言う事もない。
そんな主の元で働いているから使用人たちも皆良い人ばかりだし、良い家に勤めることができて幸運だと思った。
ただ、ハーディング侯爵家は魔術師を多く輩出している名門なだけあって、一族の親戚が来ることもあるのだけど、その親戚の中には使用人に横柄な態度を取ってくる人も少なくなかった。
親族の来客時はなるべく鉢合わせしないように気を付けていたけれど、それでもたまに会ってしまう。
「おい、お前!茶を入れてくれ。全く、どいつもこいつも気が利かないな。この家の使用人は。まったく、いつまで待たされるんだ!」
(それはあなたが先触れもなくやってきたんだから待たされるのは当たり前でしょう)と思っても言えないけど。
はぁ。嫌な気分になっちゃった。
そんなある日、フェリクス様が別邸を購入し、そちらに移られるから別邸で働く使用人を本邸から連れて行くという話が使用人の間で広まった。
なんと、結婚して奥様と別邸で住む予定だとか。
綺麗だけどあの怜悧なフェリクス様が見初めた女性はどんな方なのだろうとか、その女性の前でどんな顔をするのだろうかと気になった。
先日フェリクス様が侯爵家当主になったばかりなのに、どうして本邸に住まないのだろうと思ったら、このお屋敷には大旦那様やヘラルド様も住んでいるから奥様が気を遣うだろうと配慮しての事らしい。
それに、親族と接触させたくないとの思いもあるそうだ。その気持ちは良く分かる。 私も接触したくない。
それほどまでに奥様となる女性を大切にしていらっしゃるのだろう。
別邸では給料や休日の条件は変わらず。
ただし、本邸よりも使用人の数が少ないから仕事量は増えるかもしれない。
それでも別邸で働きたいという希望者がいれば教えてくれとの事らしい。
正直、フェリクス様は近寄りがたい雰囲気があって、彼と接するときは緊張する。けれど、本邸でたまにくる嫌な親戚と会う位なら、別邸で働きたいと思って立候補した。
別邸に移り住んだのはそれからすぐのこと。
大きくない屋敷だけど、王都の中心部にも王城にも近い良い立地の家だった。
不思議な事に、ご夫婦の居室と寝室だけまだ家具や小物が無かった。
ご夫婦で住む家のはずなのに、何故?と思っていたけど、その謎はすぐに解明された。
フェリクス様改め旦那様は、奥様のために手ずから家具や小物を選んでいるらしい。
時には使用人にも意見を求められ、良い案だと思えば採用しているようだった。
私も通りかかったときに意見を求められた。
「君。ちょっと良いかな?」
「はい。何でございましょう」
「女性は時間を潰す時はどんなことをして過ごすのだろう?」
思ったより難しい質問だった。 そんなの人によるとしか言いようがないが。
「彼女の暇つぶしになるものも買っておこうかと思うのだが、何が良いと思う?」
「私は平民なので参考になるか分かりませんが、読書はいかがでしょうか」
「読書か。女性はどんな種類の本を読むんだ?」
「恋愛小説を好む女性は比較的多いです。ただ、全く読まない人もいて、人それぞれの好みがございますので……そうですね、色々な種類の本を揃えてみてはいかがでしょうか」
「色々か」
「はい。それなら、どんな種類の本がお好みか話題にもなるかと」
「なるほど。参考になった」
それから3日後、ご夫婦の居室に大きな本棚が置かれた。
恋愛小説から冒険譚、ミステリー、美術本、魔術の専門書や経済学の本など、本当に多彩だった。
大きな本棚はもちろん、本も決して安いものではない。
この量を揃えるのは、それなりにお金がかかったはず。
侯爵家にとってははした金かもしれないけど、意見を採用された私は少しドキドキしていた。
もし、奥様が読書に全く興味のない方だったらどうしよう。
ついに今日、奥様がこの別邸にやってくる。
奥様を迎えに行くために、旦那様は朝からソワソワしてらした。
いつも落ち着いていて冷静沈着な印象だったけど、この別邸で働き出してからは旦那様の印象が少し変わった。
とにかく奥様を愛していらっしゃるのが伝わるし、失礼な言い方だけど人間らしく感じられるようになった。
ソワソワしている様子など、可愛らしく見える位だった。
そろそろ旦那様が奥様を迎えに行く時間だと別邸で働く使用人一同、ぐっと気合を入れ直した頃、王城から急ぎの呼び出しがあった。
旦那様はかなり眉間にしわを寄せて「行きたくない!」という表情をしていたけれど、執事に指示を出した後、渋々出かけて行かれた。
その後、侯爵家別邸へやって来た奥様を、別邸で働く使用人一同で迎えた。
初めて見る奥様は、思ったより普通の方だった。
浮いた噂を聞かない美麗な旦那様の見初めたお相手だから、傾国の美女級のとんでもない美人を想像していたけど、違った。
使用人に向かってお礼を言ったり会釈をしてくれる良い方で、私はホッとした。
せっかく別邸勤務に立候補したのに、奥様が傍若無人な人だったら……というのだけが唯一の不安だったのだ。
でも、何かがおかしい。
奥様の雰囲気が凄く遠慮がちというか、戸惑いのようなものを感じる。
旦那様との愛情に温度差があるようにも思う。
旦那様は夫婦の部屋の小物1つまで手ずから選んだくらい疑いようのない愛情を感じるのに、奥様からは愛されている者が放つ自信のようなものを感じられなかったのだ。
てっきり恋愛結婚だと思っていたけど、もしかして政略結婚なのだろうか?
奥様が別邸に到着して半刻も経たず、旦那様がお帰りになった。
いつもは馬車で帰ってくるけれど、相当急いだのだろう。単騎で騎乗して帰って来られた。
さささっと髪や衣服の乱れを直した後、奥様がいらっしゃる居室に向かわれた。
私は専属侍女ではないし、夫婦の対面の場には立ち会えないけれど、旦那様からはなんだか緊張感を感じた。
執事と奥様の専属侍女に選ばれたトニアさんが旦那様の後に入っていったと思ったら、割とすぐに2人が退出してきた。きっと夫婦二人の時間をすごされるのだろう。
執事がそそくさと出かけて行ったら、すぐに戻ってきてまたご夫婦の部屋に向かい、またすぐに出てきた。何だったんだろう。
後から聞いて驚いたのだが、奥様はあの日、あの別邸に来るまで結婚相手は大旦那様だと思っていたらしい。
奥様は旦那様がお相手だと聞いて戸惑われていたし、一時別居して使用人一同をハラハラさせたけれど、旦那様の溺愛攻撃にあい、今では2人仲睦まじいご夫婦になられた。
そうそう。私の提案を取り入れた本棚は、奥様に好評だったらしい。
奥様は毎日夜や休日に読書をされていて「いろんな種類の本がたくさんあるから飽きない」とおっしゃっていたらしい。
私の提案通り、好みの本の種類の話や本の感想を言い合ったりして良い時間を過ごせているそうだ。
「君の提案を取り入れて良かったよ。ありがとうカルラ」
お礼を言われたのも嬉しかったけど、まさか下っ端メイドの私の名前を旦那様が覚えて下さっているとは!感激した。
今までの侯爵家本邸で働いているときには、お礼を言われることはあまりなかった。仕事だからそれが当たり前だと私たち使用人も思っていた。
だけど、初日に使用人にもお礼を言いたい時は言う、その方がお互いに気持ちよく過ごせるはずと奥様が仰って、その方針を旦那様が取り入れたのだ。
「窓をピカピカに磨いてくれているから庭が綺麗に見えるわね。ありがとう」「水が冷たいでしょう?大丈夫?」
このように、奥様は使用人として当たり前の仕事をしているときにもお礼を言って下さるし、労いの言葉もよくかけて下さる。
別邸は本邸よりも使用人の数が少ないから、少し忙しくなったけど、奥様がよくお声がけしてくださるおかげで別邸の使用人はやる気に溢れている。
だから、決められた仕事以上の働きをして尽くしたくなる。
「布団を温めておいてくれたのね。気持ちよく眠れたわ」
良かれと思ってやってみたことに気付いて声を掛けてくれると、本当に嬉しい。
初めて奥様を見た時は思ったより普通と思ってしまったけれど、流石旦那様。
人を見る目に長けていらっしゃる。
旦那様も本邸にいた時の印象と変わったし、かなり親しみやすくなった。
奥様と一緒にいる時は、本当に嬉しそうに愛おしそうに奥様を見つめていらっしゃる。
その姿を使用人一同微笑ましく見守っているのだ。
本邸も良い職場だと思っていたけど、今や本邸の使用人に羨ましがられるほどに別邸は職場環境が良い。
これからも、旦那様と奥様のために一生懸命尽くして働きたいと思う。