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本日2話目です。
「トニア、心配かけてごめんなさい。私は眠っていただけだから、大丈夫よ」
背中を撫でながら、ゆっくり言い聞かせるように話すと、漸くトニアが抱きしめるのをやめた。
「それならよかったです。今は別邸に一緒に帰れませんが、事情聴取などが終わったらすぐに駆け付けますね!」
「それ。それなんだけど、攫われたのはトニアにするって、どういう事?」
「結婚しているとはいえ、貴族の奥様が攫われたと世間に知れたら、実際は何もなかったとしても辱めを受けたのではないかと、あることない事噂されますでしょう?子供が生まれるタイミングによっては、父親を疑う声が上がらないともいえません。ですから、奥様は屋敷で私が助かるのを祈っていたということにするのです」
「それなら、トニアだって醜聞に晒されることになるじゃない。そんなのだめよ」
「私は、平民ですから。平民はそこまで他人の噂に構ってられるほど暇がありません。噂になっても一瞬でしょう。それに、例え醜聞になっても、独身と違って私はもう相手を探す必要もないので構いません」
「醜聞は醜聞。貴賤なんて関係なく不名誉な噂に変わりないじゃない。ん?トニアって結婚していたの?」
侯爵家で働きだしたのが15歳って言ってたし、別邸では使用人部屋で住み込みで働いていたから、てっきり独身だと思い込んでいた。
「はい。そこにいるマルセロが夫です」
「えっ」
トニアが指さしたのは、目覚めて最初に目にした男性。王城でお昼によく一緒になる男性だった。
ベッドの右と左にいる二人の顔を交互にみてしまう。
マルセロは30代後半くらいに見えるので、トニアとは一回り位の歳の差がありそうだった。
もう分かっていたけど、彼は犯人じゃなかった。疑ってごめんなさい。
何度か二人の顔を往復して、何度目かのときにマルセロがニッと笑って言った。
「改めまして。侯爵家の影をしているマルセロと申します。俺も、奥様は攫われた侍女の無事を祈っていた事にした方が良いと思います」
「でも……」
「俺は、この攫われる使用人役にすぐに手をあげた妻を誇りに思います。ですから、このお役目、トニアに任せてやってもらえないでしょうか?」
そこまで言われると、「だって」も「でも」も言いにくくなってしまう。 簡単に「じゃあお願いね」なんて言えることではないのに。
ここは2人の言う通りにした方が良いのだろうか。
フェリクス様はどう思っているのだろう?
それまで黙って成り行きを見守っていたフェリクス様を見ると、今度は目を逸らされることは無かった。 少しほっとする。
「誰かセレナの代わりに攫われたことにしてくれと頼んだのは俺だ。事実の通りに話が広まってしまうと、嫌な噂が広がってしまうだろう。そうしたら傷つくのはセレナだし、それだけは避けなければ」
「私のためを思ってくださるのは分かりました。だからといって、自分の代わりに他の誰かが酷い事を言われるかもしれないのは……」
「―――もし、セレナが攫われた話が広まれば、一族の中でもこの結婚を継続することに表立って反対する者も出てくるだろう。そんなことを言われようが無視するだけだが、俺は少しでもセレナを傷つけたくないし、絶対にセレナを失いたくはないんだ。俺が言えた義理はないが、このまま家に、俺の元に帰って来てくれないか」
「……良いのですか?私で。怒らせてしまったのに」
「それはっ。俺の誤解だと分かった。本当にすまなかった。許してくれ」
「本当に、私、帰っても良いのですか」
「セレナじゃないとだめなんだ」
◇
フェリクス様とマルセロと私の3人で馬車に乗って、屋敷へと帰る。
「そういえば、マルセロはお昼に時々来ていたけど、侯爵家の影ってどういうこと?魔術師の制服を着ていたから王城で働く魔術師なのかと思っていたわ」
「本業というか俺の仕事は侯爵家の影。つまり諜報員です」
「そうなの。え?じゃあ王城の魔術師ではないの?」
マルセロはにっこり笑って人差し指を立てて口元に持って行く。
魔術師の制服を着て王城に入り込んでいたという事?
魔石ボタンが付いているからどこでも入り込めなくなっているんじゃ……?
あまり深く聞かない方が良いのかもしれない。
「じゃあ、もしかしてお昼に時々あの庭の端に来ていたのは仕事?」
「まぁ。はい。奥様の護衛と言いますか確認と言いますか……」
微妙に曖昧に言うのは、私が侯爵家の嫁として相応しいか監視もしていたってことかな?
あれ?でも…………。
「マルセロがあの庭の端に現れるようになったのって、縁談が来るよりも前じゃなかった?」
「そうでしたっけ?」
「うん。間違いないわ」
下を向いて、すでに昔のように感じるあの時の事を思い出していた。
フェリクス様がこっ酷く令嬢を振るのを見た次の日に間違いない。
フェリクス様から見ると、盗み見ていたように見えただろう私に、後になって文句を言いに来られたらどうしようって、少し不安になりながら次の日の昼もあの場所に行った記憶がある。
結局、来たのはフェリクス様ではなく、マルセロが来たんで肩透かしを食らった気分になったし。
それから少ししてから縁談の話が来たんだった。
うんうん、そうだ。と自分の記憶を確認してから顔を上げると、マルセロがフェリクス様を肘で小突いていた。
「正直に、自分から言った方が良いですよ」と言いながら。
目が合ったフェリクス様はバツの悪そうな顔をして一瞬視線を逸らしたけれど、すぐに視線を合わせて来た。
「セレナの事を王城で見て、セレナが王城で働いているって知ったんだ。それで、マルセロに昼の間だけでも様子を見る様に指示した」
「はあ……」
事実を言っているのだろうことは、真剣な表情で分かる。
けど、私の頭でも分かるようにもう少し砕いて説明して欲しい。
「それは、素行調査とかそういうので?」
「どうして王城で働いているのか驚いたから少し調べさせては貰ったけど、セレナに素行調査なんて必要ないよ」
そういうのも含めて素行調査っていうのでは?違うのかな?
フェリクス様の口ぶりだと、以前から私のことを知っていたように聞こえる。
別邸で会ってすぐから訳が分からない位に甘やかされたのは、もしかして知り合いだった?
こんなに怜悧で美麗な知り合いがいれば忘れないと思うんだけど、まったく記憶にない。
「フェリクス様とは、あの王城で初めて会ったと思っていたのですが、違いますか?」
「―――そうだね。昔、子供の頃に会ったことがあるよ」
「そうなんですか?それは……すみません。覚えてなくて」
「1度だけ、それも1時間にも満たない位だから、無理もない」
「でもフェリクス様は私の事を覚えていらっしゃったんですよね?そんなに記憶が残るほどの事を、私は何かしてしまったんでしょうか?」
「ううん。俺にとっては忘れられない出来事だけど、特段珍しい事ではない。セレナは俺の話を聞いて、自分の意見を言っただけ。それで、俺はそれまで重ねた堅い殻を破れたんだ」
「それって、フェリクス様が何者かも知らずに子供特有の自分勝手に話をしただけなのでは……」
「そうかもね。でも、それで俺の人生は良い方向へ変わった。確実に前を向くきっかけになったんだ。今俺が生きているのもセレナのおかげだと思う」
そんなに?子供の言葉でそこまで?おおげさじゃない?と思ったけど、これは言ってはいけない気がして口をつぐむ。
だけど、どうして子供の頃に一度会っただけの私を王城で見て、私だと分かったのだろう?
自分では分からないけど、子供の頃の面影がそんなに残っているのだろうか?
もしかして影に調べさせてた?と思ったけど、まさかね。
1度会っただけの少女にそこまでしないだろう。
そんな話をしていると、馬車が本邸へと着いた。